解決済みの質問
天皇家の系譜の歴史にお詳しい方にお尋ねします。 今上天皇は嫡流ではなく、支流(...
天皇家の系譜の歴史にお詳しい方にお尋ねします。
今上天皇は嫡流ではなく、支流(分家)だと聞いたのですが
そうだとしたら、かつてのどの天皇の流れになるのでしょうか。
また、二条天皇とおっしゃる帝がおいででしたが
二条帝と今上天皇の流れには、何かかかわりがあるでしょうか。
もちろん、同じ天皇家ですから広い意味で血のつながりが
あるとは思いますが、たとえば、敵対関係にあった帝もいらしたと
思いますので、そういう意味で・・・どうぞよろしく御指導くださいまし。
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- 質問日時:
- 2007/5/7 19:59:57
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- 解決日時:
- 2007/5/13 21:53:15
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ベストアンサーに選ばれた回答
woo_woonさん
今上天皇は江戸中期の東山天皇(在位,1687~1709)から分かれた直仁親王(なおひと・しんのう,閑院宮家の祖)の流れを汲む光格天皇の御子孫ですから,光格の父親である典仁親王(すけひと・しんのう)の御代までは傍流です。しかし,光格が天皇に即位された時点で,この系統が嫡流となりますが,このようなケースは他にも幾つか例があります。なお,次の系図を参照(カッコ内は即位順)。
東山(113)┬中御門(114)-桜町(115)┬後桜町(116)
..................│.............................................└桃園(117)-後桃園(118)
..................└直仁親王-典仁親王-光格(119)-仁孝(120)-孝明(121)-明治(122)-大正(123)-昭和(124)-今上(125)
二条天皇(在位,1158~65)は平安末期の後白河天皇の第1皇子で,二条の子の六条天皇の後は途絶えてしまいます。二条の弟の高倉天皇(中宮が平徳子=建礼門院で,御子が安徳天皇)がその後に即位し,この高倉の系統が今上天皇を含めて天皇家の嫡流を継承します。従って,今上天皇は二条天皇と血脈はありません。
敵対関係ということですが,天皇家内部での対立もないことはないですが,高倉天皇が中宮徳子の父親である平清盛によって擁立されたように,外部の政治勢力によって対立という構図になっている場合が多く,南北朝の対立も室町幕府の足利尊氏・直義兄弟の対立が絡んでいます。
なお,今上天皇の直接の御先祖となる光格天皇の即位ですが,たまたま先代の後桃園天皇が病気のために22歳(数え年齢)の若さでお亡くなりになり,女性である内親王しか御子がいなかったので,傍流の閑院宮家から光格天皇が選ばれたわけです。
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- 回答日時:2007/5/8 12:12:03
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ベストアンサー以外の回答
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二条天皇(78代)のあとは六条天皇(79代)で途絶え、80代は二条の異母兄弟・高倉天皇に移るので、六条と今上天皇の血の繋がりはありません。しかし、勘違いしておられるようですが歴代天皇は全てすべて嫡流です。もし天皇家の系図があればご覧ください。聖上を父親父親と辿っていけば必ず神武天皇にたどり着くでしょう。これが「男系男子」というものでございます。
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- 回答日時:2007/5/7 22:07:25
南北朝が、ルーツです。
又、応神天皇は、朝鮮人の説もあります。
つまり、万世一系は、作られた寓話とも云いますし、天皇家は、時の権力者の隠れ蓑に便利だから、利用されただけだと云う、傀儡説もまかり通っていますね。
象徴天皇は、傀儡そのものですからね。
天皇家のルーツは、今ではなぞです。ましてや庶民のルーツなんて、謎の謎。
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- 回答日時:2007/5/7 20:23:25


質問した人からのコメント
お三方とも博識でいらっしゃるのですね。
浅学なわたくしは羞じ入ることしきりですが
どの御回答も興味深く拝見させていただきました。
woo woonさん、御丁寧にご説明くださり
本当に勉強になりました。
ながいこと疑問に思っていたことでしたが
質問してよかったと存じております。
ありがとうございました。