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「山月記」について質問です。 なぜ李徴は虎になってしまったのですか?

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質問者

torinabeumaiさん

2008/12/509:45:52

「山月記」について質問です。
なぜ李徴は虎になってしまったのですか?

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編集あり2008/12/1014:39:52

山月記は唐代怪奇に出てくる人虎伝を下敷きにしたものでしょう。中島敦は人虎伝を自分流に変型してますね。山月記に出てくる李徴はもしかしたら中島敦自身のことじゃなかったのか?
山月記だけではいくら自己中で人間味に欠けるとはいえどうして虎にまでおちぶれないといけないのか納得できないです。人虎伝だと納得できます。

人虎伝にはしだいに精神がくずれ凶暴性を帯びてきて普通の精神状態が一日に数時間しかない。だんだん虎にされてゆく悲しさが描かれてますよね。 友人から何故虎になったか聞かれたとき虎は答えてます。

「南陽の郊外で、かつて私は一人の未亡人と密通した。その主人がひそかに気がついた。そして、いつも私を殺そうとしていた。未亡人はそれから二度と会おうとはしなかった。だから、私は風を利用して火を放ち、一家を焼き殺して逃げた。これが原因だろう。」と答えています。一家を惨殺した報いで畜生に堕とされたのだと。

李徴は人から怖れられる人喰い虎に変身しましたが、牛、馬、豚、魚じゃないのですよね。あるいは蛇、ダニ、寄生虫、ハゲタカでもないのですよね。

自己流に考えますと。李徴みたいな人はトラ害でしかなかった。李徴は虎だから下積みの苦労はしません。名誉が一番欲しいのです。気に入らないとすぐ噛みつく。回りの者はいつも噛みつかれ虎と生活してるような気持ちがした。李徴は本当は詩で名声を得て天翔ける龍になりたかったのです。
だけど詩で名声得るのは死んでも無理です。盛唐の時代ですから天才がひしめいてて王維、李白、杜甫などスーパースターばっかりで李徴が入り込める場所がありません。

そもそも性格にスター性がありません。虎になったあと友人と再会して20篇の詩を手渡しますが。それは格調高く深遠な詩で友人は何度も驚いたと人虎伝には書いてあります。

山月記では違ってて李徴の詩は第一流となるには微妙に欠けるものがあったと書かれてます。家族愛の欠如、人間性の欠如。自分の才能を信じきれず、不断の努力をしなかった努力の欠如。

焦っても焦っても名声得られず精神に変調きたし終に気が触れた時、
童僕を叩きのめしてえらく速く疾走すると思ったら毛が生え異類の王になってた。
王族出身で20歳で進士に合格して虎榜に名を連ね、人生のピークが20で来てしまった。

人と交わって自分の才能のなさを知られるのを恐れ人から遠ざかってた。こうした「尊大な羞恥心」「臆病な自尊心」という性情を飼い太らせた結果、己の身にふさわしい虎になってしまったのだ。これが中島敦の解釈です。

虎の今、月に向って吼える。
虎は死して皮を残します。李徴は死んで詩を残したかったのでしょか。

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