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礼儀とは? 礼儀が無い人に対して苛立ちを感じるのはなぜでしょうか。礼儀の概念...
礼儀とは?
礼儀が無い人に対して苛立ちを感じるのはなぜでしょうか。礼儀の概念とはそもそも何でしょうか。
マナーとも違う気がします。礼儀作法という言葉がありますが、マナーは、作法に該当すると思うのです。
- 補足
- 皆様ありがとうございます。礼儀という言葉の意味合いについて理解できた気がしています。
その上で、礼儀というものをどう捉えるべきなのでしょうか。
例えば、olijf_kulukuluさんのご回答内容をお借りすれば、相手に対して何かをする時は繊細であり
何かをされる時は鈍感になれれば、礼儀によって誰も不快な思いをすることはないとも考えられます。
繊細、鈍感になることも、礼儀に対する捉え方でコントロールできると思うのです。
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- 質問日時:
- 2008/6/23 21:20:29
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- 解決日時:
- 2008/7/5 03:58:51
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ベストアンサーに選ばれた回答
>礼儀が無い人に対して苛立ちを感じるのはなぜでしょうか。
これがすでに回答です。他人を苛立たせない為にあるのが「礼儀」です。
「子曰く、礼といい礼という。玉帛をいわんや」とあるように、本来はその形式よりも、
相手に気づかう心根の在り方が問題だったのでしょうが、中国などの多民族国家では習慣もタブーも違うので、
統一したルールがあったほうが円滑であろう、という事で、「作法」が生まれ、「礼儀」と結びついたのでしょう。
本来、礼儀作法が必要な関係は、必ずしも友好的なものではなく、落ち度があったり、敵意があると見なされれば、
殺し合いにもなり兼ねないものです。
武道が礼に始まり、礼に終わると言われているのも、精神論ではなく、実際に、誰かと向き合った時に、
相手に殺意があったとしても手を出させない隙の無い立居振舞ができるかどうかと言う事です。
西洋でも、握手で利き腕を預ける事や、食事中に手をテーブルの下に入れないのは、武器を持っていない、敵意がない事の証明です。
言い換えるなら、礼儀とは精神性を伴ったサバイバルテクニックです。
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- 回答日時:2008/6/25 09:11:24
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礼とは本来は「法則」「ルール」に似た言葉だったようです。
ただ難しいので孔子が現在のような概念にしてしまった(余計わからなくなった)ので、
質問になったのだと思います。
直訳すると「礼儀=形式した法則、ルール」
ルール違反のため、イラッとするんでしょうね。
簡単に書くと上記のような言葉なのですが、
本当に「礼」と言う言葉の本来の意味について知りたい場合、これがまぁ非常に難しくなります。
本当に知りたい場合、鄭の子産でググッてみてください。
孔子は、なんてバカなこと(余計な事)したんだろう。と思います。
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- 回答日時:2008/6/25 18:12:02
nfcbp313さん
非常に重要な視点だと思います。
「価値を問う」質問は多いのですが「価値を生かす」質問というのは少ないようです。
価値を問う議論においては、常に言葉の意味の問題が付きまとうため、
十人十色である解釈と用法の押し付け合い、つまり正しさの押し付け合いとなってしまい、
なかなか本質的な議論には発展しません。
(議論の参加者が十分に理性的であればそのような心配は不要なのですが)
どのような価値を共有し得て、どのような価値を生み出せるのか、が重要なのです。
その意味においてこの質問が投げかけている意味に賛同いたします。
と、いきなり話がそれてしまいました。申し訳ありません。
何らかの理解に繋がることを祈って私の理解するところを記載させていただいます。
既に「礼儀」については大変よい回答が得られており
冗長な部分があるかもしれませんがお許しください。
(私なりの言い回しを使うので細かいところは気にしないでください)
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そもそも、「礼」とは「仁」を成す行為のことです。
