ここから本文です

歴史歪曲①朝鮮紀行 この本も悪用されることが多いようです。 韓国を意図的に「美...

kut********さん

2013/6/2121:05:25

歴史歪曲①朝鮮紀行
この本も悪用されることが多いようです。
韓国を意図的に「美化」するために使われています。

知恵ノートに書く前に、皆さんのご意見をうかがい、間違いなどご指摘していただきたいと思います。

間違いなどご指摘していただきたいと思います。

韓国の歴史歪曲。イザベラバードの「朝鮮紀行」を使ってどのような歪曲、、捏造が行なわれているのか?

Aソウルこそこの世でいちばん不潔で悪臭の町か?1894年P58

Bソウルはいまや極東で一番清潔な都市に変わろうとしているか?1897年P545

市や学校の図書館においてあるだろうと思われる講談社学術文庫のページを指定し、そこから引用することにしよう。

割とよくあるのは、AかBどちらか一方しか引用しないことである。

Aしか引用しないケースでは本書冒頭1894年の現状を知らせるだけなので、特に捏造というわけではない。

Bしか引用しないケースでは、その間3年間の変化の因果関係を「省略」によって歪曲しようとするものである。

このAとBとのあいだにおこった「変化」の5割以上は日本の貢献によるものであることを、ごまかそうとしているのだ。

時系列順に言うと・・

1、傾きかけた「清国」は、19世紀的帝国主義帝国に脱皮しようと模索しつつあり。

その一方向として「華北温存第一主義」をとり、黄海を内海とする「北洋帝国」として再編成をおこないつつあった。

その軍勢のかなりの部分はソウルから済物浦に布陣されていた。

かつての朝貢国というより、西洋から学習した植民地へと転換が進みつつあった。



2、当時清国を脅威と考えていた日本は、朝鮮半島経由で清国が侵攻してくることを恐れており、清国と2度の紛争をたたかっている。もしかすると李鴻章は、戦況によっては半島の分割もかんがえていたかもしれない。



で、ここでAの描写となる。



3、日清戦争の勝利によって、日本は半島全体を、清国の属国から独立させる。



4、日本が指導し、腐敗した両班支配、奴隷制度から開放をおこなう。

警察と軍の改革にあたる。



5、日本が300万ドルの借款を行なう。

1ドル=穴あき銅銭3200枚。まあ300億から千億円くらいか?

当時の韓国国家予算が400万ドル。



6、三国干渉などにより日本勢力が退潮。

「日本が朝鮮でうしなっら影響力はことごとくロシアの手に渡った」P472



で、Bのかわりつつあるソウル、となる。

ただし「ロシア公使ウェーベル氏は・・中略・・朝鮮人を自業自得で苦しませ・・・首をつるのに十分なロープをあたえた」P537

著者の結論は。

「朝鮮にはその内部からみずからを改革するのうりょくがないので、外部からかいかくされねばならない」P563

というものであった。

閲覧数:
271
回答数:
1
お礼:
250枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

pol********さん

編集あり2013/6/2223:35:30

「このAとBとのあいだにおこった「変化」の5割以上は日本の貢献によるものであることを、ごまかそうとしているのだ。」

「日本の貢献によるものであることを、ごまかそうとしているのだ。」との点は、そうとも限らないと思います。
私が目にしたケースでは、逆に、A(1894年)を書いてB(1897年)を書かない論者は、日韓併合前に市街地整備が進んでいたことを隠したうえで、日韓併合後の写真を提示して、「日韓併合後にはAと比べて劇的な変化を遂げた。これは併合によって改善したものだ。」という論旨でした。


それと、
「「変化」の5割以上は日本の貢献によるものである」という根拠は有るのでしょうか?

著者によれば、Bの事象は、米国で都市政策を学んだ敏腕の漢城(現ソウル)市長が税関長マクレヴィ・ブラウンの提案で市内環境整備を行っていたからだ、ということだったはずです。

歴史的背景事情としても、この1894-1897前後の時期、とくに問題の1897年は、日本の朝鮮への影響力はほとんど無かった時期だと思います。

つまり、もともとは清が宗主権を握っていて、
・・・以下、ちょっと細かくなりますが・・・・

1884 専制政治打破と国内改革とを掲げる大院君派(独立党)は、日本に接近し、日本公使の援助のもとクーデター蜂起するも、しかし、清国により鎮圧されて失敗(甲申事変)。(日本の影響力低下)

1885年 甲申事変の事後処理のための天津条約で、日中はともに朝鮮から撤兵。
しかし、以後、朝鮮政権の閔妃派は清国依存(日本の影響力低下)

1894年 東学党の乱
前年から朝鮮半島各地で農民蜂起が起きていたが、やがて、東学党が主導して全半島的な内乱に発展した(東学党の乱)。
閔妃派は、これも清国に鎮圧のための派兵を要請した。
(日本は、公使館警護と邦人保護の名目で出兵したのみで、鎮圧の主役は清国)

1894年 日清戦争開戦。
日本は、すぐに閔妃派を追い出して束の間の開化派政権を作った。

1895年 日清戦争終結、下関条約
直後に、三国干渉(遼東半島返還)により朝鮮半島でも日本の影響力低下し、ロシアが勢力を伸ばす。
閔妃派は、ロシアの力を借りてクーデター成功。親露政権成立。
(清がダメならロシアと・・・どうして日本がこんなに嫌われたのか、・・・日本だけは腐敗した政権を改革しようという方針が明確だったので、腐敗官僚が日本を嫌い、腐敗官僚温存の清やロシアを好んだのでしょうが)
これに対し、開化派は閔妃を殺害(日本公使の関与については諸説有り)。
また、束の間の親日派政権が成立。

1896 またクーデターで親露政権成立。親日派要人ら処刑される。

1897 大韓帝国へと改名(ロシアを後ろ盾とする高宗が皇帝即位)

・・・・・・・・

つまり、朝鮮の政権は、2度ほど束の間に親日政権だっただけで、政権安定する間もないですし、その前は清国の属国、その後はロシアの影響下でしょう。

イザベラ・バード・ビショップが4度朝鮮を訪れ、最後の1897年に市内環境改善が始まっていた、ということですから、その時期は、朝鮮政権がロシアに従属していた頃の話です。

「変化」の5割以上は日本の貢献による、というのは、何か具体的な資料がない限り、ちょっと無理があると思うのですが・・・。


それと、ソウル市街地美化はソウル市政の問題で、韓国の「国政」は無為無策だったのではないか、と区別して考えた方がよくないでしょうか?

質問した人からのコメント

2013/6/23 23:16:18

日本の日清戦争以前と以後では、外国からの投資が連れくらい変化しましたか?
日本以外の国から、どのくらいの借款が与えられましたか?

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる