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「ダエモン神」は昭和45年生まれです。 創価学会の池田デソクは昭和何年生まれ...
「ダエモン神」は昭和45年生まれです。
創価学会の池田デソクは昭和何年生まれですか???
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- 質問日時:
- 2007/7/21 10:44:07
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- 解決日時:
- 2007/8/5 03:43:08
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- 回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答
池田大作は、新興宗教団体創価学会名誉会長、SGI(創価学会インタナショナル)会長、創価学会元会長(3代目)、公明党創設者。79歳。
1928年1月2日 東京都大田区大森北に海苔業者の父、子之吉と母、一の間の第6子(5男)として生まれる。1930年、3歳頃、1923年の関東大震災で大森の地形が変わったため、蒲田に移る。
1935年4月、羽田第二尋常小学校に入学。生まれつき体が弱く、栄養失調で三・四回死にかけたこともある。1936年に父がリューマチで寝込むようになったため、家業の海苔作りを手伝う。兄たちの出兵で家計が苦しくなったため、朝夕の新聞配達もする。1940年3月に尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鉄工所」に就職。4月(?)に高等小学校に進学。
少年・青年時代に多くの在日コリアンと出会い、父から韓国語を習う。
1941年12月8日、太平洋戦争が始まる。1944年、蒲田(糀谷)の家が強制疎開のため壊され、同区馬込町(後に大森区→大田区)の叔母の家に住む。1945年8月15日に6度目の結核による肋膜炎を患い、茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える。
1946年、新橋にある「昭文堂印刷」で文選工をする傍ら、私立の「東洋商業高校」(現、東洋高等学校)夜間部の2年に編入学する。 東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入。10人余りほどの青年たちと国家や人生や天皇制などを議論する「郷友会」という研究会(読書会)を作り、学者や労働組合の指導者を訪ねたりする。
高校卒業と同時に「昭文堂印刷」を退社。半年後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合「蒲田工業会」(現:「蒲田工業協同組合」)に書記として勤務。
1947年3月、東洋商業学校を卒業。
8月14日 小学校時代の同級生の女性から「仏教や哲学のいい話しがある」と誘われ、「協友会」の仲間で小学校の同級生の二人と共に蒲田(大田区北糀谷)の創価学会員宅で行なわれた座談会に出席。
入信を拒むが、後に教学部長になる小平芳平に理論的に説き負かされ、本尊を受ける。
8月24日に小平に付き添われ、中野区の昭倫寺(当時は歓喜寮)で創価学会に入信手続きを行なう。
入信したことで、家からは勘当状態になる。
1948年に「大世学院」(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。
1949年1月3日に座談会に誘われた女性の母親に、 戸田城聖(2年後に創価学会の第2代会長となる)を紹介してもらい、戸田が経営する出版社「日本正学館」に入社。
1950年8月22日、「東京建設信用組合」が大蔵省から営業停止を命じられる。
戸田は事業破綻の影響が及ばないように創価学会の理事長職を辞任。
10月に戸田が新しく設立し、顧問となった、手形割引を主業務とする金融会社・「大蔵商事」(現:「日章」)に移動。
11月27日に営業部長に昇格し、業績を上げる。
1951年5月3日、戸田城聖が創価学会の第2代会長に就任。
5月に蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。
7月に戸田会長直属の青年部(男予部)が結成され、第4部隊の幹部長に任命され、間もなく第1部隊長になる。
1952年2月9月、戸田会長の信頼を得て、創価学会青年部の教育参謀に任命される、3月に参謀室長となる。青年部1万人総登山や、体育大会などの斬新な企画を立てる。さらに渉外部長に就任し、対外的交渉を行う。
5月3日に砂糖卸会社の重役の娘、香峰子と結婚。目黒区三田に住む。
8月27日、創価学会は日蓮正宗の信徒団体(法華講)でありながら、東京都知事の例外的措置をもって宗教法人の認証を得る。
1953年11月25日、25歳のとき長男の誕生を期に、正式に「太作」から「大作」に改名。
当時は創価学会の文京支部長の地位にあった。
1955年3月11日、北海道小樽市の小樽公会堂における日蓮宗身延派と創価学会との法論で司会を務める。
身延派を邪教と批判し、日蓮正宗の正当性を主張。
1956年7月、第4回参議院議員通常選挙において、大阪地方区を担当し、元プロ野球選手の白木義一郎を初当選させる。
1957年7月4日、参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、渉外部長として6万人の創価学会員に戸別訪問を指示したとする公職選挙法違反の疑いで逮捕され、大阪東警察署と大阪拘置所に15日間勾留される。(「大阪事件」)。
同年7月29日に創価学会幹部45人と共に起訴され、検察官より禁固10か月の求刑を受ける。
1958年3月1日、日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂落慶法要の後、戸田会長から後継指名がなされたとされる。4月2日 急性心衰弱により、戸田会長が他界(享年58)。
この頃、創価学会の総務を務める。
1960年5月3日、戸田の没後3年を経て、創価学会第3代会長に就任。
戸田の7回忌までに300万世帯の信徒獲得と邪教撲滅を目標に掲げる。
この当時140万世帯だった創価学会は、池田の指導の下、10数年後には、公称800万世帯を超える国内最大規模の宗教団体となる。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C)
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- 回答日時:2007/7/24 11:19:46
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