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瞑想、禅、ヨーガを行っています。雑念と、気づきや、ひらめきなどの違いはどうす...

kon********さん

2013/2/1012:47:32

瞑想、禅、ヨーガを行っています。雑念と、気づきや、ひらめきなどの違いはどうすれば分かるのでしょうか。捕らわれず有るがままにしておいてもいい意識と、言語化してその先を求めなくすることの違いが

理解できません。ご教授お願いします。

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nuk********さん

2013/2/1022:00:04

>捕らわれず有るがままにしておいてもいい意識
雑念に捕らわれずということで考えますと意識とはそれ自体が記憶をカテにしていない状態ということです。
意識はそれだけで”在る”という状態です。

しかし私達の雑念は在るではなく、何かになろうとします。
この何かを求める行為そのものが苦であり、この意識をしっているものはあるがままに意識を知り、
雑念に捕らわれることなく雑念働きに気づいていけるということです。
ようするにあるがままに見ろと言われても、禅定か、空を体験しないとそうそうできない方法です。


>言語化してその先を求めなくすること

上記ができない方はまず雑念に気づけず、雑念がなんなのかすら定かではないのです。
ですからその手引きとして言語化を使い雑念の働きを弱らせて
何が雑念か雑念じゃないかの違いをわからせるための方法です。

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ベストアンサー以外の回答

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のばらさん

編集あり2013/2/1301:28:54

雑念は過去の遺物。閃きは新しい考え。明らかにわかると思います。
けれど、言語化してその先を求めなくしようとすることや、気づきやひらめきをそれに求めるのはいかがなものでしょう。
自己のうちに自分が存在するとき、魔の影が差すと言われます。
すべてそのままで、ただ静かに坐っていらっしゃればいいと思います。

ah_********さん

2013/2/1020:19:23

雑念は心の中の灰汁、消化されない不純物だそうです。

閃き、気付きは守護、指導霊、魂の兄弟の協力が大半だそうです。

雑念が出たからと言ってムキになり滅却しようとしないことです、

ましてや心は絶対に空【から】にしてはいけません。

雑念も昇華の段階の一つだそうです。

雑念の中の出所を見つけそこから反省のきっかけを掴み

心の中の安定を得て、瞑想を深くすれば、魂の兄弟とまた別次元の

諸天善神、菩薩様、如来様の協力も得られるそうです。

しかし、この段階に行く人はほんの稀だそうです。

瞑想的反省の禅、その手段、手法としてのヨギースートラ

これ等は魂の浄化をするには欠かせない行だそうです。

座禅は45分か60分毎に一回立ってゆっくりと歩いたり足を休めるといいそうです。

禅天魔と言う言葉をご存知ですよね。

苦行と称して座禅は絶対しないことが悟りに最も近づけるらしい。です

言語化云々の意味は解りません、

学問や哲学では知的に近づけそうですけど、

我が魂の中や神の理にはまず入っていけないそうです。。。、、、

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