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「水戸黄門」の名前は水戸光圀なのになぜ「黄門さま」と呼ばれているのですか?

annie69712さん

2006/11/2816:50:08

「水戸黄門」の名前は水戸光圀なのになぜ「黄門さま」と呼ばれているのですか?

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kiro_ojisanさん

編集あり2006/11/2819:49:30

先の方々が仰るとおり、中納言(ちゅうなごん・なかのものまうすつかさ)という
朝廷での役職の唐名(中国風名)です。

朝廷の官制はもともとは唐の律令制にならってつくられたもので、
その中国では門下省(これが漢の時代には黄色い門であったと言います)という
役所の次官の役名が「黄門侍郎(黄色い門の内で仕事をする人という意味)」です。
中納言は太政官の次官にあたり、その職が黄門侍郎に相当するところから、
中納言のことを黄門と呼ぶ習慣になりました。
同じように太政大臣を「相国」、左大臣・右大臣・内大臣をそれぞれ
「左府・右府・内府(だいふ)」、参議のことを「宰相」と言ったりしますが、
大納言にも「亜相」という唐名がありますのにこれはあまり用いられなかったようです。

また、光圀の着いた「権中納言」の「権」は「かり(員外)の」という意味で
「正(実)」に対するものですが、
同役職内での序列はもっぱら位階(正三位など)で決まり、
正中納言より権中納言の方が上ということも十分ありえます。
尤も将軍家・御三家に与えられる大納言・中納言はすべからく「権」でしたが。
更に言えば、南北朝時代以降、「正」の大・中納言職につく人自体ごく稀でした。

水戸藩主は江戸常府で参勤交代せず将軍家の補佐を行うという家系から
「副将軍」と周りや自らも思っていますが、これは正式な役職にはなっていません。

水戸徳川家では初代藩主頼房が権中納言の職についていますが、
以降の歴代藩主の多くは中納言の一つ下の参議どまりでした。
光圀も藩主の時には参議までで、隠居の後に権中納言に任ぜられました。
その後、中納言の職を辞任したという記録は残っていません。

つまりTVの印籠を出す場面で「前中納言(さきのちゅうなごん)」「前副将軍(さきの-)」は
本来不適当なんでしょうね。
「水戸光圀」「水戸黄門」にしても読み方は「みと'の'みつくに」「みと'
の'こうもん」が正しいです。

質問した人からのコメント

2006/12/5 14:05:23

成功 詳しく教えてくださってありがとうございました。他の方々もありがとうございました。

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tpxjt615さん

2006/11/2817:50:40

黄門は中納言の唐名です。
光圀は中納言のくらいでした。

ecozou2006さん

2006/11/2817:10:58

「黄門」というのは、中納言(権中納言を含む)の唐名(中国風の呼び方)です。
ですから、中納言に任ぜられた人は、全て、黄門です。
たとえば、伊達政宗は、権中納言に任ぜられて以降は、「仙台黄門」と呼ばれました。

水戸藩主は、代々、権中納言になったので、全員が、「水戸黄門」です。

光圀だけが、特に有名なのは、当然、水戸黄門漫遊記のおかげです。

kusirosiさん

2006/11/2816:54:00

黄門は中納言の唐名。

水戸藩主として、権中納言の官位にあったので、
先の中納言、黄門さまと、言われた。

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