解決済みの質問
ポンペイの石膏像は人工的に石膏を流し込まれたんですか? それとも自然にでき...
ポンペイの石膏像は人工的に石膏を流し込まれたんですか?
それとも自然にできあがったものなんですか?
もし人工的に作られたものなら、誰によって石膏を流しこまれたのでしょうか?
-
- 質問日時:
- 2012/1/31 02:03:42
- ケータイからの投稿
-
- 解決日時:
- 2012/2/14 12:34:52
-
- 回答数:
- 4
-
- お礼:
- 知恵コイン
- 25枚
-
- 閲覧数:
- 85
-
- ソーシャルブックマークへ投稿:
- Yahoo!ブックマークへ投稿
- はてなブックマークへ投稿
- (ソーシャルブックマークとは)
ベストアンサーに選ばれた回答
AD79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたポンペイの町が、18世紀に発掘が開始されました。
その時犠牲になった人の体が、熱した火山灰の中で消失したりして無くなり、人体の形に空洞が出来ているのが発見されました。
そのことに気が付いた発掘者(もちろん考古学者)が、その形を取ることを思いつき石膏を流し込んで石膏が固まったところで火山灰から掘り出した物です。
その石膏の姿から、如何にすごい早さで火砕流が襲ったがわかります。
同じような物が、浅間山の噴火の時に出来た樹木の空洞が残っています。
以下Wikiから引用
「浅間山熔岩樹型 [編集]
天明3年の浅間山大噴火の際、火砕流が発生して群馬県側に流れ、原生林に到達。高熱の火砕流は木を包み込むように流れ、生えていた樹木が燃え落ちた。やがて木の燃えかすが朽ちて井戸のような穴だけが残ったものである(「溶岩樹型」という名称ではあるが、実際には火砕流によって形成されたものであることがわかっている)。嬬恋村には樹型が数百個見つかっており、そのうちの約百個は嬬恋村教育委員会の手によって樹型内に溜まった土や枯れ葉を定期的に除去する保護活動と周囲の整備が続けられている。樹型の大きさは直径数十センチ、深さ1メートルほどの小さなものから、大きなものでは直径2メートルを超え、深さが5メートル以上に及ぶ巨大なものまである。樹型内にはヒカリゴケが群生しているものもあり、整備された区域では樹型と併せて容易に観察することができる。 昭和15年(1940年)8月30日、国から特別天然記念物に指定された。」
- 違反報告
- 回答日時:2012/1/31 16:00:47
この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:
0人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
(3件中1〜3件)
- 並べ替え:回答日時の
- 新しい順
- |
- 古い順
石膏を流し込んで作りました。
亡くなった人の上に、火山灰が降り積もりました。
長い時の間に灰は固まり、遺体は腐敗し、遺体の形に空洞ができました。
発掘時、そこに考古学者たちが石膏を流し込みました。
- 違反報告
- 回答日時:2012/1/31 02:13:16
ポンペイはAD1世紀ごろのイタリアの都市でしたが、ヴェスヴィオ火山の噴火によって火山灰で埋まってしまいました。
発掘された石膏像はそれ以前に作られたものです。
- 違反報告
- 回答日時:2012/1/31 02:11:25

