解決済みの質問

ぜんじろうってどこ言ったんですか?
dywgb533さん
ぜんじろうってどこ言ったんですか?
明石家さんまに良く似た、ぜんじろうという芸人が関西を中心に人気があったんですが、最近ぜんぜん見ないんですが、どこいったんでしょうか、知ってますか??
違反報告
ベストアンサーに選ばれた回答
tonboritottoさん
親元から離れたいが為の口実で、高校3年生の時に大阪芸術大学デザイン学科の入学試験を受験。
実技試験の内容は花瓶を描くというものだった。これに対し、ぜんじろうは花瓶のみならず教室全体までも絵にした。
面接試験時に面接官の教授から「なぜ周りの風景も書いた?」と聞かれたぜんじろうは、「見る物全てが芸術ですから」と答えた。
それに驚いた教授が「いつから絵を?」と尋ねると、今度は「中2の時スペインに行ってからです」と答えた。
教授から「私もだよ!」と賛同され、そして、倍率30倍という難関の同校入学試験に易々と合格してしまった。
嘘をついて合格を勝ち取ったぜんじろうは、「自分は口で仕事が出来るんだ」と思い込み、同校デザイン学科を入学後わずか2日で退学した。
その後、ぜんじろうは大阪で友人と遊んでいた時に偶然上岡龍太郎に出会った。本当は浜村淳の弟子になりたかったが、
ウケ狙いで上岡に「弟子にして下さい」と言ったところ、「ええよ」と返されてそのまま弟子になってしまう(ぜんじろうは断られると思っていた)。
その後、吉本興業に所属し、月亭かなめと漫才コンビを結成。
各局の新人賞を総ナメにするが、相方の情緒不安定が原因で解散(相方は解散後廃業)。
心斎橋筋2丁目劇場でしねしね団(後の吉本印天然素材)を結成するも、会社の意向で脱退させられ、HIP HOPアーティストとして月亭可朝の『嘆きのボイン』のカバーに携わった。
ピンでの活動当初は、顔が似ているという理由で“平成の明石家さんま”という触れ込みで吉本興業から売り出されていた。
その後、関西ローカルの深夜番組『テレビのツボ』で司会に抜擢されたことにより、瞬く間に関西での知名度が向上した。
一時期は『屋台の目ぇ』や『ぜんぜんこども』など複数の司会番組を抱え、多忙極まる日々を送っていた。
ぜんじろうよりも若手のお笑いコンビ・ナインティナインは大阪時代、一躍売れっ子になった彼からひどいイジメを受けていたという
事実を木曜深夜の『オールナイトニッポン』で告白したことがある。
本人の近年の番組やWeb媒体での発言によると、芸人としての後輩弄りだったと本人は語っている。
これを機にぜんじろうは東京へと進出し、全国ネットの番組を数本レギュラーに持った。しかし、東京で抱えた番組は全て降板となり、全国区進出に失敗。
再び大阪でローカル番組のレギュラーの仕事を抱えるものの、これらも短命のままに終わってしまう。
かつての溌剌さは全くと言っていいほど鳴りを潜め、完全にやる気を無くしていた。
そんな状態を打破する為、1997年からは活動の場を海外へと移した。修行と称し向かった先は、頼る者も全くいないアメリカ合衆国シカゴ。
留学の傍ら、世界各地で行った英語漫談等が好評を博す。映画『PP兄弟』にて、スティーヴン・セガールの実子・剣太郎セガールと共演。
海外の映画祭を中心に回っている。そして日本国内では、古くから親交のあるミュージシャン・種浦マサオと共に
芸人の枠を超えた様々な活動を展開したり、吉本興業主催の芸人コンクール『R-1ぐらんぷり』にも出場。
また、最近はNEC製のロボットと組んでの漫才芸を行ったことによってニュースにも取り上げられた。
現在、ぜんじろうはNHKの語学番組『えいごリアン』に出演中のコメディアン・マイケル・ネイシュタットと「スシブラザーズ」なる異色コンビを組み活動中。
他にも、毎月1回の定期公演を開催したり、自身のブログを開設して日々の活動内容を一般に向けて公開するなど、
かつてのぜんじろうからは考えられないほど現在は真剣に活動に取り組んでいる。
~ウィキ~
現在は真剣に活動に取り組んでいるそうですが、これを読むと、何だか人生ナメきっているような印象を受けますね。
-
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- はい
- いいえ
お役立ち度:
4人中 1人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
- (2件中1〜2件)
質問した人からのコメント