秀吉は黒が嫌い?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答いただいた皆様ありがとうございます。 BAにはranranlark2さんを選ばせていただきました。 利休について大変深く考察されておられると思います。 他の方々もお気を悪くなされませんように、 これからもよろしくお願いいたします。

お礼日時:2013/10/18 14:57

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単に黒を色彩として好むか否かと言う事に成ると、美意識や美学の問題と言う事に成るとは思いますが、黒楽茶碗に関して言えば利休は緑の抹茶を点てた時点での色彩のコントラストに注目したのに対して、秀吉は茶碗だけを純粋に鑑賞の対象として見て居た可能性は残るかと思います。 相互の関連付けの中に美を見出す中世的なアナログ型の利休と、独立した要素に美を求め様とする近世的なデジタル型の秀吉と言う、美へのアプローチの違いとも取れますが。 (|…o±\o

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千利休の娘が美人だと聴き豊臣秀吉は、 石田三成を介して娘を差し出すよう通達。 これに対する千利休の返事は不明。 秀吉はスケベだの女たらし、だのと言われる ものの、主君が、乞えば臣下は娘だろうが 女房だろうが差し出すのは当時では 当たり前で娘を上様に出すのは名誉ですら あったから、千利休が娘かわいさ に、 秀吉が石田三成を介して要求したことを 千利休が拒否するのは不自然。 あの嫉妬魔の細川忠興ですら 秀吉に乞われて女房を伽に出したくらい だから千利休が断るのは変。 むしろ、石田三成が、千利休が拒否したとか 婉曲した返事を秀吉に伝え、秀吉は 三成の報告を真に受けて不興に、なった。

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まず秀吉が黒茶碗嫌いだったのは事実です。秀吉の時代以前から黒色は縁起の良い色とされておらず、一般市民も避ける事が多かった様です。ですので秀吉が特別、黒嫌いでなく一般的に黒色は当時の人々に好まれていなかった様です。ですが、利休は黒の良さを見出し、唐出身の長次郎に命じ、黒楽茶碗を完成させ、それを至上の名器としました。 ですから、絶対的な権力者の秀吉の前であっても、自らの至上主義は変える事なく振る舞いました。それは利休の気質や茶事茶道に於ける自負が強かった表れだと思われます。また利休の絶頂時は相当な権勢がありました。多くの戦国大名を弟子にしてもなお、利休を慕う大名は後を絶ちませんでした。それと同時に三成達、秀吉の側近は利休に対して快く思ってなかったのも事実で、それらの事柄が絡み合い、秀長の死をきっかけに利休切腹への道と進んで行きます。