十三夜の石碑について
十三夜の石碑について よろしくおねがいします。 神奈川県横浜市在住です。 バイクで山間の峠道などを流すことが好きで、よく相模湖周辺や富士山周辺など、住まいより半日ちょっとで行って帰ってこれるルートを大した目的もなくだらだらと走っております。 神奈川県相模湖周辺から山梨県山中湖まで続く「道志みち」はバイカーでも馴染みの道ですが、この近辺の集落に「十三夜」や「二十六夜」の石碑塔をよく見ます。 広い道路沿いに建っているのもあれば、地元住民でなければ入らないような小道の脇にもあったりします。 最初は何のための石碑か判らなかったのですが、調べてみると「太陰暦に基づいた月見」であるとのこと。 つまりは、「(旧暦の)十三夜に石碑が建っている場所で、月見するのが風習だったのか」と解釈しましたが、ちょっと不思議に思うことがあります。 まず、「なぜ、月見するだけのことで、こんな石碑を建てる必要があるのか?」ということ。 私の知る十三夜の石碑には、地蔵様に対してのように、酒類などの捧げ物が置いてある場所もありました。 もし、十三夜の石碑が「単なる記念碑」としての役割ならば、捧げ物は「無意味な」ようにも思えるのですが。 月読命(ツキヨミノミコト)への捧げ物の意図なのか、それとも、石碑自体に「十三夜に纏わる "何か” を祀る」意図があるのでしょうか? もう一つは、「十三夜の石碑はよく見るが、十五夜の石碑はみたことがない」ということ。 十三夜について調べると、十五夜(中秋の名月)と対になるものと知りました。 つまり「十五夜があって、十三夜がある」ものなのに、十五夜と刻まれた石碑はみたことがありません。 画像検索で調べたところ、あることはあるらしいのですが、同時に観音様か地蔵様が掘られていて、「記す」というよりは「祀る」といった雰囲気です。また、十三夜石碑ほど数も多くないように思います。 以上のことから、十三夜は単に十五夜の「裏」でなく、単体で何かを意味するものがあるのではないかと疑い質問させていただきました。 石碑の数については地区によって違いがあるのかもしれません。 以上、なにかご存知のことありましたら、ぜひご教授くだされば有難く存じます。 よろしくおねがいいたします。
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ベストアンサー
http://members.jcom.home.ne.jp/nicepar-kaz90/kaz.tukui.23ya2/index.htm http://www.shimotsuke-bunkazai.com/culturalassets.php?id=12 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1353216563 http://www.maroon.dti.ne.jp/starlore/bunka/kbunkazai.html http://homepage2.nifty.com/t-muro/sbky02.html#n http://hizou.30maps.com/list?tag=%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%89%E5%A4%9C%E5%A1%94
質問者からのお礼コメント
ためになる資料の数々、ありがとうございました。疑問の解決だけでなく、大変勉強になることがおおく、有難く思っております。土地土地で信仰も大きく異なるのですね。興味深いです。
お礼日時:2013/10/7 15:51