「礼儀」とは「礼」の「儀」、つまり礼の形式化のことです。
引用を使うのはあまり好きではないのですが、
「礼の用は和を以て貴しと為す」という言葉があります。(孔子の弟子の言葉)
この意味からすれば礼の目的とは、「和」であるといえます。
「和」を「仁が成された状態」のことだと捉えると、
「礼儀」とは、「仁」を成すために形式化された行為のことといえます。
真なる意味での「和」とは「合一」「一体化」のことです。
これは「愛」であり、つまり「和」とは「愛である状態」のことです。
「愛」と「仁」は同義語ですので、礼は愛を成す行為ともいえます。
さて、ようやく本題です。
「礼儀をどう捉えるか」についてですが、
上で述べたように、「愛を成す行為」として捉えるのがより本質的だと考えます。
(愛についての議論はここでは横に置くとして)
愛は思慮深く寛容なるものです。
「相手に対して何かをする時は繊細であり、何かをされる時は鈍感」
の説明になるかと思います。
また、愛をどう捉えるかによって礼儀の捉え方は変わるでしょう。
つまり、この視点に立った場合、
どのように礼儀を捉え、どのように高次なものに引き上げるかということは、
愛をどう捉えるのかということと同義でもあります。
愛についての理解が礼儀をより高次なものへと導くのです。
愛の理解を広げ深めること、これなくして礼儀の存在を確固たるものにはできません。
礼儀作法というのは理解とは関係なくある種の枠組みを設けることであり、
一時的な効果はあるものの、本質的な解決にはなりません。
ただ、知恵として重要なファクターである事には変わりありませんが。
(理解を促す役割も果たすことを考えれば意味は大きいのですが)
結局のところ、これらの説明も言葉の意味の問題なのですが、
「どのような価値を共有し得て、どのような価値を生み出せるのか」です。
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- 編集日時:2008/6/25 00:51:45
- 回答日時:2008/6/25 00:37:58
繊細な人が鈍感な人に「鈍感すぎる!」と感じる
鈍感な人が繊細な人に「繊細すぎる!」と感じる
そこから礼儀がきている気がします。
---超繊細人・繊細人・普通人・鈍感人・超鈍感人---
の場合、鈍感人の2人なら礼儀を意識しなくてもいいんでしょうが、
鈍感人と普通人の2人なら、鈍感人が少々意識しないと、普通人が苛立ちます。
超鈍感人と超繊細人の2人なら、超鈍感人がかなり礼儀を意識しないと超繊細人は苛立ちます。
でも超鈍感人が超繊細人の上司なら、超繊細人は・・・ってしつこいですかね。。
自分よりも繊細な人の気持ちをくむのが礼儀?
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- 回答日時:2008/6/24 01:28:36
ranets_eさん
人間は言葉以外でもコミュニケーションを行っています。言葉以外のコミュニケーションをノンバーバルコミュニケーションといいます。
ノンバーバルコミュニケーションは、言葉よりも古い起源をもっています。具体的には、身振りやしぐさを指します。
礼儀作法は、こうしたノンバーバルコミュニケーションを長い時間をかけて社会的に構成したものです。
相手に対して、敵意を持たないこと、害を与えないことを伝えるのが大きな役割となっています。
礼儀作法は文化に組み込まれているので、同じ文化を共有する相手に意味が通じます。
そのため、礼儀作法に反した身振りは、相手に対して不快な印象を与えます。
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- 回答日時:2008/6/23 22:51:14
tokkei_mさん
礼儀もマナーも目的は同じで、「相手に対する気遣い、心配り」にほかなりません。
こういう場合、相手はなにを望んでいるのか?
こういう場合、相手はなにを不快に思うのか?
本来、礼儀もマナーも、そういった想像力を常に働かせていればいっさい必要ないものです。
けれど残念なことに、そういった想像力を働かせることができない人がたくさんいるのが現実です。
そんな現実でもなるべく和やかなものにしたいですから、ひとつの基準として、マニュアルとして、
人々は礼儀やマナーという教則を整えてきたのです。
ですから、形式化したマナーや礼儀で人を威圧するような行為は、本来的な意味からいったら
礼儀やマナーに反する行為であることは言うまでもありません。
ただ、国や民族によって習慣は大いに変わってきますから、異文化交流の上ではとても助けになる
ありがたい存在でもあります。
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- 回答日時:2008/6/23 22:38:48

