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日本のWW2(太平洋戦争)参戦って結局誰が始めたんですか?

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質問者

gthsrtgsrtgsrtさん

2013/3/1223:52:47

日本のWW2(太平洋戦争)参戦って結局誰が始めたんですか?

決断をしたのは東條さんらしいですが、始めたのは日本国民らしいということを最近知りました。

日本国民が戦いたかっただけなのでしょうか?

なんだか東條さんて調べれば調べるほど、かわいそうな人だと思いましたが、
メディアの誘導か、真実なのかどちらでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2013/3/1314:05:03

日本国民が戦いたかっただけ??東條はかわいそうな人??困ったな、これは。どこで読んできたのかな?回答の多くも勉強不足丸出し。当時の日本がどんな国だったか御存知ですか?国民が国に方針に口出しが出来る様な国ではありませんでした。陸軍主導の強烈な思想統制、言論統制、報道規制で、メディアは軍の使い走りだった。国民の目に入るもの、耳に聞こえるものはすべて軍のプロパガンダでした。当時の日本は'軍(≒陸軍)に牛耳られていて、軍の気に入らなかったら総理大臣でも殺される時代だったのです。

そして東條。この男がどんな人間だったか、、、国の指導者としては落第、軍人としても三流の卑怯な男でした。他の質問に回答したものを書いてみます。

①関東軍参謀長の頃、満州と中国で大規模な麻薬の栽培・密売をやって巨額の闇のカネを儲けて統制派の資金にした。

②参謀長は実戦部隊を直接指揮する権限はないが、関東軍が満州侵略を更に拡張してチャハルを侵略した時、お手盛りでチャハル兵団長に就任(軍人は実戦に参加しないと金鵄勲章をもらえないのでそれが欲しかったのでしょう)。無茶苦茶な作戦指導で、ある村で500人ほどの虐殺を行っている(陽高事件)

③中国侵略を強力に推進。泥沼化した日中戦争は日本経済にも悪影響を与えており、陸軍内部ですら無条件撤退案があったが、東條は陸軍次官、陸軍大臣、総理大臣として一貫して中国からの撤退を絶対許さず、太平洋戦争の原因を作った。

④第三次近衛内閣では陸軍大臣だったが、平和路線を追及しようとした近衛首相を脅しあげて内閣総辞職に追い込んだ。

⑤ワシントンで行われていた日米和平交渉の継続を主張する外務大臣を怒鳴りつけ、一方的に期限を切って対米英戦争を決めた。なお、ハルノートはアメリカの「最後通牒」ではありません。知恵ノートの「ハルノートは太平洋戦争の原因ではない」とお読み下さい。内容を知らない人がハルノートを非難します。

⑥天皇の反対を知りながら総理大臣(陸軍大臣・内務大臣兼任)として対米英戦争にゴーのサインを出した。東條が戦争回避に努力したという人がいますが、そんな事実はありません。あの当時、誰が総理大臣でも戦争は避けられなかったという人もいますが、勉強不足ですね。

⑦戦争が始まると、総理大臣・陸軍大臣・内務大臣に加えて軍需大臣、商工大臣、文部大臣、外務大臣を兼任、歴任。更に憲法違反である参謀総長まで兼任。憲兵を私兵化してスパイ政治を行い、権力を一手に集中して「東條幕府」と呼ばれた。余りのひどさに陸軍、海軍双方に具体的な東條暗殺計画があった。サイパン陥落の責任を取らされて辞職していなければ確実に暗殺されていた(知恵ノートの「東條暗殺計画」をお読み下さい)

東條に意見を言ったりしたら陸軍の高官でも死地の最前線に追いやり、気に食わないと徴兵年齢を大幅に上回った民間人も懲罰の為に徴兵した。

⑧戦争中、国民が無駄をしていないかを調べる為に街へ出て家々のゴミ箱をのぞきまわり、築地の魚市場ものぞいた。あるところでキャベツが山の様に捨ててあった、調べたらまだ食えるものが結構あった、この様な無駄はけしからん、、、史上最強の軍事超大国アメリカと戦争している真っ最中に総理大臣・陸軍大臣・参謀総長などを兼任している男がやる事でしょうか???

⑨離任する時の部内への訓示で「天皇への忠誠には広義と狭義がある。狭義の忠誠では天皇の意思をただちに実行に移す。しかし広義の勤皇とは、もし天皇の意見がこちらの考えと違っていたらそれを正す。それでも変わらなければ強制してでもこちらの意見を通す。自分は後者を取る」、と。これは天皇への反逆ですよ。

⑩戦争ボロ負けの昭和20年2月、「本土決戦があっても米軍の三分の一の兵力で勝てる」と言って天皇を呆れさせた。

⑪天皇の聖断で降伏し、日本が壊滅する一歩手前で戦争が終わった。その時、東條は「政府・国民がこんな簡単に手をあげてしまう様な意気地なしとは夢にも思わなかった」と書いている。一億玉砕だった方が良かったのか??そしてこれは天皇の決断をバカにしたものですね。これが東條の言う「広義の忠誠」でしょうね(笑)

