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中国の三大悪女の呂后・則天武后・西大后の誰が1番悪女かという話題で呂后が圧倒...

kawanonagaraさん

中国の三大悪女の呂后・則天武后・西大后の誰が1番悪女かという話題で呂后が圧倒的に上位なのが多くてびっくり

私はこの中で圧倒的に悪女なのは間違いなく則天武后だと思ってますので。
確かに呂后は夫の側室の手足を切り目を潰して便所に捨てるという悪行しましたが、その被害者の戚夫人が一方的な被害者だったかいえば全然違うじゃないですか。
呂后は糟糠の妻で夫の天下取りの中、項羽の人質にされたり苦労して皇后になった人で、彼女の息子が跡取りなのが当然なのに、夫が皇帝になってから作った若い愛人の戚夫人は、その呂后の息子を廃して自分の息子を次期皇帝にしようとした人間なので、殺され方自体は悲惨だけど、殺されて当然な人間でもあったわけです。
反して則天武后は側室の身でありながら、自分が皇后になるために、急死した娘(則天武后が自ら殺したという説すらあり)を利用して皇后を陥れ、最終的に皇后や自分より格上の側室のライバル達の手足切断するという暴挙に及んでいます。
呂后の戚夫人殺しは、彼女が側室から受けた仕打ちを思えば情状酌量の余地あります。
でも則天武后の正妻や上位の側室殺しにはそれがありません。
則天武后は政治能力があったらから、それを相殺してという意見もありますが、それをいったら呂后の治世も民衆は平和に暮らしていました。
なぜ、悪さをした側室を虐殺した呂后が、悪行してない正統な正妻たちを虐殺した則天武后より悪女だと思うのでしょう?

補足
補足しますが、則天武后は中国どころか下手したら世界三大悪女レベルだと私が思える理由は、なんといっても我が子すら殺害しているからです。
少なくても呂后は子供を害してはいません。
愛人殺しも元をただせば廃太子されかけた息子を守る為にやった粛清が過激になった結果ですし。
我が子まで殺せるなんてこれは弁護のしようがないかと
  • 質問日時:
    2012/2/12 10:45:47
  • 解決日時:
    2012/2/18 15:26:15
  • 閲覧数:
    6,098
    回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答

goodpopadviceさん

呂后を最大の悪女と言うのは反対、と言うあなたの意見には同意します。
一方で呂后は庶民に対し大幅な減税、刑罰の緩和、思想の自由などの政策を行っています。

ただ、自分としては西太后が一番悪女だと思います。

則天武后もかなりあくどいですが、それまでの貴族政治を改革して科挙で登用した官僚たちを抜擢し政治に新風を吹き込んだとも評価されています。

西太后はどうでしょうか。息子の同治帝や甥の光緒帝を散々虐待して早死にさせています。ライバルの東太后を毒殺しています。光緒帝の愛妃だった珍妃を宦官に銘じて殺しています。

権力を握ってからは国費を乱用して民衆とは無関係の豪華な頤和園を建造したりして自己の遊興に費やしています。
光緒帝が変法自強運動に賛同して戊戌の変法を行うとたちどころに妨害し弾圧しました。

さすがに晩年には反省して政治社会改革に乗り出しますが既に遅く、成果が見られる前に死にました。改革がなる前に清朝自体も無くなりました。まさに清朝滅亡の元凶であり死神でした。
呂后や則天武后はその死後も漢や唐は隆盛を続けているので西太后の悪行は明らかです。

呂后や則天武后と違って、彼女には女性特有の優しさというものが欠如した欠陥人間と思え、まさに毒婦としか言いようがないと思います。

ベストアンサー以外の回答

(1件中1〜1件)

 

bap960428さん

西太后はあまり知らないので置いておきます。

呂后と則天武后の違いは、その一党、もしくは血縁者がのちの政権にかかわったか否かだと思います。

呂氏一派は、陳平や周勃らによって一掃され、文帝以降には呂后の血が入っていません。対して、則天武后の場合、彼女が老いて政権の持続が不可能となった時、息子(中宗)に政権を返し、その息子の皇后であった韋后一派がかなりひどい政治を行ったあと、彼女の勢力を一掃して父の睿宗(中宗の弟で、彼も2度目の皇帝位)をうちたてたのがのちの玄宗です。つまり、玄宗の祖母にあたるのが則天武后で、彼女の血筋は脈々と唐室に流れています。あと、呂后の子らよりも斉王の劉肥のほうが年上のはずで、ということは、劉肥の母は呂后よりも早く高祖の妻になっていたと思われます。呂后は、苦労もしていますが、結局家柄で皇后になっているという側面もあるはずです。


