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桓武天皇は、平安京の作った場所、京都市を「山城」と名づけました。

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ID非公開さん

2013/6/2121:41:48

桓武天皇は、平安京の作った場所、京都市を「山城」と名づけました。

1、「山城」は、当初、「やまき」または「やまのき」と読んだのでしょうか。

2.もし、京都盆地を「やましろ」と呼んだとしたら、「しろ」に「城」の漢字を当てた理由はなんですか。
当時「しろ」には、キャッスルという意味は無く、どちらかというと、テンプル(やしろ)の意味だと思います。

3.京都盆地は、三方を山に囲まれているから「山城」だと言うのが定説だという方がいらっしゃいますが、
どう考えても「山城」とは、山の上にあるお城だと思います。

桓武天皇が、平安京の地を「山城」と名づけたのは、別な理由があったのではないかと思うのですがよくわかりません。

南に30kmも離れた地名に古くから「やましろ山代」があるのに。

そして、その元の「山代」は、丘陵地帯なのに、
京都盆地は、非常に平らであること。

なにかこの謎を解くヒントはありませんでしょうか。

「葛野かどの」と「山城」で、「葛城」になり、雄略天皇が滅ぼした「葛城族」の鎮魂のために名づけた。
も考えられるけど、桓武天皇は、「葛城族」とはあまり関係ないと思います。
それとも、「山城」と名づけたのは、平安京の都作りに貢献した「秦氏」関連で、
秦氏と葛城族は深い関係があった。
「かどの」は、実は良い意味ではなく、葛城族の「流刑地」であった。思いついたので書いただけで根拠はありません。

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ベストアンサーに選ばれた回答

don********さん

2013/6/2121:57:27

たしか山城は「山の後ろ」って意味だったかと。
つまり、奈良からみて山の後ろの地です。

葛城氏が滅んだのは、平安京より350年も前です。
例えば、今から350年前と言えば1660年ころ、江戸時代初頭です。
当時の人にしても、それくらいの昔のできごと。と言う認識だったはずで、いまさら鎮魂とかピンときません。

たしか山城は「山の後ろ」って意味だったかと。
つまり、奈良からみて山の後ろの地です。...

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質問した人からのコメント

2013/6/21 22:31:08

ちょっと質問の仕方が下手でしたね。すみません。「城」は当時「しろ」とは読まなかったと思うのです。それに「山城」が「山背」から30キロ以上離れているのです。ありがとうございました。コメントを読んで考えたのですが、自分のご先祖であれば、350年前でも鎮魂を考えるかも。つまり、秦氏は葛城族の末裔で、それを隠していた。秦氏のルーツは謎だそうです。葛城族は朝鮮半島にも領地を持っていたそうですし。謎です。

ベストアンサー以外の回答

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leo********さん

2013/6/2122:08:06

そもそも『やましろ』は『山背』と表記していました。文武天皇もしくは元明天皇かの頃に『諸国の名は嘉字二文字で表記するように』との命令が下され、山背も山城と表記されるようになりました。『背』には『そむく』という悪い意味が含まれているからです。従って葛城氏云々とは全く関係ありません

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