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ヨーロッパでは中国のように前王朝と血統の繋がりが無い人物が君主に即位する例が...

s07********さん

2013/7/2117:04:58

ヨーロッパでは中国のように前王朝と血統の繋がりが無い人物が君主に即位する例が少ない気がしますが何故だと思いますか

一例ですと

現在のイギリス王室はハノーバーから迎えられたドイツ系(ハノーバー朝)の王朝ですが
女系を含めると前の王朝のステュアート朝に繋がりますし
イングランドの国王はウィリアム征服王の血を継いでいます

またフランス王室はカペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝と名前こそ違いますが
全ての国王はカペー朝の男系の王です

前王朝と関係の無い人物が君主に就いた例は
フランス皇帝に即位したナポレオンと
歴史の短い中東欧の小国の君主くらいしか居ません

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cel********さん

2013/7/2407:23:52

前王朝と血のつながりがないのは、イングランドの、11世紀前半のデーン人の王朝、11世紀後半のノルマン・コンクェスト直前の極く短期間のハロルド2世、ノルマン・コンクェスト(※)、と11世紀だけに集中しており、ほかに私が直ぐに思いつくのは、ロシアのロマノフ朝成立前後ぐらいで、確かに少ないですね。

(※:ノルマン・コンクェスト後の王家に、アングロサクソン王家の血筋が入ったのは、ヘンリー2世の時です。)

古代ゲルマン人の社会では、「指導者は選ばれるもの」という概念があった、というのが一般的な考えだと思います。イングランドで、ノルマン・コンクェスト直前に、かつての王の血筋をひく者(それも50年前の王の男系の孫なので、それほど遠縁とは言えない)がいたにもかかわらず、ハロルド2世が王に選ばれたのはその現われですし、神聖ローマ帝国の皇帝選挙も、形式上はその伝統を受け継いでいます。カペー朝の成立も、ユーグ・カペーが王家の血筋をひいていたとは言え、血筋の濃い薄いというよりは、王に「選ばれた」というべきなのは、ご存知と思います。

そういう伝統があったにもかかわらず、結果的に血のつながらない王位継承が稀だったのは、中世においては、王位が“相続財産”のように扱われたから、だと私は思います。(ほかの方の回答にある「土地所有権が重視された」というご意見と、大体同じことを言おうとしているのだと思います。)より正確には、王位そのもの、というよりも、王領なり封建領主の領土なりが相続財産のように扱われた、といった方がよいかも知れません。
相続対象である限りは、血筋のつながらない王位継承は、著しく正統性に欠ける、という事になります。

近世の絶対王政では、、王権神授説が生まれ、「王の権力は直接的に神から与えられたもの」という主張が王側からなされた為、これをひっくり返すにはヨーロッパ的な意味での「革命」が必要になりました。

一方、中国については、天命が変る(革命)事で王朝が変る、という概念が、殷から周(及び)への王朝交代があったからできたのか、あるいはそれ以前からあったのか、はなんとも言えませんが、結果的に勝利した側が正統性を主張するのに便利だったのは間違いありません。

なお、ヨーロッパでの王権(&皇帝権)とキリスト教(&その教会組織)との関係ですが、ローマ帝国でのキリスト教国教化以降、キリスト教が皇帝権の正統化に利用されたのは事実です。しかし、東ローマ帝国でも、ローマ帝政期と同じく、つまり、しばしば実力をもって皇帝の血筋が変るという状態は変りませんでしたので、キリスト教国教化以前と以降で断絶がある、と考えるのは無理があると思います。実際にも、メロヴィング朝の滅亡(751年)、イタリア王国の消滅(962年)など、実力をもって、王がその位を奪われた例はあります。「王=神に選ばれし者」という概念は、むしろ、中世を通じて、戴冠式での塗油などによって生まれ成長し、近世の王権神授説に至った、と考えたほうがよいと思います。

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zev********さん

編集あり2013/7/2200:16:10

貴族や諸侯以上の支配層では、土地所有権がかなり重要視されていたからでしょう。

ヨーロッパでは、王位や爵位を継承する、ということはそれらの土地を相続する、というのとほぼ同義のようです。
イングランド王ならばイングランド王領を、ザクセン公ならばザクセン公爵領を相続、という具合に。

土地相続については、サリカ法などでかなり古い時代から、それなりのルールが確立されていたようなので、王位や爵位もそれにならったみたいですね。
これだと複数の領地を相続する場合が出てきますが、そのときは複数の地位を継承したようです。
神聖ローマ皇帝カール5世なんか、ドイツ王オーストリア王スペイン王の他にも、爵位クラスの地位、つまり領地を50近く持っていました。


