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och********さん

2018/2/2118:42:11

仏教の教えは人として共感できる部分はありますが、葬儀に関してだけ言えば、私も必要ないものでいっぱいだと思いますよ。
結構な数の寺の僧侶や住職を知っているものとしては。彼らにはなんの有り難みも覚えませんしね(笑)
ただの酒飲み助平ジジイみたいなの多いんで(笑)

だから自分の時は、伝統文化として、葬儀の形式は受け入れますが、本当戒名なんて要らないし、いっそのこと坊さんも要らない。
身内がお経あげてくれたらそれで良いです。お経は何となくですが、私には染み付いているので欲しいです。
浮かせたお金で、お世話になったみんなに美味しい食事やお酒を振舞って欲しいですね。最後にありがとうと言いたい。

ところで。そもそも戒名って死んでからつけるもんじゃないし、信心してない人につけるもんじゃないのに。本当なんのこっちゃですよ。

質問に外れてしまいました。

信心の心は人それぞれ。
必要だったりなかったり。
それは仏教だけに限らず、全ての宗教に言えます。

tak********さん

2018/2/2109:55:22

仏教だけでなく、全ての宗教は必要ありません、宗教は人間をアホにするだけです。

mop********さん

2018/2/2109:26:30

日本人の民度の高さは仏教に由来する

特に禅宗や曹洞宗だ

われわれ日本人は実は子供のころから仏教の教えになじんでいる。

幼稚園や小学校低学年で習うおしえ・・物を大切にしましょうとか、早寝早起きしましょうとか、無駄遣いはやめましょうとか、挨拶をきちんとしましょうとか、規則正しい生活をしましょうといった教えは、元は仏教精神からきている

これらの精神と対極をなすのが、欲望をエネルギーにする大量消費型資本主義だ

日本人は明治以降短期間で先進国の仲間入りした、また第二次大戦後10年でもはや戦後ではないといわしめた。イギリスやアメリカのバックアップもあっただろうが、その日本人のエネルギー源は民度の高さでありそれをもたらすのが仏教精神だとおもう

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余談だが、仏教思想と量子物理学の共通性を主張する著名な物理学者が多く存在する

輪廻転生や、極楽浄土が量子物理学によって将来証明されるかもしれない

その時マルクスの資本論やフロイトの精神分析が、新たな価値観を人類にもたらしたのを超えるほどの新しい価値観を、人類にもたらす可能性がある

dtm********さん

2018/2/2012:46:07

NHKテレビの”こころの時代”やラジオの”宗教の時間”をみるといいね。葬式仏教だけではないことがわかります。

com********さん

2018/2/1923:54:02

> 仏教って、必要ですか?

個々によって価値観が違います。仏教を必要とする人もいれば、必要としない人もいます。仏教を学んでみて、自分で選択するのがいいと思います。


> 日本の仏教って必要ですか?

日本の仏教は、鎌倉時代以降、独自の道を進んでいます。インドの仏教とは大きく違っています。インドの仏教の場合は、人々を智慧の道へと導くためにありました。仏教以前のバラモン教のような信仰の道・儀礼儀式の道を説いてはいません。ところが、現代の日本の仏教は、信仰と儀礼儀式が中心となり、葬式仏教と揶揄されるようになってしまいました。

僧侶とは、出家修行者のことです。家を出て、家族から離れて、出家者の仲間たちと共に、戒律を守り、教えを学び、禅定を行じます。日本では、多くの僧侶が家で暮らし、家族を持ち、給料を貰って生活しています。出家修行者とは言い難いです。もちろん僧侶の中にも、人のために活動する人もいますが、職業として僧侶をしている人が目立ちます。

なので、世間に「お葬式などの儀礼儀式には僧侶が必要」だという考えがある間は、日本の仏教は必要とされます。ただし、急激にお寺離れが進んでいますから、葬式仏教・職業僧侶の時代は終わりに近づいているように思えます。


> 「必要だ!」という人、熱い意見をお願いします。

僕は、葬式仏教を必要としませんが、本来の釈尊の教えに基づく仏教は必要だと考えています。仏教とは、仏陀に成るための教えです。仏陀とは、智慧を完成させ、真理に目覚めた者のことです。なので、智慧の道へと導くのが仏教です。信仰や儀礼儀式は、人によって必要とされることはありますが、釈尊はそういう類を否定しています。今の日本に必要なのは、本来の仏教でしょう。


> 幸せになる教え

仏教の場合、幸せの価値観が世間とは違います。世間では、富(金品)・愛・健康・自己実現などを得ることが幸せだとみるのでしょうが、仏教の目的は仏陀に成ることですので、成道への道を進むことが幸福であり、道から外れれば不幸です。

