与謝野晶子の弟って、結局、日露戦争から、生きて帰ってこられたんでしょうか。 歴史に詳しい方、教えてください。

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戦死されたら大騒ぎを始められそうだから、危ないところには出さなかったでしょう。

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おかしいな? 第四師団も第八連隊も旅順戦には参加していないはず。 風説の流布って奴でしょうか。 ああ歌に「旅順」が出てくるから皆信じるわけか。 第八師団は南山を攻略しているから、この南山が旅順近くと聞いた作者は弟がそのまま旅順攻略に留まったのであろうと誤解していた可能性が高い。 与謝野晶子は反戦の詩人と良く言われますが、日露戦争当時に「幸徳秋水の反戦論は大嫌いだ」と公言してます。 『白櫻集』で、以前の歌「君死にたまうことなかれ」とは正反対に、戦争を美化し、鼓舞する歌を作りました。 「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」 海軍大尉として出征する四男に対して詠んだ 「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」 と弟と違い実の息子は力強く戦場へ押し出しています。 つまり「君死にたもうことなかれ」は反戦では無く、純粋に商家の跡取りとして家長になるべく弟の生還を家の事情から切望した歌である事が分かります。 創作は偉大であり脚色があっても構わないし、激戦をくぐり抜け生きて帰って来たのも事実ですから問題はないのですが、 弟さんはこの歌が有名になるにつけ多少困ったのではないかな。 inakanokenshiさん おやっ?こちらも >籌三郎の部隊は旅順で戦闘に参加していないはずですが、遼寧会戦には参加しています。 遼寧会戦という言い方は無いです。「遼陽会戦」の間違いですね。 明治は遠くなりにけり。

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与謝野晶子の二つ年下の弟・鳳籌三郎(ほう・ちゅうざぶろう 1880~1944) 姉・晶子の願い通り無事に日本に生還しています。 籌三郎は大阪第4師団8連隊・第三軍輜重兵として激戦203高地に出兵。旅順攻囲戦より無事生還。 生還した籌三郎は父・宗七が死去した後、父の名を相続して「宗七」と名乗り、家業の駿河屋(菓子屋)を継ぐ。

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