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三国志の英雄、夏侯惇について。 優秀な将軍が多い魏では珍しいくらい、夏侯惇は...

hur********さん

2013/8/1723:15:16

三国志の英雄、夏侯惇について。

優秀な将軍が多い魏では珍しいくらい、夏侯惇は戦が下手です。
それがなぜ武官のトップとなり、曹操不在の方面を任され続けるという、超大役をこなすことになったのでしょうか?

たまたま曹操が最強の将軍で、外征しまくりだったから、なんか夏侯惇はお留守番が板についていますが、いわば劉備にとっての関羽、孫権にとっての周瑜や陸遜だったわけですよね。

このポジションで重要なのは、戦の実力よりも忠誠心や統率力なんでしょうか?
夏侯惇は旗揚げから苦楽を共にした戦友で、しかも親族だから、忠誠心は疑い無いですし、人格者として下からも慕われていたようですし…。
太守を歴任して河南尹にもなってますが、政治も大過なくこなす人だったのか?
パッとしないようにも思えるのですが、こういう人物って意外と貴重だったりするんでしょうか。
普通に戦上手の将軍に任せるのが良い気がするんですが…。

曹操が徐州で陶謙征伐=夏侯惇が兗州で呂布と交戦
曹操が荊州で張繍征伐=夏侯惇が豫州で劉備を救援
曹操が河北で袁家征伐=夏侯惇が河南で劉備撃退・衛固討伐
曹操が中央に帰還=夏侯惇が揚州で孫権の抑え
とにかく夏侯惇は曹操のいないとこで働いてますよね。
于禁も官渡以後は別方面を任され続けますし、楽進も続いて台頭しますし、曹仁もピンチヒッター的な存在ですが、やはり夏侯惇の存在が最も特異だと感じます。

こういった人物は、君主にとってはどういう存在なのでしょう。夏侯惇のような部下がいると、君主としては有難いものなんでしょうか。
また、春秋戦国〜秦漢時代で、夏侯惇と似たような人物はいますか? 先祖の夏侯嬰もちょっと違うような気がしますし…。
教えてください!

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kou********さん

2013/8/1919:06:57

んまあ、ようするに信頼度なのでしょうね。

それに、魏では初期は各方面の司令官は基本、一族です。
益州=曹真
荊州=夏侯尚
揚州=曹休
という布陣でしたね。

その前の曹操時代なら、
涼州=夏侯淵
益州=曹洪・夏侯淵
荊州=曹仁
揚州=夏侯惇
并州=曹彰
でした。(その下に実質的な有能な将軍が付く・・・曹仁は曹仁自身が名将でしたが)

やはり一族補正が大きそうです。
とりわけ、夏侯惇には絶大なる信頼がありました。
また、戦は下手でも、管理官としては優秀であったようにも思います。

于禁や楽進などは別部隊を任されて各地を平定してはいますが、いわゆる方面軍司令官というような形ではなく派遣部隊の隊長といったポジションですから、ちょっと違うように思います。

んまあ、曹丕時代までは一族ががっちり軍部を掌握しつつ、皇族は冷遇、という感じで、曹叡時代から徐々に名士階層の人々が台頭していく印象・・・。
んまあ、一族の名将ということでなら、戦国期の平原君とか・・・?でしょうか。なんかちょっと違うか・・・。

質問した人からのコメント

2013/8/19 21:12:19

皆さん、ありがとうございました!
やはり信頼できる親族に恵まれるかどうかは重要なポイントなのですね。
劉備の逆境っぷりがよく分かります…w

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quu********さん

2013/8/1914:04:36

普通に考えて家の留守番頼むとしたら誰にする?友達?親戚?

shi********さん

2013/8/1803:45:36

夏候惇は唯一曹操の寝室に無断で出入りが許されていた人物です。しかも親族です。なので、劉備が関羽を信頼するように、曹操も夏候惇を信頼していました。曹操にしたら唯一多少心を許せる人だったのではないでしょうか。なお不在を預かるのは並大抵の人物では勤まりません。しかも統率力、忠誠心がないと兵が従わないし、反乱を起こす場合があります。
なので曹操は信頼の厚い夏候惇を重要な役につけたのではないでしょうか?