世間の幸福の尺度でいえば、初期仏教の出家者たちは不幸です。出家者の多くは、バラモン(司祭)やクシャトリア(王族)などの上位カーストなのに、その身分を捨て、働かず、食事は在家からの布施だけでした。乞食とはもともと出家修行者のことをいいます。托鉢によって食を乞うので乞食(こつじき)といいました。

故郷の釈迦国で乞食をする釈尊を見て、釈尊の父親であり、釈迦国の王様だったスッドーダナ王は、釈尊を責めました。「なぜ乞食をするのだ? 食事ならば、宮殿にたくさんあるではないか? 私に恥をかかせるな!」

その言葉に対して、釈尊は言いました。「托鉢は私の種族の伝統なのです。私の種族とは釈迦族のことではありません。仏陀の種族です」。これを聞いてスッドーダナ王は、自分の息子が仏陀に成ったことを思い知りました。

人だけでなく、あらゆる動物は食べ物に対する執着心があります。生きていく以上、食べ物は必要であり、食べなければ死んでしまうからです。犬や猫が、餌を取りあげれば、牙をむくように、人も食べ物を確保しようとします。そのような執着心を取り除く関わりが托鉢です。自分だけがガツガツと食べて満足するのではなく、みんなと分かち合うことで喜びを感じさせます。

個から全体へと意識を広げるために、そのストレッチとして食事を出家者に布施をします。そのことが機縁となり、分かち合いの心が養われます。分かち合いの心によって、執着から離れることができ、執着から離れることで、智慧の眼が開きます。一点に執着していれば、全体が見えないように、無執着であることが智慧の働きを活発にします。人々とそのような関わりを持つのが仏陀です。


●四諦

仏陀は論理的に説法をしました。そのことは、数多の経典の一つでも読めば分かります。論理的とは、結論だけを述べるのではなく、その根拠を告げることです。結論と根拠はセットです。それを仏教用語でいえば、因果といいます。

仏教の根本教義の四諦とは、悪因悪果・悪因苦果・善因善果・善因楽果を言いかえた内容です。

悪因悪果・悪因苦果=苦諦・集諦
善因善果・善因楽果=滅諦・道諦

悪い思念は悪い言動となり、その結果、苦と成る。
善い思念は善い言動となり、その結果、楽と成る。

苦とは、苦悩憂悲のことでもありますが、思想的には、不自由の意味です。言いかえれば、思い通りにならないことであり、仏道から外れた状態のことです。仏教の「苦」を苦しみの意味だと定義してしまうと仏教の根本から狂ってしまいます。

釈尊が説法をしていた時代、インドでは、業・輪廻・解脱の思想が信じられていました。業とは、行為のこと。輪廻とは行為の報いによって生まれ変わり、死に変わること。解脱とは、輪廻から離れて自由自在になることです。

現在、この世界に生まれているということは、輪廻の中にあって、自由ではないということです。業を断ち切って、輪廻から解脱し、自由になっていれば、肉体を持って生まれてきません。生まれていることが不自由の証です。これを生苦といいます。

釈尊は、輪廻説を応用して、「生まれている自分の世界を苦だと知れ」と説いたのであって、「人の苦しみはどこから来るか」というのとはニュアンスが違います。

苦諦=肉体を持って生まれているこの現象世界は苦である。
集諦=現象世界に生まれた原因は、執着である。
滅諦=執着から離れることによって、苦を滅する。
道諦=苦を滅する道は、八正道(無執着の道)である。


ただし、釈尊は、輪廻の有無を断言しているのではなく、人々を無執着の道へと導く手段として、輪廻説を用いています。仏教の解脱とは、執着から離れることであり、執着のない状態を解脱・涅槃といいます。無執着へと導く仏教においては、業・輪廻・解脱への執着からも離れた境地を目指します。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

nsk********さん

2018/2/1917:06:02

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018021300617&g=pol

https://www.youtube.com/watch?v=WylFOoqaVeo

https://www.youtube.com/watch?v=ZcEI5i826ck


そもそも、生まれながらモラル、ルール、理性、分別、道理をわきまえた人間だけでこの世の中が構成されているなら、仏教も、キリスト教も、イスラム教も、ヒンドュー教も一切必要御座いませんが?


