「人間は考える葦である」とは、 「人間は葦のように弱いが、考えることができる優れた存在である」 という意味で合っていますか?

「人間は考える葦である」とは、 「人間は葦のように弱いが、考えることができる優れた存在である」 という意味で合っていますか?

哲学、倫理488閲覧

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僕たちは日本人です。 こう例えて見ましょう。 人間は考える稲である。 哲学というのは、その物事を演繹して、突き詰めて考えて行き、その論理が普遍的な価値を有しているのか?というところが論点になります。 言葉というのは不完全ですので、抽象的に申せばあなたの考えたとおりだよ、とも言えるだろうし、具体的に申せばそれはそれで抽象的には合ってるかもしれないけど、まだまだ補足できますよ。これこれこうこうこうで、こうなんですよ、という風に。 人間は弱いか?弱いです。 人間は強いか?強いです。 どちらとも言えますね? このようにして元より不完全な言葉で、不完全な人間が何かを言い切る、というのは本当に危ないことなのです。 哲学というのは未だなんら普遍的な真理や、万人に当てはまる真理が発明されておらず、その論証も不完全な人間には元々できない、数学的にしか説明できない。 哲学者はそれを万人に語ります。 信じてしまうと、大怪我をすることもある。 でもその都度、その時代の世迷人に解りやすく説かなければならない。 人間は考える葦である。 それは人間は弱く、風になびく存在であると言えるけれど、考えることのできる優れた存在だと言えるか? 僕個人的には言えないと思います。 優れている、というところの着地が甘いです。 優れてはいません。 不完全な人間がほかの動物よりも優れているのならば、人間は考える葦である、とかいちいち考えません。 優れていないから、人間は哲学をします。 より優れた、言うなれば神の法を知りたいからこそ、人間は考えるのです。 そして、僕たちがこの日本の田舎で見かける稲。 それが一本無くなったとして、誰かが泣くでしょうか? たった一本のそれを失って、より孤独になる人が居るでしょうか。 地球、宇宙にとって、それが痛手になるでしょうか。 普通はなりませんね。 稲一本が死んだとて、地球は太陽のまわりを明日も明後日もまわります。 そしてその一本のことを知る数少ない記憶を持つ人も、いずれはそのことを忘れ、そしてその人もまた稲のように死に行くだろう。 そしてさらにその人を知る人も、また死に行く。 僕たちは考える稲です。 その一本の価値は果てしなく大きいかもしれない、見えないほど小さなものかもしれない。 しかし、僕たちには考えることしか、それしかできない。 他生物もそうかもしれないです。 それでもそんな彼ら他生物のことを考える暇なんて無いくらいに、僕たちの考えなきゃならないことは余りに多いのです。 しかも、人間一人が抱える小宇宙のなかの苦悩というのは本当に混沌で、煩悩まみれです。 そのような苦悩を一生のなかで解決できるのか? ほとんどの人ができません。 できずに、歴史的遠近法の彼方へ僕たちは追いやられ、皆さんの言うところの、なんら意味の無い人生、平凡な人生、というのを歩みます。 多くの人が。 要点をまとめます。 人間は考える葦である。 僕たち人間には、考えるしかできないし、だからと言って考えても真理を見つけられるか、は解らない。 できたとしても、五パーセント未満の確率でしょう。 加えて言うと、パスカルはそれを見つけられなかったのだと思います。 見つけることができた、と思ってはいたかもしれません。 真理に近づいたのはおそらく釈迦でしょう。 彼の場合は、本人の思い込みでないほど万人に当てはまる哲学を持っていると思い ます。 そういうことも稀に起きるようです。 あなたもその調子で賢く、優しく生きていってくださいね。 どの哲学者も言った答えの無い問い。 哲学者の言うことなんて聞かなくていいです。 みんな同じ土台に立ってます。 自分の心だけをよく、観ましょう。 心が小宇宙だと言えるなら、全て僕たちのなかに在るのでしょう。 僕たちは孤独な葦、稲です。 しかしその心は、みんな同じ月を見ている。 駄文失礼しました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様の回答とてもわかりやすく、深かったです! ありがとうございました><!

お礼日時:2013/5/18 17:48

その他の回答(2件)

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そう考えると凡庸な言葉になってしまう。パスカルじゃなくても誰にでも言えることに過ぎない。 だいいち、葦に対して失礼でもある。 小林秀雄という人がいた。 彼の解釈は、 「人間は葦のように考えなければならない。」というものだ。 「考える」能力があるからと言って人間が葦より偉いわけでも優越するわけでもない、 ということ。 一般的な解釈につきまとう、「考える能力」=人間の優位性という考えは間違いだ。 葦が光合成をするように人間は考える。 人間の「考える能力」を特権化せず、相対化せよ。 と受け取ったほうが、意味深い。

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「人間は考える葦である」---天才と言われるパスカル の言葉ですね。 私も最も好きな名言の一つですが、この言葉には哲学的 考察に裏付けされたものがあると共に、詩人的要素も 現れ出ている名言だという風に私は思っています。 もちろん、あなたがここで言われたような意味があります。 また葦というのは「湿地に群生」しているわけです。 じめじめした人情の中でお互いに繋がりを持ちながら生 きています。風が吹けば一斉に弱々しく靡きますが、 風によって吹き飛ばされるということはまずありません。 意外なしぶとさを持っています。ときどき雁などが飛んで きて「間引」きしますが、そういうところも人間に似ている ということで、人間というものを言い表すのに、最高(最良 )の表現だと私はみなしています。