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武田信玄の家来には、兵站を担当するような武将はいなかったわけですか?

rit********さん

2013/8/113:49:16

武田信玄の家来には、兵站を担当するような武将はいなかったわけですか?

のちの豊臣秀吉の小田原攻めに見られるように、兵站奉行というような役目を担当するような人がいなかったのですか。
長束正家と言う人がロジスティックを担ったようです。
算術に長けていたと伝わります。
武田信玄の家来には、兵站を任せられるだけの人材がいなかったのでしょうか?
長期期間に渡って長陣を張るような大規模な作戦自体がなかったのですか?
各自勝手に、食べ物は調達しなさい。と言うことでもあったのですか。

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yai********さん

2013/8/318:21:27

>>武田信玄の家来には、兵站を担当するような
>>武将はいなかったわけですか?

「陣奉行」の「原家」などが担っています。

また「棒道」という「軍事道」の工事を行っており
これらは、その地の「奉行」に担わせています。

>>のちの豊臣秀吉の小田原攻めに見られるように、
>>兵站奉行というような役目を担当するような人がいなかったのですか。

まず「兵站奉行」などが存在しません。

「馬廻り、小荷駄奉行、陣奉行」などが行っています。
しかし、これらは「武田信玄」など他「大大名」も持った
組織構成です。

しかし「豊臣秀吉」の組織はとても大きいです。

>>武田信玄の家来には、兵站を任せられるだけの
>>人材がいなかったのでしょうか?

上記「陣奉行・原家」や荷駄奉行を担った「内藤家」
「駒井高白斎」などが「国人衆」への戦後の配当処理を
行っていたとされます。

>>長期期間に渡って長陣を張るような大規模な作戦自体がなかったのですか?

「川中島の戦い」は第二回が約10カ月の長対陣。
他も半年など長いです。

また「西上作戦」なども半年間の軍事行動で長期戦です。

>>各自勝手に、食べ物は調達しなさい。と言うことでもあったのですか。

「武田家」は4日間分の兵糧は配当し、その後は「家臣持ち」であり
しかしこれら「家臣」は「寺社、倉持ち」などに借金をし「兵糧」を
調達しますが、これを「武田家」が肩代わりと言った
変則的なことを行っています。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

dlb********さん

2013/8/114:49:30

逆です。秀吉の家臣に兵站と指揮の両方出来る人間が居なかっただけです。また外様を大量に使うから必要になった役職です。

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