逆に、中国や日本では、土地所有権はさほど重視されなかったようです。

徳川吉宗に例えるなら、彼は最初は越前に丹生(にう)3万石の領主となり、次に紀伊藩主となり、最後に将軍となりました。
このとき、紀伊藩主になったら丹生藩主はやめてるし、将軍になったら紀伊藩主をやめてます。
これがヨーロッパだと違い、紀伊藩主になっても丹生藩主はやめないし、将軍になっても紀伊藩主丹生藩主をやめません。
土地所有権が重視されるからです。
で、吉宗には3人の男児がいましたので、やはりヨーロッパ風ならば長男家重には将軍を、次男宗武には紀伊藩主を、三男宗尹(むねただ)には丹生を、というように土地を相続、つまり地位を継承することになります。


もちろん、土地所有権も、相続人がいなくなって宙に浮いたり、戦争その他で奪われたりしたようですが、相続方法まで変えるようにはならなかったようです。

ひとことでまとめると、ヨーロッパでは王位爵位などの地位と領地は不可分だが、中国や日本ではそうでもない、といったところでしょうか。

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ste********さん

編集あり2013/7/2222:54:20

難しい問題ですが、面白い問題でもありますね。
中国とヨーロッパにおける宗教と王権に関する思想の違いが背景にあるように思えます。

中国では王朝の交代という事象を革命としてとらえました。
革命とは天命が革まるということです。
天子(=皇帝)は天(天帝)から天命を受け、地上の支配者として君臨します。
しかし、天子の徳が失われると、天命も去り、新たな徳の持ち主が天命を受け、新王朝を樹立します。
天人感応説(天人相関説)という考えもあり、簡単に言えば、支配者が悪政を行った時に天災が起きるというものです。
ある意味、あらゆる制約を受けない独裁権力をもつ皇帝に対するブレーキとしての思想ともいえます。
中国では前王朝を乗っ取った、もしくは打倒した勢力は血統的に正統性を持ちませんが、
天命という概念により権力を奪い取ったにもかかわらず正統性を保証されるのです。
逆に言えば、善政を行わない権力者は打倒されても仕方ないという意味でもあります。

ヨーロッパでは、ローマ帝国後期にキリスト教が導入されてより、権力の正統性はキリスト教に依存することになりました。
後期ローマ皇帝は神寵帝理念というものによって支えられました。
これは、皇帝は神によって選ばれ、恩寵を受ける存在ということで、絶対的な存在となりました。
キリスト教普及以前の皇帝は、ローマ市民の代表にすぎませんでした。
(ですから、王朝というものが確立しませんでした)
ローマ帝国崩壊後の西ヨーロッパで成立した各王国も国王がキリスト教によって支えられているのは同じことでした。
後に、王権神授説という概念も登場しますが、
もともと国王は神からその支配権を任されている存在で、その権限は血統で受け継がれるものでしたから、
比較的王朝支配が成立しやすい前提がありました。
ヨーロッパで時の実力者や有力貴族などが王権を転覆させることが少なかったのは、
神によって選ばれた国王にとって代わる理屈がなかったからでしょう。
その裏付けを得る方法は唯一ローマ教皇庁の支持を得ることですが、
それもそれほど簡単なことではありませんでした。
結局、血のつながりが重要視されたヨーロッパ世界では新たな権力者として世間から承認されるためには
結婚政策で王家との血縁関係に入ることが確実な方法でした。
ある王家が永続的にその国を支配することが、宗教的に当然と皆が捉えていたということが
ヨーロッパの特長だといえるのではないでしょうか。

<追加>
一神教であるキリスト教は唯一絶対の神なわけです。
ですから、神は間違わないし、無条件に正しいわけです。
その神に選ばれた神聖なる王は悪政をしくわけがないということが前提にあるのかもしれませんね。
中国などの多神教地域では神は絶対ではありませんから、神も選択を誤ることもあるということなのかもしれません。

bot********さん

2013/7/2119:32:49

まぁそれなりの体裁を整えますね
トロワ条約なんかですが イギリス王がフランスを征服しそうになった時「フランス王の娘と婚姻し、王位はその旦那が次ぐ」とやります
まぁプランジュタネもヴァロア朝と無関係でもありませんが
ノルマンコンクエストも、ウィリアム1世はウェセックス王家の奥さんがいますしね

中国の場合は「天命」つまり天の意志が王朝を選ぶのであり、血脈は2の次な面はありますね

ina********さん

2013/7/2118:00:05

中国の場合は国自体が変わっているんです。
王朝が滅びるときは激しい殺戮、略奪、破壊が行われ、都市や法律、文化、身分など、あらゆるものが消滅し、まさに国が亡びるんです。朝鮮も中国と同じです。
ヨーロッパでは国名が変わるほどの大事に至ったケースは少ないですよね。
理性ある民族は国が亡びるまで争うようなことはしません。

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