然しながら極めて残念の極みで御座いますが、反仏教のおぞましい朝鮮腐れ外道、ボンクラ日蓮のポンコツ正法?ポンコツ仏法?ポンコツ立正暗黒論?やらの極めて短絡的、観念的、排他的、独善的な邪義を妄信、猛獣、猛進、盲従して、


創価学会1961年会長講演集第3巻P290~で、原子爆弾が?日本の?酬いだ?やらアジア、世界の平和を台無しにする何の大儀も無い、甚だ傍迷惑な朝鮮戦争を何時までも、何時までも、数多く同じ仲間の民族が虐殺されても、微笑み?外交?融和?などと上辺だけの美辞麗句に誤魔化されて続ける、



極めて愚かな一方の当事者に過ぎない韓国のポンコツ、ボンクラどもを兄だ?などと良く考えもしないで死ぬまで賛美、賞賛して挙句の果てには、現在の自身の健康状態も、生死さえ力強い音声を含めた直近の高画質な動画で丁寧に説明すら一切しない、一切できもしない、 自称ガンジー?キング?池田大作本人、組織としての創価学会、老若男女の創価学会員ども、山口那津男、公明党議員ども、反仏教のおぞましい朝鮮腐れ外道、ポンコツ、ボンクラ日蓮に係る日本国民の皮を被った



モラル、ルール、理性、分別、道理を一切わきまえない唯の間抜けな裏切者どが、厚顔厚かましくこの世の中に存在し続ける限り仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドュー教、etc は必要なので御座います。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018021300617&g=pol...

sol********さん

2018/2/1916:14:49

個人的経験ですが、
ものすごく不幸な時
お坊さんの一言で
考え方を教わりました

聞く耳・見る目を開いて貰いましたから、そういう教えやアドバイスができる存在・教えは、必要だと思います

sai********さん

編集あり2018/2/1916:20:01

#自分が有るが無明(迷い)#



果たして自分というものがあるのでしょうか?

仏教は無我を標榜しています。

例えば赤い箱の『赤い』 色は、その箱の持っている性質だと私たちは何気なく思い込んでいます。

しかし緑と赤の色が識別できない色盲の方がいることから考えてみれば、それは明らかに自分にだけしか通用しない単なる感覚であって、箱の持つ性質では決してないのです。

色ばかりではありません形とか材質等、その箱自身の持つ性質だと思われることも、本当は私たちの脳が作り出す単なるイメージに過ぎません。

私たちが何かを『有る』と思ったとしたら、それは自分ではない他としてそれを意識することに外なりません。
例えこの自分を『有る』と思ったとしても、この自分は前述の箱と同じくイメージされた自分です。
『自分がある』が無明(迷い)です。

自分が『有る』と捉えた時、そこには必ず自他の対立が起きて、矛盾と苦しみに陥るのです。

このように人生の矛盾や苦しみの根源を明らかにして真実にいたらしめるのが仏教です。

禅でも正師について参禅なされば必ず、真実は自分というものがないことがハッキリ分かります。

事実を理解できます。


この時、自分が生きているいないは関係なくなり道元禅師が語られるように『生死は仏の御いのち』と頷(うなず)かれます。

弁栄聖者も『自分を有り』と認めた幸福主義の無明に対して『人生を快楽を目的とし世界は我が幸福を満足せしめる舞台との夢想をしてはみても三苦を離れ得ず、八苦こもごも競い起こりて隙もなし』と。

世の『自分を認めた』幸福主義に警告を発しておられます。


梶田正明師(真言宗僧侶)の著述を引用いたしています。

ino********さん

2018/2/1911:15:37

何故佛教なのかと言うことですが・・・。

1 絶対確信することは何かということです。
それは自分が今生きているということです。これを疑う人はいないでしょう。

2 自分にとって一番大切なものは何かということです。
それは自分ということではないでしょうか。以前のアンケートで40%の人がそう答えています。そして40%が家族、残りが20%で金、名誉、仕事、宗教等多いもので5、6%過ぎませんでした。
家族は自分も命の延長しての妻子なのでしょう。
自分以外のものを選んだ人もそのように考える自分を大切にしているのことになるのだと思います。

そうすると、今生きている自分が最高価値と認めざるを得ないでしょう。自分があらゆる価値を価値付ける根本、根本価値なんです。

さて、そんな自分を大切にするにはどうするのでしょう。
自分というものがどういうものか分からないと大切にしようがありません。

己事究明、ここが最初です。それを教えてくれるのが佛教です。
ところが同じ佛教でも救済や利益から導こうとするものが多いのが現状です。本道から外れて脇道、迷路に入ってしまっているのです。
それは何を本尊としているかで分かります。自分の以外のものを本尊にしているのは佛教からすればおかしいのです。

「嘘も方便」「嘘から出た真」ということもありますが、嘘のままに終わってしまっているのが大概です。それで何となく安心している・・・。

rok********さん

2018/2/1909:52:49

宗教も日本に17万もあります
仏教も千差万別で その教義も千差万別です
宗教を判別する基準が分からなければ
必要か 必要でないかは 軽々に 結論をだしては
間違うと思います

