解決済みの質問

「同情なんてして欲しくない!」ってセリフがあるけど、まるで同情する事がわるい...
minaraiyuusyaさん
「同情なんてして欲しくない!」ってセリフがあるけど、まるで同情する事がわるいみたいじゃないか?
昔からそう思っていた。ソコで、ネット辞書で同情の意味を調べてみると・・・
同情:他人の苦しみ・悲しみ・不幸などを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと。
・・・らしい。どうだろうか?同情って、とても人間らしく、温か味の溢れたスバラシイモノのはずなのに、その同情という言葉自体が、わるく使われてないか???
オレは無責任な事は嫌いだ!必ずBAを付ける。我、同情と言う言葉の名誉をココに取り戻さん!(`・ω・´)チャキーン!
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nezuni1banさん
友情は、低きにまどろみ、たゆたうものではない。上方を目指して運動するものだ。真の友情は厳しいものだ。友への同情や憐憫などはもってのほかだ。同情は硬い友情の殻の下に隠されねばならない。
同情し合いお互いを低め合うような「隣人愛」などは、人間を弱くするものだ。幼い子供を可愛がるあまり厚着をさせ続けていれば、その子どもは、風邪を引きやすい体質になる。同情が子どもの力を弱めてしまう例だ。勝手に相手の限界を見極めてしまって、その限界から逆算して相手を取り扱うと、現実に相手は弱くなっていってしまう。それは友情ではない。
「士は別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし」(『十八史略』)という言葉がある。三日の間にも、相手は成長しているかもしれない。いや、成長しているはずだという気持ちで相手を待つ。その強い期待が、相手の成長を促す。成長したまったく新たな人間として見るという見方は、友情の見方だ。どれほど相手が変わっても、昔のイメージで低く見積もる目は、懐かしさの感情を含むものではあっても、ニーチェの言う真の友情ではない。誰にでも臆病な気持ちや嫉妬心はある。しかし、それを当たり前のものだとして許容したり、ましてや増長させたりすることを、人は批判する。無理をしてでも、張りを持って相手に対して装うべきだと言う。嫉妬心や怯懦を乗り越えて、高みを目指す矢として立つ。お互いがこのように矢として装うことによって、生きる張りや力が生み出される。
「おのれの友のうちに、おのれの最善の敵をもつべきである。君がかれに敵対するときこそ、君の心はかれに最も近づいているのでなければならぬ。」日本には、ライバルの中に真の友を見いだすという、スポーツマンガの伝統がある。井上雄彦の『スラムダンク』における桜木花道VS流川楓もその典型だ。二人は余計な言葉は交わさない。しかしお互いを認めあっている。そして高みを目指すらせん運動を二人の間につくっている。この友情論を、こうした正統的スポーツマンガに重ね合わせて読めば、いっそうの味わいが両者に出てくるはずだ。
恋愛は、教えられなくても皆好んで行う。しかし友情は、その理想的な形を先輩たちから学ぶことによって、はじめてつくられる関係性なのである。
いくつになっても新しい友情の関係を結ぶことはできる。心が柔らかくありさえすれば、年が離れた相手とも友達になれる。私の知り合いの子ども好きのおじいさんは、ある時、七、八歳の子どもが友達に「この人、誰?」と聞かれて、自分のことを「オレの友達」と紹介してくれたことがひどくうれしかったと話していた。どんな年齢の相手とも、同等の立場に立ち友情を結べるというのは、友情が技化(わざか)されていると言える。
友情という関係性をつくることを技として身につけるのは、おそらく十二歳前後だ。スティーヴン・キングはこう書いている。
「わたしはこの十二歳のときの仲間たちのような友人は、その後ひとりももてなかった。世間の人はどうなのだろう?」(新潮文庫『スタンド・バイ・ミー』山田順子訳)
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ベストアンサー以外の回答
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seldomwoplasさん
>同情:他人の苦しみ・悲しみ・不幸などを同じように感じ、思いやり・いたわりの心をもつこと。かわいそうに思うこと。
同情を受け入れたら、自分が苦しみ・悲しみ・不幸の状況だと認めることになる。
だから拒否するのだ。
仮にその状況を認めたとしても、他人の力を借りなければ立ち直れない、状況を打開できないと
思われたくない、思わない、自分はそんなに弱くないとアピールしたい場合、
拒否するのだ。
また、それを受け入れることで、心理的に上下関係が発生すると考えている場合、
それがいやで拒否するのだ。
どちらにしても、かわいそう。。。となってしまうことが、またかわいそう。
xmdyr183さん
他人から同情される=他人から憐れみの目でみられる。
そんなことで癒されるようなヤワな自分ではない。
この苦境は自分で乗り切って見せる、という気概をしめした言葉です。
dontthinkjustfeelitさん
同情は偽善に近いものがある。
心の痛みは本人しか分からない。
似たような経験をしたとしても
感じ方は十人十色だからね。
しかも、同情している様を
傍から見てると上から目線にも
見えるしね。
showhow79さん
現代日本で「情けは人のためならず」の真意が、誤解されたまま定着してしまっていることに
質問者様の疑問を解く上での糸口があると思います。
本来この諺は「他人が困ったり苦しんでいる時に、助けてあげると、後から自分に何かかえってくる。だから情けは
他人のためにでもあるが、自分のためにこそかけているのだ」という意味です。
しかしかなしいかな、現代では「相手に情けをかけると、その相手のためにならない」と誤認されており、ほとんどの人がこちらで認識しています。
結果、情け・同情は悪いとまでは行かないが、よいものではないとないという社会通念が成立しているのではないでしょうか。
私自身、中村喜春さんという、もう他界してしまいましたが新橋で芸者をなさっていた方の、ある著書でこのことを知りました。
どの著書だったかは忘れてしまいましたが、著書の一覧を貼り付けておきますのでご参照下さい。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%...
rgtkp202さん
わるいのは「同情」自体でも、する人間でもなくセリフを言った本人が惨めに感じると思ったからではないですかね。もちろんそれだけではない
可能性も。同情する人を気遣っているのか、本当は同情されたいが、精神状態が極めて混乱しているために今は放っておいて欲しいのか、
複雑な心境であることが言えるでしょう。とげのある言葉を鵜呑みにせず見守ってあげるのも温かみの溢れたスバラシイモノですよ。
あなたのその優しさは伝わってるはずです。
chiebukurono1さん
人は、他人に同情して、哀れんで、快感を味わう、ということがあるから、他人から同情はされたくないのです。
質問した人からのコメント
「隣人愛」についても
m78mm78m宛: