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重松清さんのタオルという作品を学校でやったのですが、最後のシーンのまとめをや...

cgq********さん

2013/5/2121:34:28

重松清さんのタオルという作品を学校でやったのですが、最後のシーンのまとめをやったあと先生が「この最後のシーンで写真を撮ったというのにも深い意味があります」というようなことを、言ったのですが

どういうことですか。教えてください

補足すいません!質問の内容が間違ってました。タオルをすべて終わらしたあとにもっとこの話を深く理解するためにこの写真が持つ役割とは、となぜ名前じゃなく少年で表したのかです。すいません

この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

iri********さん

編集あり2013/5/2420:50:30

授業で学習されていますので 重複するかと思いますが…

この重松清の”タオル”という作品は 祖父の死という大きな悲しみを
少年が少しずつ受け入れていくお話です。

悲しみが大きいと かえって涙が出なかったり 悲しむという行為すら
出来ない場合があります。

特に ”死”というものはなかなか受け入れ難いです。
それが大切な 大好きな存在であればあるほど。
またこの作品のように 不意に訪れた死は 心の準備が出来ていないために
なおさら受け入れ難いものとなります。


最後のシーンで 少年も シライさんのたいたカメラのフラッシュに細めた目から
やっと熱いものがあふれ出ます。
これは少年が おじいちゃんの死で初めて流した涙です。

これで少年も ようやくおじいちゃんの死を悲しみ
受け入れることができたということになります。


参考までに…

↓ こちらのブログのあらすじと感想 とてもわかりやすいです。
http://blog.livedoor.jp/blueskytheory/archives/1835523.html


↓ こちらのブログの”授業メモ” とても詳しく わかりやすいです。

http://ameblo.jp/sorawotobumogura/entry-11078727084.html

http://ameblo.jp/sorawotobumogura/entry-11079713570.html#main

http://ameblo.jp/sorawotobumogura/entry-11080599032.html#main


★補足を拝見致しました。
出来たら学校で先生にお尋ねされるのが 確実かと思いますが、
あくまでも一例として私の考えを回答いたします。

Q, 写真が保つ役割とは…

A, 民宿の食堂で、 少年とシライさんが献杯した後、 12年前にシライさんが
撮った写真を見るシーンがあります。
その際の少年の行動、「クスッと笑いかけ」たのは、おじいちゃんがはげて
いなかったから、それをおじいちゃんに見せたら、どんな反応をするだろうかと
思ったからです。
「ああそうかと頬をすぼめた」のは、 少年がおじいちゃんは、もはやこの世にいない、
写真を見せるということは、現実にはあり得ないということに気がついたからです。

そうして 少年は、シライさんの自分を子ども扱いしない優しさにふれて、
祖父の死を考える余裕が生まれました。
自分の居場所が見つかって、心の中にスペースができ、そこに初めて祖父を
失った喪失感や悲しみが入り込んでくることになり、それは次の祖父の生前の
回想につながっていきます。


それと 漁をしているときのおじいちゃんの写真は どれもタオルを頭に
巻いていました。
ココでタイトルに繋がる「タオル」が出てきます。
この「タオル」は、おじいちゃんがいつも頭に巻いていたタオルだったのです。

そうして少年の心におじいちゃんが少しずつよみがえってきます。



次にお通夜の席で写真がまた登場します。

この通夜の席で、少年の居場所は再び失われてしまいます。

シライさんは大人たちに混じり、 昔の写真を肴に大人たちと酒を飲み始めます。
仲良しだったはずのシライさんが、 あっさり大人の世界に入ってしまい、
再び大人の世界から少年は疎外されてしまいます。
そして大人たちの言動にも違和感を覚えます。


実際に経験したらわかるかと思うのですが、 ヒトが亡くなって悲しいのですが、
通夜や葬儀の準備をしながら、 話をしたり、故人の思い出を話ししながら、
笑い声も出たりすることがあります。
まあこれはその時の状態などにもよりますが^^;


でも少年にとっては、そういう大人たちの態度が何となく釈然としません。
つまり、まだおじいちゃんの死を、ちゃんと受け入れられないでいるということに
なります。



最後でまた写真を撮るシーンが出てきます。

父親が、少年にタオルを額に巻くように言い、 少年はタオルを巻きますが、
そのタオルからは潮のにおいがします。父親はその姿に拍手をして泣き、
少年もシライさんがたいたカメラのフラッシュに細めた目に、熱いものが
あふれ出ます。
これは少年がおじいちゃんの死に初めて流した涙です。



「写真」はこの作品において、 祖父の死を通して少年がそれを乗り越えていく
成長の過程を描くため、 また死を取り巻いて動く、 父親を中心とした家族や
共同体のあり方、人との深い絆の中で私たちは生きているという
この作品のテーマを伝えるための大切なアイテムになるかと思います。



Q, なぜ名前じゃなく少年で表したのか…

A ,上記「授業メモ」にわかりやすく書かれています。
>この小説では少年は最後まで実名が書かれていません。最後まで「少年」で通されています。そういう表現をとる作者の意図、固有名詞を与えないことでイメージが限定されるのを避けている、そのことで普遍性が与えられ、自分自身を少年に投影しやすくしていると言えるかもしれません。少年を透明なイメージのまま読者に提示しているということになります。


参考になりましたら幸いです。

質問した人からのコメント

2013/5/25 07:45:15

成功 ありがとうございます!とてもわかりやすかったです

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