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看護学生です。レポートで『看護とは科学』を書かなくてはなりません。なぜ看護と...

jn5********さん

2013/5/1116:28:47

看護学生です。レポートで『看護とは科学』を書かなくてはなりません。なぜ看護と科学が関係しているのか教えてください

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pop********さん

2013/5/1707:55:32

看護学校に入学する前に、何も学習していない時点でいきなり『看護とは科学』というレポートを提出しなさいといわれるのと、ある本や資料を読んだうえで、とか、ある講義を何時間か受けそれを踏まえて・・・、というのは全く違うと思います。
5月も半ばに入ってこの時期にレポートを、ということであれば、提出しろといった教員の講義内容を踏まえてレポートを書きなさいということです。
いきなりこのような場で、どうやって書けばいいか質問しても、出題者の意図とかけはなれたすっとんきょうなレポートになってしまうはずですよ。

もう一度学習したことを振り返り考えてみて下さい。まったくわからないのであれば、いっしょに勉強した友人にヒントをもらうなり、教員に質問するなり方法はある筈です。

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ベストアンサー以外の回答

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ID非公開さん

2013/5/1614:02:20

レポートの答えを提示しても質問者様の思考を妨げると思われますので、自論から看護と科学の関連を述べますので質問者様自身で考える参考にしていただければ幸いです。
しかし、私は看護と科学の関連を十分に語れるほど学習と経験を重ねてないので、限られた範囲の私見であることをご考慮下さい。
まず看護の定義からみていきます。
看護とは何でしょうか?
保健師助産師看護師法の定義と私の考える病棟での看護を軽く紹介します。
看護師は、「厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話、又は診療の補助を行うことを業とする者」と保健師助産師看護師法 第5条<看護師の定義>に定められています。日本において看護師は病気の人などの療養する上での日常生活の支援、医師が行う診療の補助を仕事としていると定められています。
これを踏まえて、私なりの看護について、私見を述べます。病棟での看護についてです。
病院に入院している患者さんは、生命を維持したり、生活を再建するための検査や治療とはいえ、痛みなどの苦痛や日常生活の制限などによる苦痛を伴い、それに耐え、苦しみながらも病棟で生活をしています。看護師は、治療を受ける患者さんの身体面はもちろん精神・心理、社会的な側面にも目を向けて、患者さんと向き合い、医師が行う治療や処置の介助は行い、患者さんの身体面(検査や治療に伴うバイタルサインの変化や症状の変化など)を観察したり、必要時は医師に報告したりしますが、基本的に生活をしている人(人間)としての患者さんをみて、生活を支援する役割を担っていると私は理解しています。
病棟で提供される看護を見ると、医師が提供する医学的な知識に基づいた検査や治療などが行われ、同時に看護師もそれに関連して患者さんの身体・精神・社会面などへの日常生活の支援を行っています。
これらの対象となる患者さんは単なる生物体としての人間だけではなく、心理・精神的、社会的な存在でもあります。
病院で提供される医師が提供する医療、それに関連して行われる看護は『看護とは科学』と言えるものなのでしょうか? ここでは医療と科学の関連性について述べたすでに絶版の文庫本から意見を述べます。
米山公啓:医学は科学ではない、筑摩書房、2005の「まえがき」から一部引用します。以下引用。
医学というものは、科学的な根拠に基づき、体系づけられた学問だと信じられている。
ところが、実際の臨床の現場では、意外にも、医者の経験に基づく判断であったり、いわゆる勘で治療が決められたりしている。EBM(実証に基づく医療)によって治療や診断が行われているのは、医療行為の半分にも満たない。
それほど臨床医学は曖昧な部分を持っている。そこに医学の非科学的な部分が存在し、それこそが医学の本質のように見える。
と述べられています。
私は、これは看護も同じではないかと思います。実際に提供される看護師が提供する日常生活の支援はすべて科学的な裏付けがあるのか?いいえ無いと私は思っています。
この点について、引用から考えます。
川島みどり、黒田裕子著:EBN BOOKS 川島みどりと黒田裕子の考える看護のエビデンス、中山書店、2005チャプター2川島みどりの考える看護のエビデンス 看護技術の言語化とエビデンス 看護の経験をどうエビデンスにつなげるか 看護における「経験」と「根拠」 24項より以下引用。
看護実践の歴史を改めてひも解くまでもなく、現在看護師らが実践している看護内容の多くは、先人たちの経験を通して安全性が確かめられ、蓄積されて今日に至っているものが多い。これらは看護学の学術的基盤が皆無の時代に、対象の苦痛の軽減や問題事態の解決を図ろうとして行った看護師らの実践をとおして、その有用性が認識され、方法が形づくられてきたものであり、その根拠を求められても、言葉によって説明するのが至難な場合も少なくない。…略。
以上引用です。看護の根拠が作られる過程は必ずしも看護学(ここでは看護とは科学の側面)からだけではなく、経験を蓄積し、それから有効性や安全性を確認してきたという側面を持っていると私は理解しています。
科学の定義をみます。《 science 》一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。と書かれています。出典は「kotobank」です。
例えば看護大学や大学の看護学部や保健学科等、学問としての看護を研究・開発する部門においては、看護学の発展に寄与するような研究がなされています。ここで行われているような研究は純粋に上記の科学の定義に合っており、純粋に「(大学などの研究機関で行われる看護の研究は)看護とは科学」と言えると私は思います。
