桐島、部活やめるってよという映画をDVDでみたのですが あれは結局なにが言いたいのですか?まったく面白くなかったし終わり方もひどすぎてビックリしました

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この映画は難解で色々な見方があると思います。私は学生へのエールと捉えています。 友達は『桐島、部活やめるってよ』と人伝に聞いて驚いていました。 友達なのに桐島から知らされていなかったという事や、部活をやめた原因も部員との人間関係(友達が人伝に聞いている)なら相談できたはずだし、接触を避けてもいるようで、そこに桐島の強い孤独(エンディングの主題歌の冒頭が孤独を歌っている)が感じられます。 子供の頃は友達に何でも言えたのに大人になるに従い言えない事が出来てくる。(友達に何も言わず突如部活をやめた桐島、部活は内申書の為と嘘を言う女生徒、付き合ってる事を隠すカップル、先生に黙って映画を作る映画部員) 自我が確立し出すと自分と他人の価値観の違いを意識し(仲良し4人の女生徒の部活組と帰宅組の価値観のギャップが象徴的)、孤独や不安を感じるという事があると思います。 そして才能のある桐島が突如部活をやめた為、友達は心配以上に不安を感じた(桐島でさえ挫折した)ようでした。 でも価値観が違ってくるというのは必ずしも悪いわけではなく、自分の意志で決め行動するという自立を促し、前田涼也(神木隆之介)達が先生に黙ってゾンビ映画製作に意欲をみせていた様に、大人への必要な変化だと思います。 夢の挫折とか苦い恋、さらに青春特有ともいえる漠然とした不安感(進路調査票が将来不安の象徴)を画いた青春映画とみると、桐島がほとんど登場しない演出は、不足する情報で見ている方にもその不安感を伝播させる効果があったと思います。 一見マイナスの青春のようで、最後の前田と菊池宏樹(東出昌大)が8ミリでお互いを撮り合い菊池が涙ぐんだ所で、プラスに転換させたと思います。 菊池は前田にやっぱりカッコいいと言われた事でかえって抑えていた不安が表面化した、それは前田の映画の事を嬉々として語る夢を諦めない姿(映画監督は無理と言いながら自分が好きな映画と自分が撮る映画が繋がっていると思う事があると言っている)と、野球をサボって時間つぶしにバスケをやる自分を比べる事になり、自分のみじめさ(周りからカッコいいと認められる存在でも、実態は夜素振りするキャプテンの前ではコソコソ隠れている)が際立ち涙ぐんだ(菊池も強い不安を抱えていた)んじゃないかと思います。 ラスト、菊池が野球の練習を見ながらやっと桐島に電話をかけられた(それまでは桐島からのメールを待つだけだった)のは、もう一度野球をやろう(キャプテンに一度言いそびれている)という決意と、桐島にももう一度バレーをやれと言おうとしたと解釈しています。 人からバカにされようがめげずに映画を作る映画部員。 見た目カッコよくないけどスカウトが来てなくてもドラフト目指し引退せずに部活を続けるキャプテン。 演奏している部長(大後寿々花)見たら好きになる男子がいっぱいいると後輩から言われ(って事は演奏してないと好きになってもらえないという事になる)ようが、好きな人を諦めてでも吹奏楽を頑張ろうとする部長。(部長だから集中しなければいけないと言っている) 彼らに共通するものは、今できる事を精いっぱいやろう(主題歌に尊い今という歌詞が出てくる)としている事、自分達が下に見られている立場の為人を下に見る事で不安を解消しようとしていないので、桐島の失踪にも狼狽はありませんでした。 それと対比されるのが見た目とか運動が出来るとかで人を上下に分け自分より下がいると安心しようとしていた生徒達で、桐島の失踪で消えてなかった不安が表面化し狼狽したのだと思います。 で、この映画の言おうとしている事は、可能性が低いと最初から諦めてないでまずは夢を目指し頑張る事。(主題歌の歌詞 ♪「どんなにあがいてみても なんも変えられやしないなら 最初から諦めた方が賢明」口々に嘆きながらも僕ら歩いてる あの丘の向こう側にその胸躍らせながら) これなら恵まれた才能や環境のあるなしに関わらず誰にでも出来る。(同歌詞 ♪選ばれし才能も お金も地位も名誉も持っていたっていなくたって 同じ空の下) それが不安を拭い(同歌詞 ♪たとえ明日を見失っても 明けぬ夜はないさ)、明日への希望(主題歌のタイトルが『陽はまた昇る』)になる。 という学生へのエール(同歌詞 ♪愛しき人よ どうか君に幸あれ)と捉えてます。 主題歌が映画の内容を表しているんじゃないかと思います。

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この映画は「桐島」が映画タイトルに使われているのに、全く映画に出てこないのが面白みじゃないですかね笑 桐島は、バレー部のキャプテン、そして運動もできて、頭も良い、 学年一の美女を彼女にし、学校のスター的存在なわけです。 その全く映画に出もしない桐島に親友の菊池、バレー部の小泉、久保、桐島の恋人の梨紗、などなどが振り回されています。 彼らが桐島を必死に探すのは、 きっと、何も欠けていない桐島に自分の欠けている何かを遠まわしに教えて欲しいのではないでしょうか。 彼らはその完璧な桐島がいない状況で、どう生活していくか、 どう人生を進めていくかがポイントではないでしょうか。 桐島“たった一人”で彼らの高校生活の変わっていく様がじわじわ見えてくるのが客観的に見て、 とても面白いと私は感じましたね。 他の方の回答にもあったように結局はそれぞれの価値観ですかねw 説明文がグダグダで申し訳ないですm(_ _)m