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記憶と意識の関係って、冷静に考えると奇妙ですよね?

tou********さん

2013/10/1904:32:59

記憶と意識の関係って、冷静に考えると奇妙ですよね?

昔のことが何かのきっかけでたまたま想起されると、「思い出した!、
懐かしい」という感覚で、
例えばテレビを見て、さんまさんが映ってて、その時までまるでさんまさんなんて
意識になかったのに、「思い出した、いたいたさんまさん!」とはならないです
よね?感覚的に。その時までまるで意識になかったという意味では
同じなのに・・。
あのなんというか、急に意識に出てきたのに「思い出した!」とは何か違う感じ。
あと、いくら家族のことといえど、恋人のことといえど、何かに全力で集中してる
時ってのは、そのこと頭にあるでしょうか?
何かに打ち込んだり熱中したりすると、人の意識ってほぼそのことでいっぱいになる
とおもうんです。頭ん中それでいっぱいみたいな...その針にこの糸を通す間は
機械のように全力集中。
家族のために!を原動力に働いてて、一方で集中してる間はまるで頭にない!?
って、なんか微妙に矛盾してるような。
人の感情って複雑で、よくできたもんだなあ、なんて思ったりもするけど、一方で
昨日何食べたかも思い出せなかったり、普段見てる人の顔の特徴すら、脳裏に
うかばなかったり(これは個人差あるでしょうが・・・、似顔絵も描けなかったら、もう
・・・)
なにか、こうちぐはぐしてるっていうか・・・・うまく言えませんが。
人は優れた知性を持った生き物と言いますが、本当にそうでしょうか。自分たちに
とっての「当たり前」みたいなのがあって、ただそれだけで、所詮は僕らも世界の
大渦の流れに阿呆のように従ってる(神の手の平の上で踊るといってもいいですが
神とかでてくると無限後退しそうなので)だけの存在ではないでしょうか?
すみません、話が飛躍しました。懐疑的思考な人間でして・・・
前半が質問の主旨です。どうしてその瞬間まで意識になかったくせに「思い出す」
ではないのか・・・?

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ベストアンサーに選ばれた回答

鷲木菟さん

編集あり2013/10/2014:18:27

不思議だよね、たしかに。同じ「忘れていた」なんだし、思い出し方も外部からの刺激の影響という意味で同じなのだが、、、さんまと子供の頃の記憶では、その「思い出す」に、明らかに重みの違いみたいなものがある。にもかかわらず、この違いは確かに説明しづらいね。。。

思い出す時の抵抗みたいなものに違いがあるのと、思い出した時の悦びというか驚きというか「!」感というか、とにかく何かそんな感じのものに違いがあるようだ。で、この違いが、「思い出す」の重みの違いになっていて、さんまの方は、さほど抵抗も「!」もないのであるが、、、でも不思議なのは、抵抗や「!」がないということ、この違いは意識のどういったところで感じたり、評価したりしているのか、それが重みの違いに反映されてるのか、それが、いくら内省してもわからないな。。。(ボクがバカなせいもあるが)

もうちょっと観察してみる。何か書けることがあるかもしれない。(それがクオリアだ!って言ってしまうのは短絡というもの。。。)

追記

思い出された記憶に対して、最近も思い出したことがあったか、それともまったく思い出したことがなかったか、、、どうも、そういった感じの評価がされているようだ。しかもそのような評価を、思い出したと同時に行っているな。この違いが「!」感の違いとなる。で、茂木健一郎なら、この「!」をアハ体験と同類のものと言うだろう。。。なるほど、そういうことか。

しかしさらにわからんことが出てくるな。というのも、何十年も忘れていた記憶なら、強い「!」感があっても、それは何となくわかる。でもさ、過去に思い出した回数や、最後に思い出したのはいつか?なんていう数量は、どこにも格納されてないわけだよね。どうやって評価してるんだろ。