しかし、日本の看護研究を行い、複数の雑誌に投稿しているのは臨床看護師(病棟などで働く現場の看護師)です。臨床看護師が行う看護研究はどのような位置づけにあるのでしょうか?『看護とは科学」と言えるのでしょうか?
いいえ、大部分は言えないと私は考えています(過去に私が行った看護研究も同じです)。
医学書院が発行する雑誌「看護研究」の2012年45巻07号(626項)の特集が、「臨床看護師が取り組む研究モデルの探索」とあり、この著者が、臨床看護師が行う研究について、述べている部分を一部引用します。
研究講評を依頼されるようになった当初は、…略…、それは研究として評価することが難しいものがほとんどであった。
この引用文だけから語るのは何ですが、本全体を読むと、要は臨床看護師が行う研究は大学などの研究機関で行われる看護学の発展に寄与するような研究ではなく、研究の形をなしていないので、厳しく言えば研究とは言えないという意図だと私は理解しています。もちろん研究の形は厳密にいうと成していなくてもちゃんとその目的はあるのですが、ここでは述べません。
大学などの研究機関で行われる看護の研究の成果を個々の患者さんに適用することを考えると、やはり上記の科学の定義から少しは外れてくると思います。それは看護の対象である人間がすでに述べたように身体的、精神・心理的・社会的等様々な側面を持っており、それに合わせて必要な(さまざまな種類の)看護の根拠を適用しているので、科学的な部分も科学的でない部分も看護の根拠に含まれると私は思っています。
一方、じゃあ、現場で行われる看護は、必ずしも学問としての看護からだけではなく、経験を蓄積し、それから有効性や安全性を確認してきたという側面を持っているので必ずしもそれだけかというとそうではないと私は思っています。
看護過程や看護診断など学問としての看護を患者さんに用いて、出来るだけ患者さんによってばらつきが無く、統一された方法で、そして、系統的に看護を行おうということはされており、私もその一部ですが、実践してきました。
私のある病院での看護実践を振り返ると、確かに看護学を含め学問から導き出された枠組みを用いて、患者さんや家族・介護者などから日常生活上の情報を収集し、医師が行う医学的な検査や治療などを踏まえて、看護の方針を立て、それを実践し、評価するという過程に、米国の学会が出した看護過程・看護診断の方法論や問題解決過程としての看護過程とその記録(ここでは、POS、POMR)などの「看護とは科学」の側面や看護ではない他の学問の側面も用いられていました。
しかし、実際の患者さんでは、生活背景や性格・キャラクターなどが様々なので、それに合わせて、病状の回復も考慮しつつ退院に向けて、退院後の自宅での日常生活の再開に向けて支援するという視点があるので、「患者さんに何をどこまで理解してもらうのか」「患者さんが何をどこまで自力でできれば退院し、安心して自宅での生活に戻れるのか」など、患者さんの生活や病状からの回復は人それぞれなので、実際の看護上の目標は人それぞれでした。
上記の私の経験を振り返ると、看護師の支援の中に「看護とは科学」の側面を持ってはいますが、実際の患者さんに合った看護を提供しようとする場合に「科学としての看護」助けにはなるけど、患者さんの生活者としての側面にある程度目を向けて支援をするので、個別的な側面が出てきて、「科学としての看護」だけで患者さんに関わるのは無理だと私は理解しています(看護の対象は人間です。人間の生活は科学のみで理解できるものではないでしょう。ましてや人間の個性やキャラクターなど性格やその人の好みなどもあるので千差万別と言えるでしょう)。
しかし、私は「看護とは科学」の側面を持って看護をする(学問としての看護を患者さんに用いて、出来るだけ患者さんによってばらつきが無く、統一された方法で、そして、系統的に看護を行う)ことは大切だし、看護の根拠は経験を蓄積し、それから有効性や安全性を確認してきたという側面を持っているのでそれも大切だし、当然看護の受け手である人(患者・利用者・入居者さん)を人間として理解し、その人の生活やキャラクターや生活などを尊重して看護にあたることが大切だとも思っています。
なので、「看護とは科学」の側面は私の看護にとって大切ですが、それがすべてではありません。
そういう意味では、科学としての看護の理解も看護師として大切ですが、患者さんに対する職業人としての関心(例えばケアリングの一部の考え方)や患者さんの病状や検査・治療とそれを受けての生活の回復や生活背景、個性やキャラクターなどを把握し、個別的な看護を実施することも大切だと私は考えています。

bo_********さん

2013/5/1421:43:56

つまりあなたは、看護は科学だって思わないってことですか?

でも、あなたが患者だったら、

非科学的なことやられたら、たまったもんじゃない!

って思いませんか?

k01********さん

2013/5/1118:27:32

医療、そのものが科学でしょ。これに疑問、持つ人、いません。医療と密接に絡む看護も当然、科学です。非科学的なこと、やられたら、患者、いい迷惑でしょ。医療から、書けばいいんです。

tea********さん

2013/5/1117:34:57

科学の定義を辞書でひいてみると、
一定の目的や方法のもと、様々な事象を研究する認識活動。その成果としての体系的知識という意味合いがあるそうです。
これは看護に関係ありそうですよね。
例えば、患者の安楽や安全を考えたとき、沢山の事故や事故リスク事例やそれにまつわる自分の経験を重ねると、引き出せるポイントやコツやノウハウが必ずありますね。それが安全安楽に関する経験、研究の成果としての体系的知識=科学ですよね。
看護の場合、安全安楽だけでなく、現場の事象すべてが、なにがしかのカテゴリーに分類でき、同じように考え、経験から知識に発展させることができます。
つまり、すべてを科学できるというわけです。

ご参考になれば嬉しいです。

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