太古の人類は 禽獣と同じで
人を敬う事も親を尊敬することもなく
生活していました
そのうち 宗教や哲学や道徳が生まれ
人間らしくなったのです

もし キリスト教や儒教 哲学がなかったら
文化の発展も 芸術や文学等の発展もなく
精神的な発展もなく
悲惨な世の中になっていた事は間違いありません

〇いずれも政治上の権力と対決する所から生まれた
〇また 祭紀的呪術の宗教よりも高次元の
人間的価値や創造をめざしている
〇実践する弟子達の行動は必然的に民衆救済に立ち上がった
〇原始的宗教の呪術的迷信を打破しようとした
〇既成宗教の祭祀体系を否定した、これは
バラモンとパリサイ人を盲人に譬え
その否定の仕方まで同じです
〇民族的に偏狭な観念を克服した、仏教は四姓平等を説き、
イエスもユダの民族主義を乗り越えました

もし 人類文明にこの二つの宗教が無かったら、
人間の知恵はいかにも底の浅いものに
なっていただろうと思いますも


生きる意味は深い哲学 宗教によらなければ
分かりません

生きる意味は・・・幸福になるためです
幸福とは・・・歓喜です
歓喜とは・・・自分を知る事です
自分とは・・・使命 役割 生死を知る事です

これほど深い学問を無視して 生きる意味を
見出す事など 考えられません

宗教哲学がないと判断の基準が
好き 嫌い 損 得 感情 周りを見てになります
正しい哲学があると
理性 道理 道徳 妥当性 正義 愛 慈悲 になります
自分を律する事ができるのです

西洋哲学の「自我」「存在」「生命」
仏教の「自我「「生命」「慈悲」
儒教の「仁愛」「大同」墨子の「兼愛
哲学と宗教は 同じ方向を向いていますが
いずれも 人間を強く 善く 賢くします

今 世間の 浅い 軽い 道理を無視する
非科学的なアカルト宗教がはびこっています

人間が強く 善く 賢くなれる宗教なら
幸福になれるでしょう
生きる意味を見出す事もできるのです

ただ 人間を弱く 悪く 愚かにする宗教がはびこっています
宗教に無知 無学 無能 偏見である人間が悪いのです

内村鑑三は
経済の背後に政治がある 政治の背後に社会がある
社会の背後に道徳がある 道徳の背後に宗教がある
と述べています

今の世間
初詣は神社 結婚式は教会 葬式は仏教
クリスマスのバカ騒ぎ ミソクソごちゃまぜ
無宗教の奴等の そのだらしなさは あきれる
今の日本社会を見て 内村鑑三は嘆いている事でしょう

宗教により人は幸せにもなるし 不幸にもなります
国家が滅びる時もあるし 繁栄もするのです

これほど大事な宗教を
正しく教えるはずの 聖職者 坊主は
宗教の事など語らず 金儲けの道具にしています
そのため 誰も正しい宗教が分からないのです
だから 原始主教のような



占い 霊 お告げ お払い 等の単純な宗教に
エセ宗教に カルトに騙されるのです

余計な事かもしれませんが
人間は宗教なしでは 正しく生きられない事は確かです
トルストイは人間は宗教なしでは生きられない理由を
第一に 宗教のみが善悪の決定を与えるからだ
第二に 宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを
知ることが決してできないからである
第三に ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである
第四に 宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである
第五に 宗教のみが人間に生の意義を与えるからである
第六に 宗教のみが人間の平等を樹立するからである
と言っています
キリスト教には当てはまりませんが

歴史 文学 科学のわからない奴は 本当の宗教は分からないのです
占い おみくじ 手相 霊 等の古代の宗教は論外ですが
そのような 浅い 簡単な 単純なものが宗教と勘違いしています


二十世紀最大の物理学者 アインシュタイン :
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものが あるとすれば、
それは仏教です

日本初のノーベル賞 湯川秀樹
「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、
仏教には多くを教えられた」

ドイツのノーベル賞作家 ヘルマン・ヘッセ
仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。

アインシュタインは、こうも語っています。
「科学的探求は特殊な宗教的感情をひき起こしますが、これは、
愚かな狂信的宗教感情とはまったく違ったものです」

真の科学者は、「宗教は科学と矛盾 する」とは決して言わない
仏教は、とても知性的な宗教です。
若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれているのも、
「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と少しも矛盾しないばかりか、
科学のめざす真理を先取りしている感すらあると、気づいているからです。

人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、
やはり仏典が研究されていますが、
「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」
と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。

量子論における量子の概念と仏教の不二の概念
天文の空間の概念と仏教の空の概念
物理の時空の概念と 久遠の概念
同じです
宇宙 物質 生命科学 等
はるかに 仏教の理論が優れています
深層心理学のユングやフロイト等 仏教の一部分を説いた
と言える程です

神の意志等については
理論物理学者ミチオ・カク氏が有名です



参考に
http://sannkuto66.3zoku.com/newpage55.htm

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