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江戸時代の両替について

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質問者

ppipippipiさん

2009/8/1306:01:15

江戸時代の両替について

両替商の仕事は、「江戸の金遣い、大坂の銀遣い」なので江戸と大坂の間に立って、両替をすることだと思いますが、後で南鐐二朱銀が出ていたことからも、不便だったのだと言われます。
たとえば、どういう風に不便だったのですか?どういう手間が不便なのでしょう?
不便ならどうして一つに統一しなかったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

syakasaburouさん

2009/8/1507:10:58

お金のことは複雑でうまく説明できるか分かりませんが…。

当時は3種類の通貨が流通していたことになります。「金」、「銀」、それと「銭」です。

この3種類は毎日「交換レート(=交換比率)」が変動しているため、いってみれば日本国内で「円」と「ドル」と「ユーロ」が一緒に使われているような状態です。ものすごく不便ですね。
東国と西国で商売をするときは、その日のレートを確かめて有利な条件で取引することを考えなければなりませし、両替商に差し引かれる手数料も計算しなければなりません。

こうなった理由として、もともと東日本と西日本では「違う国家」とも言えるほどの文化的違いがあり、昔から東では金、西では銀が使われてきたという歴史的背景があります。

現在だったら、「紙幣」を発行して統一してしまうということが可能でしょうけど、当時はそうはいきません。
昔の人の頭には、「『お金そのもの』に価値が無ければ信用できない」という意識があったからです。

そもそも我々の使っているお札は「ただの紙切れ」なのに価値があるのはおかしいと思いませんか?
江戸時代の人もそう考えるでしょう。貨幣=価値のある物(金や銀などの希少な金属)でなければならなかったのです。

なので、「金」「銀」統一のためには、流通している「金」をすべて回収し、代わりに「銀」に入れ替える(あるいは逆)~という作業をしなければなりません。
そんな「銀」(あるいは「金」)はなかったでしょうし、人々を納得させて全国規模でそれを行うことも不可能だったでしょう。
そして何より、両替の「手数料収入」で儲けている両替商が猛反対したでしょう。

質問した人からのコメント

2009/8/17 15:04:57

ありがとうございました。
新たな疑問点が出てきたので、また質問させて頂いたとき宜しくお願いいたします。

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

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