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徳川将軍家で狩猟を行っていた(趣味にしていた)将軍は徳川慶喜だけですか? ま...

bik********さん

2013/7/1421:33:51

徳川将軍家で狩猟を行っていた(趣味にしていた)将軍は徳川慶喜だけですか?
また徳川慶喜はどこで狩猟をしていたのでしょうか?

補足慶喜の狩猟の際の写真というものを見た事があるのですが
そこには鳥のようなものをもつ慶喜がいました
その鳥のようなものは鷹という事でいいのでしょうか?
鴨にも見えましたが

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2013/7/1516:38:33

狩猟とは違いますが、鷹狩りは代々の将軍に好まれていました。「生類憐みの令」の綱吉は禁じましたが、吉宗の代で復活しましたので、歴代の将軍のほとんどがやっていたはずです。特に、家康や家光、吉宗が好んだことで有名です。
歴代の将軍が鷹狩りを行っていた場所は、沼部、世田谷、中野、戸田、平柳、淵江、八条、葛西、品川(のちに、葛西、岩淵、戸田、中野、品川、六郷に改変)ですので、慶喜も江戸在住当時はここで狩りをしていたのではないでしょうか?
ちなみに、将軍家の別邸であった、浜御殿の跡である「浜離宮恩賜庭園」には、当時の鷹狩りで用いられた施設が残っています。ここでも狩りをしたかも知れませんね。
また、静岡に隠棲後は、近くの山々や宇津の谷峠で狩りを行ない、時には三島、天城山まで足を運んだようです。


補足を読みました。
うーん、どの写真のことでしょう?
まさかこれではないですよね?これは帽子を持っている写真ですし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:TokugawaYoshinobu.jpg

慶喜本人は猟犬を使う、西洋式の狩猟を行っていました。脚元に猟犬を従えた写真も残っています。
ただ、そのような狩猟は幕末以降に日本に入ってきたものですから、歴代将軍が行っていた狩猟は、鷹狩りということです。

追記
ああその写真は、私が上で挙げた、「脚元に猟犬を従えた写真」です。
手には何も持たず、肩から銃を提げているだけです。もし脚元の黒い影を言われているのであれば、それが猟犬です。

追記②
申し訳ありません。少し調べて見ましたが、正確な場所等の特定には至りませんでした。
ただ、静岡時代の写真であることは間違いありませんので、撮影者は慶喜が写真技術を学んだ、静岡在住の写真師「徳田幸吉」氏で、撮影場所も静岡県内だと思われます。
あと、所蔵は「静岡県立中央図書館」です。この図書館には、徳川家所縁の蔵書を保管した「葵文庫」がありますので、問い合わせればもう少し詳しくわかるかもしれません。ただ、確認したところ、本日は休館日でした。残念。

質問した人からのコメント

2013/7/15 19:38:13

当時の狩猟場の場所、写真の情報、詳しい補足、資料の場所などを
明記してくださったためdrtakyamさんをBAとさせていただきます。
to4rohさんにもいち早く回答をくださりとても感謝しております。
r18hhhさんにも当時の将軍家の狩猟文化についてご回答いただきました
odogu300さんにも当時の鷹の価値などをご回答していただきました。
皆様の回答をこれからの研究で役立てるよう精一杯がんばって参ります。
ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

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ru_********さん

編集あり2013/7/1512:46:26

IDが違いますが質問主です
追記に画像がなく申し訳ございません
私が見たのはこの画像です

追記
度々質問ばかり申し訳ございません。この質問で最後とさせていただきます。
この写真の情報(場所、撮影者)など知っている事があれば教えていただきたいです。

IDが違いますが質問主です
追記に画像がなく申し訳ございません
私が見たのはこの画像です
 
追記...

odo********さん

2013/7/1423:34:01

鷹狩は綱吉、家宣、家継の中断期を除いて行われていました。その中断期においても朝廷に献上するための鶴などの狩りは行われています。将軍家や大名の贈答品として鷹は重視されており、特に将軍から鷹を賜る家は10家前後と限られていました。
慶喜は鷹狩や鉄砲での狩猟を好み、静岡市内の川や沼、遠くは伊豆の天城山まで出かけたようです。

r18********さん

編集あり2013/7/1422:44:14

家康や秀忠は、どちらかというと戦国大名だからか、アウトドア派で、
鷹狩りを好んだらしい。
また、その子孫となると、吉宗や家治がよく鷹狩りをしてたようですな。

彼らの鷹狩りは、単に狩猟・アウトドア趣味というだけではなく、
軍事訓練の一端でもあったので、武芸を好む将軍は軒並み行なっている。
だが、綱吉の『生類憐みの令』の影響により、
6代、7代将軍は鷹狩りを行なわなかった。

腕や止まり木に止まらせていないのであれば、それは獲物でしょう。
写真に撮るぐらいの獲物ってコトは、結構嬉しい獲物だったんだろうね。
また、沼での狩猟だったのかもしれん。
オレは鷹狩りのコトは知らんけど、鷹は基本的に地上の小動物や鳥を狩るハズ。
飛行中の鴨には襲いかからないと思うので、離水直後を狙ったのかな。
飛行中の鳥を襲うのは隼だけど(よく鳩や椋鳥を撃墜してる)、
隼では鴨は大きすぎるからな。

齊藤史朗さん

編集あり2013/7/1422:29:35

鷹狩りなら家康や吉宗も好んでいましたね。
慶喜の狩猟場は分かりませんが、明治時代ならまだ狩猟に適した土地はいくらでもあったでしょう。

鷹狩りは人手が多く必要なので、一民間人には無理。
明治になって慶喜がやったのは鉄砲を持って犬を勢子として使う西洋風の狩りでしょう。

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