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均田制・租庸調制・府兵制について詳しく教えてください><

pi_ma_n00さん

2011/10/3100:13:52

均田制・租庸調制・府兵制について詳しく教えてください><

隋と唐の均田制・租庸調制・府兵制の違いとは何でしょうか??

なぜ、どのように変わったのか詳しくしりたいです。(隋~唐の均田制・租庸調・府兵制が崩れるまで)

例えば、唐の太宗の頃の均田制はなぜ農民に均等な田畑を与えたのでしょうか??

隋の頃の均田制はどのようなものだったのでしょうか(牛に与えなくなっただけ?)

均田制・租庸調制・府兵制が隋、唐と農民にとってどのようなものだったのか教えて頂けないでしょうか。

また、この3つの制度の関わりが理解できていません。

何で均田制が租庸調制と関係あるのか?府兵制もなぜ関係あるのか分かりません。

流れ、内容が全然理解できていたいため、この3つの制度の1つでも崩れると成り立たない理由が分かりません。

どなたか教えていただけないでしょうか。お願いします。

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bap960428さん

2011/10/3121:24:26

ちょっと、まとめにくいですね。

もう少し前からいきます。均田制自体は北魏という王朝から始まります。もともと、遊牧の民族が立てた国なので、税についてあまりしっかりした制度がありませんでした。しかも、漢人が農耕に従事するのを鮮卑が搾取するような印象でいいのではないかと思いますが、北魏は、中華を統一、もしくは恒久的に支配するには、この土地にあった制度をつくるべきだ、と考えたのでしょう。他の制度とあわせて、均田制が実施されました。これで、これまで住所不定だった流民なども戸籍に登録されることになり(そうしないと、田畑を支給できないですよね)、戸籍に登録される、ということは、人口が把握できることになります。そこで、確実な税収が見込めるようになったわけです。ついでに、徴兵もしやくすなります。なぜなら、戸籍が把握できるのですから。

これが、隋唐にも続いたわけです。しかし、問題がありました。南北朝時代という時代は、貴族全盛の時代です。貴族たちはたくさんの小作や私兵を抱えます。彼らの領地は荘園にあたり、そこで生活する小作らは、戸籍に登録されません。北魏均田制は、牛や奴婢にまで田が与えられましたね。これは、貴族・豪族の力を無視できなかったからです。



それから、租庸調が均田制と関係ある、と考えてはややこしいです。均田制の中に、租庸調が含まれているとお考えください。農作物だけしか作らさなかったら、だれが衣類などを加工するのでしょう。税を品でしかとらなければ、どうやってインフラを整備するのでしょう。つまり、租庸調とは、税の種類を呼び分けたものであって、基本は均田制という制度のもとに行われているのです。桑田とか麻田とかという言葉が、均田の中にありませんか? 桑はカイコの食べ物です。つまり絹織物にはかかせません。麻も繊維から織物をつくります。さて、租・庸・調のどれが織物でしたかね。

しかし、なかなか思うようにいかないのが税制というものでして、均田制にも問題がありました。北魏は、後に反乱などで大混乱になり、戦乱をさけて流民が出たり、稼ぎ頭の父親などが戦死、または行方不明になると、決められただけ納税できなかったり、あるいは収税できなくなります。
結局、北魏は東西に分裂して、それぞれまた別の国になるのですが、西のほうは、東より人口もすくなく、耕作地も少なかったのです。東は遊牧民を先祖にもつ、あまり農耕をしない、ずっと戦争に出れるような兵士が多かったです。そんな中で、西のほうの国は、東や南朝に対抗するのに、均田制と徴兵を同時に行っていては、年がら年中戦争をしかけてくる国々と戦ううちに、農地がさらに荒れていきます。当然ですよね。働き手の男は戦争に行くわけですし、死んでしまうかもしれません。

そこで、この西魏という国は考えました。なら、均田制で租庸調を納める家と、兵隊専門の家に分けよう、と。
これが府兵制です。各土地ごとに、兵たちが集団で登録される役所(府)をつくり、軍事専門の機関として機能させたんです。戦争のないときは訓練したり、パトロールしたりするのがしごとで、租庸調の税は納めなくてよかったのです。そのかわり、武器や鎧は自分でそろえていました。したがって、府兵は農民ではなく、職業軍人です。均田制のもとに戸籍に登録される農民とは別の戸籍に登録され、府兵たちは、農作物などではなく、戦うこと自体を税として納めたのです。

で、この西魏の孫にあたる王朝が隋で隋の制度をほとんどそのまま活用したのが唐ですから、隋唐の均田制は租庸調や府兵制とは切り離せないのです。

均田制が崩れるということは、その納税法にあたる租庸調がくずれ、税収と食料が確保できなければ兵士は戦えません。納税法が崩れれば、つまり均田という制度が機能されなくなりますから、税収と食料が確保できないので兵士は戦えません。府兵制が機能しなくなれば、つまり農民が戦うしかなくなり、農業に専念できないので均田も租庸調も崩れますね。


奴婢に支給しなくなったのは、貴族政治を終わらせたかったというのもあるでしょうが、別に自分の荘園で大規模農業などをしなくても、しっかり収入があったからでしょう。隋が唐と北魏の制度の中間なのは、その過渡期だからです。

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2011/10/3101:18:51

■じゃあ、流れ担当で(笑)。
■もしもあなたが農民だとしましょう。土地あげるから畑耕してね、そして収穫高の半分(大げさかもしれませんけど)国に納めないよ!と命じられたとしましょう。最初は自分の土地が持てた~、万ざ~い♪。天候も順調で豊作、ならいいかもしれませんが、天候不順などで思ったとおりの収穫がないのに、納める分はいつもと同じ…。取り立ては厳しい…。さあ、あなたならどうする?逃げるしかないかな?
■政府の側からすれば、農民が逃げた→予測通りの税収が見込めない。
■その税収が、兵隊の給与だったりすると、兵士の給与も払えない。
■たとえて言えば歯車の中に、小石が入っただけで回らなくなるのと同じです。負担が重い農民の逃亡→税収ダウン…。私はこんなもんで。

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