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「命」と「誇り」「名誉」

nuclear_tipsさん

2007/3/208:45:53

「命」と「誇り」「名誉」

「命」よりも「誇り」や「名誉」が大切という概念は、現代においても存在するのでしょうか?
また、存在するのであれば、具体的にどの様なものなのでしょうか?

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dokibunsyunさん

編集あり2007/3/317:45:08

男の本当の値打ちは、命よりも大切なものを自分が背負っているかどうかというところにあります。
そういうものを背負っていない者は命がいちばん大事だと言います。
そして、悲しいことに現代では命より大切なものを背負っている人は少ない。
ほとんどの人が西洋かぶれの命の尊厳、命第一主義に毒されています。
昔の日本人は命よりも大切なものをいっぱい抱えていました。背負っていました。
その頃は、「生」が輝いていました。充実していました。
ところが、現代では猫も杓子も、馬鹿の一つおぼえのように命第一主義です。
つまらなくなりました。
激しい情熱。激しい向上心。
もしあなたのうちに、燃えさかるそれがあるのなら、もし何らかの使命を感じるのであれば、我が命など惜しくはないと天に捧げることもいとわないことでしょう。
自分の命を捧げるような目的や理想を見つけること。
自分の情熱をぶつけるものをみつけること。
そして、そういう生き方こそ男の誇りであり、名誉であり、真の値打ちなのです。
井上靖の「天平の甍」をお読みになりましたか。
そこには、自分の命をかえりみず、夢や希望に燃えた若者たちの情熱が描かれています。
自分のうちに、そういった激しい情熱があるかどうか。
それが、命云々の境目です。

質問した人からのコメント

2007/3/7 08:33:08

降参 なるほど。
「誇り」や「名誉」のための行動を「愚」とする、その様な風潮が日本に蔓延しているのをみると、いずれ日本も他のアジアの国々に追い抜かれる日が来るのではと危惧しております。
ご指摘の井上靖氏の「天平の甍」、読んでみようと思います。
また、roulabobbyさんも「誇り」と「名誉」に関して分かりやすいご説明を頂き有難うございます。
みなさん、ご回答有難うございました。
大変勉強になりました。

ベストアンサー以外の回答

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tamakoyangiさん

2007/3/602:41:07

人生や社会において成すべきことが、自分たちの命を長らえることと較べて優先される状況になったら、似た様なことは起こると思います。誇りや名誉の内容にもよると思いますけど、行動の際にそれらが先に来るようでは利己主義的自愛的な考えだと思います。行動の後でおまけでそれらがつくなら悪くもないですけど、その時は本人はいないから分からないかと思いますが。何かをすることで他人の命が取られるか、自分の命が取られるかで大きく違うと思いますよ。

lishuryさん

2007/3/522:46:35

通用するでしょう。
しかし、以前の「名誉のための死」とは、意味合いが異なると思いますが。

例えれば、
わたしのことをバカにしたから、あいつを殺した。
的な内容の事件を時々、見かけます。

これは、ある意味、命よりも誇りや名誉が高位にあっての着想から発生した行動だと、わたしは思います。

lzclk9227さん

2007/3/423:51:26

ズバリ、良くも悪くも軍人にとって必要不可欠なものといえますでしょう。
でなければ戦地で命の遣り取りを行える気構えを持てるものではありませんしそれなくしては己の命を顧みずに戦える筈がありません、これは万国共通の原則といっていいでしょう。
軍人が極限状態の中で戦闘できるのはたとえ戦死しても名誉と誇りが死後にも付いてまわるとの認識があるからに他なりません、無理やり徴兵されて戦地に行かされた兵士は別かもしれませんが自ら志願した軍人とはそんなものですよ。
そういった軍人が立派で素晴らしい態度であるかどうかは別問題ですが軍の本質を鑑みればそれを否定しますと軍の存在基盤が失せてしまうとなるでしょう。