今に伝わる当時の世論は、基本的には貴族・官僚・豪族といった人たちのもので、平民の息遣いなどは『正史』や『資治通鑑』からはほとんど見えない、と言ってい良いと思います。世論を形成するのは、士大夫層≒知識人階級であり、一般平民の声は、当時の人には聞こえていたでしょうけど、よっぽどのことがないと歴史に出てこないので、我々にはほとんどわかりません。

その3名が悪女とされるのは、平民の感情からではなく、官僚側の倫理道徳の観点からだと私は思います。その点、時代がぐんと近い西太后はちょっと除外していいと思います。

なので、権力を一時手中にしたものの、死後に名誉が回復される機会の少なかった呂后が一番の悪女とされるのでしょう。

で、もし、その話題が現代人によるものだとしたら、それはやはり史書の影響が今にまで尾を引いているのだと思います。




まぁ、私は北魏の霊太后の、いわゆる「悪女さ」はその3人を超えていると思いますし、特に3人がきわめつけの悪女だとも思いません。人間としての闇の深さとか、政治手腕とか、いろんな意味での魅力は、私は則天武后が一番だと思います。




補足を拝見しました。
わが子を殺す。呂后も結果的には息子を死に追いやっています。間接的に、ですけど。
それから、子殺しをしたから悪女というのは、私は賛同しかねます。劉邦は自分が助かるために呂后の生んだ娘と息子を馬車から投げおろしました。漢武帝は皇太子を殺しています(犯罪を犯したことになっての殺害ですが、のちに冤罪だと判明しました)。他にも、じぶんの子を殺そうとしたり、実際に殺した人物はいます。その、歴史上たくさんの中の一部だけを取り上げて、だれが一番悪女だ、と議論を交わすことに私は違和感を覚えます。

確かに、子殺しは重大な事件です。しかし、親殺し、兄弟殺し、また他人でも、殺人はすべて重大なことだと思います。戦争や、犯罪者への裁きはとりあえずわきに置いておいて、たとえば皇太子の死後、皇太孫らを反乱から守るために何万人も粛清した明の洪武帝は恐るべき大悪人ではないのでしょうか。子や孫への愛情があれば、数万人の殺戮よりも、一人二人のわが子の殺人のほうが罪が重いのでしょうか。「悪女」と、わざわざ女性という扱いをしなくとも、殺人にはかわりないのであって、あえて悪女と区別する必要性を感じません。

心情としては、則天武后はひどいことをした、と感じる部分も確かにあります。しかし、それは現代日本の我々の感覚であって、文化も倫理観も違う大昔の別地域の知識人階級(支配者階級)の感覚とは異なる部分があるであろうことは、念頭に置くべきだと思うのです。これは、追記前にも書いたとおりです。


誤解のないように再度書きますが、質問者さんのおあげになった3人が善人である、と言いたいわけではありません。悪人の要素は十分にあるのでしょう(西太后のことを知らないのでこういう書き方になります)。しかし、戦争や犯罪者をさばく場合は置いておいて、誰を殺そうが何人殺そうがそれは殺人というくくりであって、その相手によって、感情面はともかく、その罪の軽重を量るべきではないと思うのです。刑罰・感情のことは置いておきますと、金銭面での犯罪は、全く元通り、というわけにはいきませんが、少なくとも償いはできるでしょう。ですが、失われた人命は償えません。これは、子でも親でも兄弟でも他人でも共通です。
その点、3人、少なくとも、呂后と則天武后は同レベルであると言っていいでしょう。で、順位をつけるときに、現代日本の感覚ではなく、古代の史家の感覚が必ず入るので、のちの皇帝に連ならない呂后が一番の悪女とされることは仕方がない、と私は言いたいのです。



後は、ぜひ北魏の霊太后も調べて見られてください。彼女は歴史の敗者なので悪しざまに書かれているだろうという点は考慮すべきでしょうが、呂后や則天武后(西太后も?)のように、弁護できるような余地が私には見出せません。

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  • 編集日時:2012/2/13 10:38:18
  • 回答日時:2012/2/12 21:32:48

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