解決済みの質問
金子みすずの詩で『みんな違ってみんないい』というフレーズが出てきて、世間でも...
金子みすずの詩で『みんな違ってみんないい』というフレーズが出てきて、世間でもこれに似た多様性みたいなものを寛容しようとする言葉が流行っています。
一方で養老孟司が『みんなが笑ってる中、1人だけ泣いていて、その理由が共感できないものなら、その人は個性があるが、精神的におかしい』『日本人は羊』『脳はみな同じ、体に個性が現れる』としていて、人間性の差異は金子みすずのような、とあるコミュニティーでのやりくりの中で生まれるキャラクターではなく、先天的な体に現れる、としています。
個性を金子みすずは世俗的、養老孟司は厳密に捉えてますが、どちらに共感できますか。
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- 質問日時:
- 2012/2/13 14:05:54
- ケータイからの投稿
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- 解決日時:
- 2012/2/20 17:58:53
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ベストアンサーに選ばれた回答
てか、女性的と男性的と考えたほうが良いかもしれませんね。
「みんな違ってみんないい」というフレーズは、逆に言えば、違っていることがネガティブであるという現実を述べているとも言えますね。下記の方が述べているカルト的集団のなかにおいて、共感しても良いのか?という部分に関しては、あえて「良い」と答えておきましょう。というのは、私達の持っている常識というものは、結局、その集団にある共感がベースになっているからですね。キリスト教がベースになっている中で、コペルニクスだのダーウィンだのが、聖書に全く反することを言うのは「精神的におかしい」のです。そりゃそうですよね?。しかし、かつて「精神的におかしい」とされていたものが、現代では「普通」になっているわけです。これは、精神医学の世界では、あれこれ実験されています。
ただ、私自身、生物学・神経科学の世界を学べば学ぶほど、「精神的におかしくなっている」ように思えることはありますね。現代の生物学・神経科学の見地を理解して、また自分自身において実感を強めていくと、俗世とは違った感覚を得ますので、「精神的におかしい人」になっていることになるし、実際、ちょっとおかしいと自覚があります(笑)
客観的により真実に近いことが人間の望んでいることはではないのですね。人間が望んでいることは、共感すること、集団に認められること、集団からハブにされないことです。ですから、通常、「みんな違ってみんないい」なーんて詩を読んで一人で癒されている人がいても、一歩外にでたら、他人とそっくりでありたい、他人は自分と同じであってほしいとおもうものなのです。
これは神経科学の世界で言えば、ミラーニューロンという細胞があることが1つの理由として考えれますが、生物学的にそうしたことを望むのですね。ですから、金子みすずさんの詩は、やっぱり「詩」なのです。キャラを創るというのは、個性を出すということを意味しているわけではなく、単に、演じることによって集団に帰属しようとしているだけの話です。
私は、どちらにも共感できませんね(笑)まあ、東大医学部の教授にたてつく気はないですが、養老先生の思想ってのは、古いと思います。あの人が持ち出す哲学って、なんか、もうそんなの古くない?ってのが多すぎるのですね。ご興味があれば、ダニエル・デネットあたりを読んでみてください。もっと先に進んでいますよ。
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- 回答日時:2012/2/13 14:49:44
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ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
養老孟司先生の言葉に対する典型的反論は
オウム真理教やナチスドイツの熱心な信者の中で周りと同じ反応を示す人が正しいのか?
ということです。
同じでない(平和な人の中に連続殺人鬼の考え方をする人)発想をする人も怖いですが
違ってないということもまた同じように怖いのです。
ケースバイケースとしか言いようがありません。
違ってないために起こる惨劇を考えた場合、適度な違いは集団にとっての安定剤だと思います。
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- 編集日時:2012/2/13 15:57:13
- 回答日時:2012/2/13 14:15:07


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