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熱田神宮にある(あった)という「草薙の剣」って見たことありますか。どのような...

tospace10さん

2007/3/1519:58:32

熱田神宮にある(あった)という「草薙の剣」って見たことありますか。
どのような剣でしょうか。

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編集あり2007/3/1612:19:07

江戸末期に、神官が見て眼がつぶれたという記録がある。

神宝である草薙の剣について江戸期の「玉籤集(ぎょくせんしゅう)」には、神官がこっそりのぞいた記録がある。
tokdo53.arrd.net/hr-02/hiro04/42atutamiya.html

ご神体は長さニ尺七、八寸、刃先は菖蒲の葉なりにして、中程はむくりと厚みあり。本の方六寸ばかりは節立ちて、魚などの背骨の如し。色は全体に白し。

なお、平安末期の源平の戦いで、壇ノ浦に沈んだともいわれている。
www.geocities.jp/rekisi_neko/owari.html
しかし、沈んだのが本当の剣なのかという疑問もある。


追記、
天智天皇7年(668)は中大兄が即位した年

 「沙門道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く。而して中路にて雨風荒れ、迷いて帰る」という記事である。

 この僧は愛知県知多市の名刹・法海寺の開基として信仰を集め、境内からは弥生土器以来の遺物が出土しており、さらに7世紀末頃からの瓦も出土することなどから天武天皇の頃に大伽藍が営まれていたことが分かる。『法海寺略由緒』によると「むかし、新羅の明信王の子、道行法師が父の命を受け我が国に渡来し、熱田の宝剣を盗もうとしたが、事が露顕して星崎の浦にある土牢に捕らえられた」ことが記されている。星崎とは熱田の東南にあたり年魚市潟(あゆちがた)の渡船場でもあった。

 道行法師は囚人となったが、修行を積んだ高僧であることが認められ、天智天皇が病のおり加持法を執り行ったところ天皇の病が治り、薬師如来を本尊とする法海寺の基礎ができたという。このことから大和朝廷による神剣奪取の陰謀が露見する。
 朱鳥(あけみどり)元年(686)に、天武天皇の病が重くなったので「天皇の病を卜うに、草薙剣に祟れり。即日に、尾張国の熱田社に送り置く」

 この記事は、長年にわたって草薙剣を熱田社に戻さず、宮中においていたことに対する非難や批判があったことを示していると思える。宝剣が盗まれてから宮中に置かれ、さらに熱田社に返されるまでの間の天武天皇4年(675)土左大神(高知市一宮にある土佐神社)が神刀一口を天皇に奉っている。

戦後まもなく後藤守一氏は「三種の神器の考古学的検討」という論文を発表されたが、この中に『玉籤集裏書』として残された熱田の社家4、5人がひそかにご神体である草薙剣を見た時(江戸時代)の記録を紹介された。この見聞は事実としても、神官たちが隠し火によりおそるおそる窺い見たもので、どれだけ詳細かつ冷静に観察できたかは疑わしい。

 このご神体は、5尺(約1.5m )ばかりの木の箱に入っていて、木箱の中に石の箱があった。二つの箱の間には赤土がしっかり詰めてあった。さらに石の箱の中に樟の箱があって、その中にご神体が入っていた。そして石箱と樟の箱の間も同じように「赤土にてよくつつめり」となっていた・
 中には長さが2尺7、8寸(81~84センチ)で、刃先が菖蒲の葉のようになり、中ほどはむくりと厚みがあり、全体が白い色をした剣があった。後藤氏は、この見聞によって銅剣と考えたが、当時の主として北部九州の弥生遺跡で見つかった銅剣に比べると長大に過ぎるという点で躊躇されたようだ。

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takuwan5000さん

2007/3/1519:59:50

ありません。
室町時代に海に落としてなくなりました。
今あるのは、模造品です。

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