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ste********さん

2013/8/1800:32:15

曹操がただ一人心を許していたのが夏候惇です。
親族であり、おそらく子供のころからの付き合いがある親友です。
というのは、この二人は同郷の出身ということになりますが、
ただの同郷の付き合いというレベルでなく、
当時の豪族は一族が一緒に暮らしているものですから、
同年代だと思われる二人が幼いころからの友人だった可能性は高いでしょう。
最も苦しい時代をともにした戦友でもあります。
曹操にとっては自分の分身ともいえる存在ですから、自分の不在を任せるわけです。

例えば、荀彧に対して、「わが子房」などと持ち上げていますが、
心から信頼していたかというと、そうではなかったろうと思えます。
かれら参謀の進言は求めても、あくまで参考にするだけで、最終判断は曹操本人が行います。
曹操本人が策略家で参謀タイプの人間ですから、いわゆる軍師的な存在はあまり必要としていなかったはずです。
それでも参謀グループを集めたのは、彼らが名士層を代表する人物たちであり、
かれらの協力がなければ勢力の拡大は望めなかったからです。
曹操も一豪族のリーダーであり、荀彧たちもそれぞれの豪族のリーダーとして曹操政権に参加していたのです。

後漢時代は豪族の時代です。
豪族の中でも名門といえるのが名士層です。
孫呉がよく豪族の連合政権と呼ばれますが、曹魏だった豪族の寄せ集めなのは同じです。
曹操軍団の中核は曹氏という豪族の私兵集団です。
それぞれの豪族は自分のところの私兵を率いて曹操の軍団に加わりました。
結局、曹操の軍団といっても曹操の個人的な私兵と、各将軍(彼らもみな豪族である)の私兵の寄せ集めです。
曹操が留守部隊や重要な方面軍を任せるのは、
曹操の最も重要な財産である私兵集団を任せてしまう大事な役目です。
この役目は軍才の有る無しでなく、信頼できるか否かにあります。
ですから、こういう役目はすべて夏候惇なのです。
他の参謀・将軍では信用できません。
なにせ曹操は親友だと思っていた張邈に手痛く裏切られた経験があります。
中途半端に有能な将軍に後を任せたりするのは心配でしょうがなかったでしょう。
曹操は孫氏兵法に注釈をつけるくらいの一流の兵法家(本人もそう思っていただろう)ですから、
重要な局面は自分が兵を率いていけばいいのです。
現にほとんどの戦役に参加しています。
君主としては劉邦の真逆です。自分の才能の無さを知っている劉邦は、
謀略は張良に丸投げ、軍事は韓信に丸投げ、補給は蕭何に丸投げをできる人でした。
曹操はそれができないわけです。自分がどの分野でもできる(と思っている)からです。

同じ親族集団のなかでは夏候惇のみが親友だというところが、信頼度の差に表れています。
ちなみに劉備が別働隊などを関羽にしか任せないもの、彼以外信用できる人間がいなかった証拠です。
孫権にはそういう人物がいません。
周瑜や陸遜はそれぞれ豪族集団の長であり、周瑜は孫策とは個人的な付き合いがあったものの
孫権とはありません。
孫権と陸遜の微妙な関係は晩年の対立を見れば、分かると思います。
要するに友情などの介在する間柄ではないということです。

親族に対する信頼というものは古来よりあります。
春秋戦国時代でも各国で基本的に幅を利かせているのは君主の親族です。
彼らは自動的に高い地位に付きました。
逆に史書に名を残しているような人物は、君主と何の血縁関係もなく、改革を行ったりした人物ですから、
我々はそういう人物が主流だと勘違いしてしまうわけです。
前漢でも功臣である韓信などが粛清され、代わって劉邦の兄弟や子供たちが諸侯王として封建されました。
これも信用できるのは親族だけという一例です。
夏候惇と似た人物という件ですが、曹操と夏候惇の関係は後漢の時期における豪族社会のありようが
反映したものですから、春秋戦国から楚漢戦争時期には豪族社会が未発達ですのでないとしか言いようがありません。

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