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tan********さん

2017/3/2715:55:56

戦国時代に神社の勢力はそれなりにありました。
が、戦国武将と対立した形跡があまりないんですね。
むしろ戦国武将は、仏教勢力の対抗勢力として神社を利用していたようで。
毛利元就と毛利一族が厳島神社を信仰し、社殿や大鳥居を寄進するなどの保護を与えていたのは有名な話ですが、尼子家は出雲大社(当時は杵築大社と呼ばれていた)の社殿を修復していますし、織田信長も熱田神宮を優遇し、戦勝祈願を行ったり、所領を寄進していたりしたようです。

勿論、例外もありまして。
大友宗麟の舅である奈多鑑基は、宗麟の命令を受けて宇佐八幡宮を焼き討ちし、宮司の一族が北九州市の辺りまで避難するという事件を起こしています。
また、信濃の小笠原長時は、1548年、諏訪大社の御柱祭りの最中に二度に渡って諏訪に侵攻しています。
さすがに二度目の侵攻では、大切なお祭りを二度に渡って邪魔されたことで怒り狂った諏訪の民衆や地侍達の逆襲を受け、フルボッコにされてしまい、ほうほうの体で逃げ出した末に知らせを聞いて駆けつけてきた武田信玄との戦に負けて信濃から退げ出していますが。

yas********さん

2017/3/2715:55:07

神社も寺と同じように所領を持ち僧兵に該当する神人がいて当然武装していました。越前の気比神宮は朝倉に与したので信長によって焼き討ちされています。

u_u********さん

2017/3/2715:34:41

下の方も答えていらっしゃるとおり、明治維新の神仏分離令より以前は神仏習合が基本で、多くの神社はお寺の境内や敷地内にありましたし、大きな神社も神事は行うものの仏教徒でした。ちなみに天皇家も仏教徒。宗派も信仰心もさまざまですが、とりあえず日本に住む人々は何かしら仏教徒だったのです。

神社に関していえば、もっとカジュアルなものだったと考えていいと思います。ただ、神社へのお参りがなかったかというとそうではありません。神社神道は東アジアの豪族によく見られる社稷祭祀という氏神信仰(先祖信仰)を基本といますから、多くの武将たちは自分の一族に関連する神社に頻繁にお参りに行きますし、武器や鎧の奉納も頻繁に行います。決して、神社が無視されていたわけではないのです。

イメージとしては、仏教=正統、中央、権力、法力(宇宙の真理や秩序)に対して、神社信仰=傍流、地域、武力、神通力(自然のもつすごい力)という感覚でわけていたと思うとわかりやすいと思います。

nic********さん

2017/3/2715:13:40

神仏混淆といって、明治以前は仏教も神道もゴチャです。
お寺に神社が付属しているか、神社にお寺が付属しているのが普通でした。
伊勢神宮にも神宮寺があって、坊さんが「天照大神=大日如来」にお経を上げて供御していました。

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