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ポツダム宣言

len********さん

2007/2/1516:59:38

ポツダム宣言

昔の話なのですが、1945年に日本はポツダム宣言を受け入れましたよね。
その質問なのですが、その当時の総理、鈴木貫太郎が即座にポツダム宣言を受け入れていれば核攻撃がなかったというのは本当でしょうか?

これが本当ならば鈴木貫太郎は最悪な人物ですよね?しかもその後相当生きたらしいですし、不死身という異名までついたそうですが・・・

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ana********さん

2007/2/1522:48:59

ポイントとなる点が2つほどあります。

○鈴木貫太郎が独断でポツダム宣言の受諾を決定できたか
○アメリカにポツダム宣言を受諾させる気があったか

まず1点目、「鈴木貫太郎が独断でポツダム宣言の受諾を決定できたか」

これは「NO」です。

鈴木貫太郎は昭和天皇の侍従長をしていました。その時に2.26事件における襲撃にあい、九死に一生を得ています。

その後、高齢もあって第一線を退いていましたが、昭和天皇のたっての希望で総理大臣を引き受ける事になりました。戦争終結を内命されての事です。

ですが、鈴木首相の就任における演説は従来どおり「徹底抗戦、一億玉砕」でした。

この当時、日本政府が最も恐れていたのは敗戦ではなく、敗戦を決定した時に起こるであろう軍部の一部過激派将校によるクーデターでした。

また、当時の首相は今ほど強力なリーダーシップを発揮できる状態ではありませんでした。言わば陸海軍相を含めた閣僚の「まとめ役」でしかなかった訳です。

こうした理由もあって、鈴木の独断では講和の決定はできません。最終的に「天皇聖断」というウルトラCを用いての終戦となったのです。

この「聖断」についても、御前会議において講和に対する賛否が割れたその時、絶妙のタイミングで天皇の裁断を仰いだのは、長く侍従長を務め、昭和天皇と阿吽の呼吸であった鈴木ならではの事でした。

「あれは鈴木だからできた」と後に評された所以です。

あまり知られていませんが、天皇は閣議などにおいては「自分の意見を主張しない」というのが不文律でした。

特に昭和天皇は「立憲君主」としての立場を貫く事を旨としていました。その立場を崩したのはたったの二度。226事件の鎮圧に自ら乗り出そうとした事と、ポツダム宣言受諾の「聖断」です。

その極めて数少ない例外を引き出したのは、間違いなく鈴木の功績です。

結果的に二度の原爆、沖縄戦など多くの犠牲をこの時期に出す事になりましたが、これは日米開戦そのものに原因があるのであって、鈴木に非を問うべき問題ではありません。

次に第2点、「アメリカにポツダム宣言を受諾させる気があったか」という問題ですが。

アメリカは日本の降伏を時間の問題とみていました。この時にアメリカが最大の関心を持っていたのはソ連の動向です。

対日参戦によってアメリカに恩を売り、日本の占領において大きく勢力を拡大しようとするソ連を、アメリカは牽制する必要に迫られていました。

この為に、限りなく独力に近い形で、しかも決定的な力を見せつけて日本を降伏させなければならなかったのです。

ですから、原爆投下によって日本が降伏するというシナリオは、アメリカが最も望んだ形でした。

事実、日本はソ連に対してアメリカとの講和での仲介を要請しています。当然ながらアメリカもその情報を掴んでいました。

このため、日本が簡単に受諾しないように、日本が拘った「国体保証」の一文を、わざと曖昧にしたというのが通説となっています。

このように、原爆投下、そしてソ連参戦、沖縄戦は、多くの思惑が絡み合った結果であって、鈴木首相一人の力でどうにかできるものではありませんでした。

無論、即時降伏に応じなかった日本政府の失策は非難されて然るべきですが、これは連綿と続いた日本政府の特質から生じたところが大です。

従って、鈴木は、総理大臣として日本政府の失態の責任を負ってはいますが、終戦の功労者と評して良い人物であるといえるでしょう。

質問した人からのコメント

2007/2/17 14:58:04

驚く よくわかりました!
なるほど、様はアメリカの作戦で核を落とされたってわけですか・・・
お三方、ご回答ありがとうございます。

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tho********さん

2007/2/1518:39:11

別に「ポツダム宣言を受け入れなければ核兵器を落とすぞ」なんて脅迫されていたわけではありませんよ。
結果として核兵器は落とされましたが、それと鈴木貫太郎は何も関係ありますまい。
あえて責任者を特定するとしたら、それはトルーマン大統領のハズです。

だいたい我々は核兵器を凶悪な悪魔の平気だと認識していますが、当時の人々にとっては新兵器という以上の意味は持ちません。
我々が核兵器によって起こるおぞましい惨状を理解していられるのは、広島・長崎という実例があるからです。
「アメリカは人種差別のために原爆を落とした、日本を降伏させるためだけなら無人島にでも落としてその光景を日本の研究者に見せればよかったんだ」なんていう人がいますが、私はまったく賛同できませんね。
おそらくそれでは日本の権力者たちはまったく納得できなかったでしょう。
下手すれば研究者たちも過小にしか報告しかったかも知れない。
単に無機物が崩壊する光景しか見なかったなら、それでどれほどの人間が焼き尽くされるかなんて想像できるワケがありません。

そしてその意味では、
まったく嫌な結論ですが、原爆が落ちたのが広島・長崎で良かったのだとも言えるかもしれない。
もしあそこで落とされずに核兵器の使用が次の戦争に持ち越されていたら、考えるだに恐ろしい。

我々が原爆の被害を完全に把握できているのは、落とされたすぐ後に日本が敗北し堂々と救援活動が行われたからです。
それによって、原爆がどれほどの悲惨な状況を生むのかを完全に記録することができた。
もしこれが朝鮮戦争のさなかに単なる戦術的勝利のためだけに使われていたとしたら、ソ連とアメリカとどちらが使ったにせよそれの被害を明快にすることは非常に困難だったでしょう。
使ったほうは被害を過少にしか記録しないでしょうし、やられたほうは被害を過大に発表するでしょう。
どうしたって信頼できる資料にはならない。

そうなれば人類は核兵器の真の恐ろしさを知ることができなかったかもしれない。
朝鮮戦争はそのまま米中戦争になだれ込み、米ソ戦争、第3次世界大戦へと発展していったでしょう。
まったく逆説的な話かもしれないが、鈴木貫太郎とトルーマン大統領の決断は第3次世界大戦を防ぐことになった英断だったのだとも言えるかもしれない。
まあ、本人に自覚があったかどうかはまた別の話ですが。

nak********さん

編集あり2007/2/1517:59:55

それは問題のすり替えです。
当時、戦争終結は時間の問題でした。
当時の日本政府は戦争の終結を本気で模索していました。反対していたのは一部の高級軍人です。
そこを核攻撃の必要性が無いのに、戦後の新世界秩序の主導権争いを見据えて核を落とす決断を下した方が最悪な人だと思います。

当時、ポツダム宣言は天皇の処遇を曖昧に書くなど、とても日本側に受け入れられるものではありませんでした。

だから拒否ではなく、反応を見るために無視したのです。それを連合国側は、拒否と受け取ったようです。
この天皇の処遇の問題なども、日本側が受け入れられないのを織り込み済みで書かれたと言われてます。
ポツダム宣言のころ、すでに戦後の駆け引きが始まっていたのです。
アメリカとしては、ここで日本に降伏されると都合の悪いことが多かったようです。
アメリカは核開発におかねをかけすぎていたし、核兵器の威力を日本以外(某共産国家)の国に示す必要があったのでしょう。

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