もう少し考えてみよう。。。これってやっぱり、シナプスの機構に還元されるようなものなのかな。

追記2
寝てみた。起きたら考え方が変わるかと思ったんだが、変わらなかった。そんなわけで、意識の仕組みの面からでなく、シナプスの仕組みで説明するしかないことだと思う。たぶん「思い出す」の違いは、シナプスの・神経伝達物質受容体に関係する。頻繁に思い出していることは、その記憶に関わっているシナプス間を神経伝達物質が頻繁に流れており、当然、その受容体は頻繁に神経伝達物質と結合している。ところが、ずっと忘れていたような記憶に関わるシナプスの受容体は、神経伝達物質が流れてこなくて、いわば、長く乾いたような状態にある。この乾いた所に突然、シャワーが降り注ぐのだから、受容体はもちろんビックリするってわけ。で、おそらくこのビックリが引き金になって、周囲のシナプスが活性化したり(芋ズル式に関係している記憶を思い出す)、何らかの快楽物質が分泌される(思い出せると、なんか気持よい気分になれる)。それが重みの違い、つまり「!」感の違いになるのだろう。。。というのが、素人であるボクの予想(つーか、妄想)だな。

だれか、反論求む。

質問した人からのコメント

2013/10/25 08:57:37

感謝 乾いたところにシャワーというのは面白いですね。でもたしかになんだか近いニュアンスのような気がします。真剣に考えてくださってありがとうございます。他のみなさんも。

ベストアンサー以外の回答

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yan********さん

2013/10/1910:36:44

記憶を「呼び起こされた」感覚がある。これは記憶を自分で呼び起こす感覚と似てる。たとえば手を動かせるだろう?表現はできないが手を動かす感覚があるよね?それと同時に他人とか物体に「手を動かされた」感覚もあるよね。これと同じ。ま、ちがうかもしれんが似ている気がする。

歩くときにさ。「歩こう」って意識しないでしょ?別のこと考えてたりね。ところが、雪つもって歩くのが困難だったりしたら必死で「歩こう」とする。

つまり「思い出す」ということは同じだが、意識するかどうかの問題で、意識しないものについて「思い出す」とは言わないだけ。困難が生じているから「思い出す」になる。客観的に見ればどちらも「歩いている」になる。

対象そのものではなく、対象のあった所が今とちがうことも理解できる。一番端的に時間の代わりになりそうなのは「見ている自分の記憶」だね。記憶は対象そのものだけでなく、まるごとすくっている感じ。連鎖してる。だから懐かしいがあるのかもしれない。

淡然無常さん

2013/10/1909:38:20

感情や記憶・意識や意思の関係は本当に複雑ですが、簡略しますと
人体は60兆個の細胞が更新する躍動で保たれており、刺激を全身
の感覚器官で受けて細胞が変化を起こして、この変化を神経組織を
通じて脳細胞に伝達し、200億個の脳細胞が反応して記憶や意思を
担当しますが、記憶は脳細胞がガンマアミノ酪酸(GABA)で縮小する
ことで生じています。当然に縮小は復元しますから、記憶の忘却が起
こるのです。この縮小の部位と復元に必要な時間に応じて、短期記憶
(1分)、中期記憶(海馬9h)、長期記憶(側頭葉30d)の3種類に分類し
ています、これらは体質と経験や状況に応じて、反応を起こすので個
人差があり、特に記憶は睡眠中に整理されるので、夢にも現れること
がありますが、基本的に記憶は忘却するべきものであり、長期記憶は
繰り返して、記憶を続ける確認で保っているとされます。通常の生活で
は200億個の脳細胞群が刺激に応じて、記憶で変化している細胞をも
通過した、微弱電気変化で対応していますから、人や状況に応じ多様
な反応になるのは当然になります。脳細胞部位の海馬か側頭葉での
記憶を働かせた場所に応じ、記憶の働きや程度が変わって感受して
おり、感情や意識で思考して意思となって行動するので複雑なのです
これ程に複雑な心が、人の数だけあるのですから、各人が心で思うこ
とを探求して、定義してしまうようなことは、不可能なように思うのです

TKO62さん

2013/10/1908:44:40

人の意識は、現意識と意識下の二層になっています。
記憶の大半は意識下に落とされます。
”忘れた”という自覚は、記憶が現意識に残っていないだけで、意識下には収納されています。
意識下は膨大な記憶の薄暗い倉庫のようなものです。

何かの弾みに、意識下の記憶の欠片が出てくる現象があります。
たとえば、寝入りっぱなでまどろんでいる時。
たとえば、夏の線香花火の匂いが。
たとえば、不注意で針が指を突いた痛みが。

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