⑫敗戦の責任を取って阿南陸軍大臣は日本刀で割腹自決。そのほかにも多くの将軍たちが自決したが、張本人の東條は東京裁判がなければ生き延びて戦後の平和な生活を楽しむつもりだった。卑怯な男です。東條の出した「戦陣訓」の為に玉砕・餓死した日本兵たちは同じ神社に祀られて喜んでいるかな?米軍憲兵が逮捕にきて、うろたえて狂言自殺、みにくい姿を写真に撮られてしまった。本気で自決するつもりだったら、終戦後一ヶ月も何をしていたのか?裁判で天皇を守る為に死ななかったという人もいるが、ではあの自殺騒ぎはなんだったのか?矛盾だらけです。

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sittakariderさん

2013/3/1310:20:40

彼の責任は
1.日中戦争の拡大に将軍として拍車をかけたこと。
2.陸軍大臣として組織の主張に偏り全体的利害関係をあまり考慮しなかったこと。
3.戦陣訓をつくり、捕虜になるなら死ぬという習慣を増長させたこと。

です。
1はそもそも石原莞爾たちが先例をつくった軍部独走の延長です。
2は頭の固い実務派としては、当然と言えば当然です。
3は中国戦線ならそのほうがよいかもしれません。
ま、それなりに言い訳はあるってことです。

責任はもちろんありますよ。一番あるのは当然ですよ。
でも、彼は、東京裁判で天皇を守るために頑張りましたので、
それなりに許してやってもよいと思いますよ。

日本国民がやりたがっていたのは事実です。
日中戦争でうんざりしていたし、国力の差なんて知らないし、
連戦連勝で思い上がってますから。
当時の作家たちの日記を見ても、「スカッとした」という
ような記述が多数派です。

kei80808080さん

編集あり2013/3/1315:08:47

直接的に開戦計画を決めて推し進めたのは主に海軍軍令部。
海軍は予算を貰えれば米国に勝てる海軍を作ることができると説明して数倍の予算を獲得していました。
そして陸軍はそれを信じていた為に米国と戦争すれば勝てると思って米国を軽視した外交や戦略をしていました。
そして禁輸措置をされ開戦のカウントダウンが始まった時、海軍はアメリカに勝てないから開戦反対と言えなくなったのです。それを言えば今まで数倍の予算獲得していたのが全て方便だったとバレ、海軍の権威は失墜。解体までされる危険性があったからです。
海軍で最も強い権力を持っていた1人である永野修身は「ここで海軍が崩れれば陸軍の暴走を止めることができず、日本は破滅に向かう」として日米開戦を急がせました。

日米関係悪化の鍵となった日中戦争は日本国民の強い反中感情でもありました。メディアも煽り立てました。陸軍はそれに便乗する形で穏健派の政府を無力化させ、政権を乗っ取り、軍事政権の基盤を固めました。
東條英機はその中心に居たので大きな責任があるでしょう。しかし陸軍、関東軍だけが悪いという訳でもありません。陸軍も海軍も官僚的な政治闘争を繰り広げてたら戦争回避できない状況にまで堕ちていっただけです。勿論中国征伐を支持した日本国民にも。国民に国際的な流れを報道し国際法を教育したり説明しなかったメディアや政府にも。

編集あり2013/3/1302:08:57

天皇
内閣総理大臣、国務大臣
枢密院議長、枢密顧問官
参謀総長、参謀次長
軍令部総長、軍令部次長
宮内大臣

御前会議という

海軍の神重徳大佐が部下に命じ

継戦 戦争を続ける為の物資 調達計画を作成した

このレポートにて開戦を決定した
1週間で作成したらしい

しかしこのレポートは、条件が破堤し計画どうりには
いかなかった。


NHK特集でやってました

iwajiiwajiさん

2013/3/1301:32:52

特に誰ということは決められないと思います。
日本人が皆反対した中、東条英機が強引に開戦させたわけでもなし。
むしろ、当時の雰囲気では「欧米何するものぞ、弱腰政府は許さんぞ」だったらしいですから。
それが戦争終わったら「全責任は東条英機と軍部にある!天皇陛下はセーフ、マスゴミも悪いけど、軍部に脅されたということらしいからセーフだ!俺たち国民は可哀想な被害者だ!」ですから、日本人のクズっぷりも中々ですね。

s301atさん

2013/3/1301:05:44

米国から突き付けられた無体な要求に対して屈服した場合、国民は納得したか? しなかったと思います。敗戦は結果であって、明治から正規の軍隊を持ち、二つの大国に勝利した日出る国が負けるわけがないと考える国民のほうが多かったでしょう。
東條英樹は戦争の責任者として国民の犠牲を最小限に抑える努力をせず、国力を無視した無謀な作戦を続行し、女学生や子供まで巻き込んで陸海将兵とあわせ、300万を超える死者を出したことは立派に犯罪行為です。もちろん連合国に裁く権限などありませんが、日本国民の手で裁かれるだけの罪は十分にありました。 ただ、一般に考えられているほど横暴非紳士的な人物ではなく、真面目質素で自他に等しく厳しい人柄だったようです。

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