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特にegedeniz7039様へ 日本語の言語純化運動の提案について

kar********さん

2011/1/1410:29:43

特にegedeniz7039様へ 日本語の言語純化運動の提案について

egedeniz様等へ

日本語の改革に関する御意見を述べて頂いて誠に有り難うございました。

確かにトルコに於ける言語純化運動と私の日本語改革提案とは根本的に異なるところがあります。 御指摘を感謝します。

昨日トルコ語の言語純化運動の話で始めたのは言語改革の歴史上の実例を挙げて言語純化運動という概念を簡単に説明するためだけで、私は別に日本の知識層は当時のトルコの国語改革賛成論者を文字通り真似すべき、とは思っていません。

仰った通り、もしトルコで推し進められた言語純化運動を現在の日本語に極端に当て嵌めたら、恐らく前近代にトルコ語に取り入れられたアラビア語起源とペルシア語起源の単語に当たる漢語熟語を排除し純粋な大和言葉への完全回復を目指す破目になってしまうでしょうね。

それは私の言語改革提案と全く違う方向ですね。

私はどちらかと言うと確かに右翼で愛国心と日本の伝統文化を強調していますが、別に道で戦争時代の軍歌を流したり天皇陛下を神と崇拝したりする極端な国粋主義者である訳ではありません。 純粋な大和言葉に立ち帰ることを目的としていません。

逆に同じアジア文化圏から外来した漢語も重視することを提案しているのです。

喩え漢語を日本語から排除したいと思ってもそれはまず無理に間違いないです。 漢語は和語と共に日本語の基盤を成しているからです。 言語学者によると日本語の語彙は漢語が50%以上占めているとのことです。 その土台を外すなんてとんでもないことを認めます。

日本語の語彙的成分をケーキ(嫌!)に喩えてみると、漢語と和語は中身で最近の英語かぶれの西洋カタカナ外来語は衣に過ぎません。

漢語を象徴する中身を除外するとケーキは台無しになってしまいます。 やはり無理ですね。

でも衣なら外して捨てて置き換えても別に問題ないでしょう。

意味の曖昧な余計な西洋外来語はただ衣だけなんだからそれを廃することは充分に実行可能ですし曖昧さと解りにくさを減らすという点で得になるはずです。

正確には、私の言語改革提案の目的は本当の意味では「純化」にあるのではなく、実際には余計な英語かぶれの外来語を減らすか(理想的には)撲滅し、既存のちゃんとした日本語(漢語と和語)を大事にし、脱亜ではなく再入亜を強調することにあります。

日本語を大事に思いましょう。

もし本論に関して御意見が有ったら是非。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2011/1/1721:50:55

わざわざ別質問を立てて戴いて・・・
過去に似たような別の質問にも長々と綴ったことがあって「もう善意の方が回答らしきものを付けられてるので放置」と思っていたのですが、とりあえず雑感程度残しておきます。先のものにも畢生の日本語に対する立場は入れ込んだつもりなのですが。

トルコ語、ロシア語、英語からの日本語への翻訳作業といったものに日常的に携わる場にある人間として
「安易にカナ転写に逃げるのは愚である」というのが私の日本語に対する基本的な立場です。

「逃げる」と言うところが肝で、代替の日本語表現がある場合は極力そちらを採るようにしています。
例えば
「今回のプロジェクトのスキームについては以下のハンドアウトをご覧ください。」
という文。解る人がどれだけ居るでしょう?

「広範な人々の目」に触れることを想定するなら
「今回の計画の達成手法については以下の配付資料をご覧ください。」
程度に直す、といった具合に。
おおよそ国際化、欧米化したとは言っても平均的な日本人を考えるならばまだ「スキーム」だの「プロジェクト」だののカナ交じり寄りは「解りやすいだろう」という判断が働いているに過ぎないのですが。

そこは翻訳・通訳に携わる人間が楽をせずに頭を使うべきところであるに過ぎません。

また前近代には漢語を取り入れ、近代にはドイツ語やら英語を〈非アメリカ経由で〉取り入れ、という過去を鑑みるならば、その時点、その時点における政治、経済、技術的中心から取り入れてきただけでもあります。その過去から将来を予測するならば、二〇年後に世界最高の技術的中心地がが中国大陸になったと仮定すれば、漢語が大量に日本語に流入するでしょうね。あくまで仮定の話ですが。

〉でも衣なら外して捨てて置き換えても別に問題ないでしょう。
確かに仰るとおり。ただ、捨てて置き換える先が漢語になるかヒンディー語になるかアラビア語になるかやまとことばになるか・・・は時代の要請次第でしょう。そこに作為を国語審議会なり何なりで加えようとしても恐らくは無理。『声に●して読みたい日本語』なんかの日本語本が流行っても、質問者さんが憂う状況に変化は目に見えて生じていないのですし。

まずは身近なところから。普通に不自然なカナ言葉は使わないように心がけ、自らのこどもの教育にも多少気を付ける。
その程度の草の根然とした取り組みを続けていくことでしょうね。

いずれも二重の意味で
言語はそう一朝一夕に変わらない。
言語は生き物。
というのが様々な言語に親しんでみてえた現状の畢生の結論です。
殊更に作為を加えようとするとトルコ語の純化のような結果も招く・・・と。
カタカナ外来語を疑問無く使う方も多かろうとは思いますが、質問者さんのような立場の方もまた多かろうと思います。
それで、ひとまずはいいんじゃないでしょうか?危機感には首肯しますが。

但し「NASA向けに部品を納入してる企業内の会議」とか
「サウジアラビアに太陽電池を売り込むような製造元の内部文書」であればさにあらず。
また医学用語で言うメス、クランケ、カルテその他のドイツ語発祥のものは、蘭学時代からの伝統もさることながら
「一般に普及していないドイツ語でやり取りすることで、たとえ重大な疾患を抱えた患者に対するショックを〈←この程度は私も使いますよ〉和らげる」意味もあると思うのです。言ってみれば、そういう内部〈あるいは限定〉使用に関しては、逆に強制的に廃してしまうと様々な部分で問題が出てくるような気がします。

質問した人からのコメント

2011/1/20 20:02:29

御回答を有り難うございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

横槍失礼。
僕は、別に今の日本語でも構わないと思っております。

ケーキに例えてみれば、日本語というケーキはスポンジという和語と、クリームという漢語が主成分です。
しかし、そこにはイチゴというカタカナ外来語がちりばめられているわけです。
それを全て含めてケーキという事になるとは思いませんか?

そもそも、日本語の語源をたどれば中国語が起源であり、日本が一から作った言語は存在しません。
また、濁音や半濁音の表記も、日本に来た外国人の発案によるものです。

日本人がなぜ自国に存在しなかった言語を取り入れたのか。それは柔軟な思考を持った民族だからであったと考えています。
その柔軟な思考を基にすれば、外国語を積極的に取り入れることも悪くないと思います。
もともと漢字も中国という外国から取り入れたもの。カタカナやひらがなも漢字の派生に過ぎないのです。

しかし、今はケーキのスポンジとクリームが軽視され、イチゴのみが重視されている感も否めません。
質問者さんは恐らくそこを危惧されていると推察します。
しかし、それならばスポンジとクリームの重要性を再確認すればいいだけに思えます。
イチゴを軽視しても決して美味しいものは出来上がりません。
全てが高次元でバランスよく配合されてこそ、世界に誇れる言語になるのではないかと思う次第です。

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