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roulabobbyさん

2007/3/321:49:12

確かに家の名誉や殿の名誉の為に命を懸けて戦ったり、場合によれば命を捨てて切腹したりというのは前時代的に思われます。

現代では個人主義的な考え方が主流ですから社長の名誉の為に命を賭ける人はまずいないでしょうね。

また、現代では家の名誉の為に命を懸ける覚悟がある場合でも、自分の命を犠牲にせずとも裁判などの手法になろうかと思います。

一方誇りの方はといえば、主君の誇りや武士の誇り、もしかすれば商人の誇りや農民の誇りというものが考えられ、それは現代における各個人がそれぞれ持っている人間としての誇りや文明人の誇り(もしかすればオタクの誇りなどもあるかも)などと同じく本人自身の問題ですね。

名誉や誇りといえば何だかただの「言葉」のみのような印象を受けますが、それらを重視する人間にとっては何よりも大切なものなのでしょう。

名誉の方は、謂わば社会的といいますか、名誉を判断するのが社会の側という意味においてどちらかといいますと本人よりも社会の方に重点があるように感じます。
それが本人にとって重要なことになるということは、社会の本人への評価の意味するところが大きいのでしょうか。

そういう訳で上に書きましたような社会よりも個人を重視する個人主義的な思想、価値観の持ち主にとっては、自己の価値観の中における「名誉」の位置はかなり低位なところにありそうです。(命よりも下)

ところが「誇り」の方はどうかといいますと、これはもっぱら本人自身の問題であり他人が「バカらしいから意地を張るのはお止めなさい。」と言おうが命を懸けて臨んだりしそうです。

「誇り」というか矜持というか、謂わば自分自身が生きてゆくために譲れないようなものを含み、それを失えば自己の存在意義が見出せないようなもの、つまり命など無に等しくなってしまう、そういうものは人によって明確に(または普段は意識せずともいざその時がくれば発動する)持っていそうです。

と、ここまで来て最後に具体例を挙げなくてはいけないようです。
①子供(大人でも)がバカにされ自己の誇りを傷つけられた為に名誉に懸けて喧嘩する。(このとき、命を懸けている意識はなくとも激しい喧嘩の結果死ぬこともあり得ることを考えれば命を懸けていると言えるのではなかろうか?)
②救助を必要とする人に接し、自分に救助できる技能はあるが非常に死のリスクが高く感じられる場合、自己の価値観内で命よりも使命感や倫理観、人間性、名誉などが上位であれば救助しようとしそうです。(先日の警察官の行動を想起させます。)
③現代においては理不尽な殺人の横行は少ないためにその状況を捜すのは少し難しいですが、例えば極悪人に家族を襲われ、「お前はあっちへ行け!そうすれば殺さないでやる。」などと言われてしまう。後に残された新妻(または子供)が何をされてしまうかを考え、自分が殺されようが逃げようが家族に起きる結果は同じなので一か八かの勝負を挑む。
④何かしらの理不尽な事柄に抗議するためにハンガーストライキを実行する。たまに意志の強いお人が医療チームに点滴されちゃったりしますよね。

2007/3/308:20:01

この概念でわれわれがよく目にするのは、任侠、やくざの世界でしょうね。彼らは義理や面子を重視しますから、時には些細なことで、自身の命を省みず、刃傷沙汰に発展する可能性を秘めています。それと最近問題になっている「中高年の自殺」、これも実際他人事では無いです。元ライブドアの野口氏もどう考えても「家族を守った死」ですよね。われわれは常に目に見えない陥穽の恐怖に晒されていると言っても過言ではありません。明日はわが身です。なるべくなら何かを守るために自身の命を投げ出す機会の少ないのに越したことは在りませんが、時には「譲れない死」というものが在るような気がします。利休が切腹の命を受けても、顔色一つ変えなかった、私はよくこの事を考えてしまいます。確かに「命」よりも「誇り」や「名誉」が大切という概念は今でも存在すると思います。

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