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信じる幸せ。。。  何に対して✿ฺでも同じことでしょうけど…  信じようとしな...

kya********さん

2007/7/517:40:21

信じる幸せ。。。

何に対して✿ฺでも同じことでしょうけど…
信じようとしないない人よりも、信じられる人の方が結局は幸せですよね。。。

信仰もおんなじですか。。。?
信仰されていて「幸福感」ありますか?




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ベストアンサーに選ばれた回答

kan********さん

2007/7/522:37:20

信仰心は とても大事だけど 頼り・すがっていくものでは???と思います 

自分の見たもの(目) 聞いたもの(耳)だけしか信じない方もいますし・・・

信仰は 自分の心の『道しるべ』のように思えます

私には 信仰しているものは ないけれど・・・

でも この家には 主人の亡くなった両親と私の前世の次女・甥っ子が
私を支えてくれているの 
何故? 娘の言葉を信じているからよ。。。

一人で寂しさを感じたり 悩んだりしているときは そばにいて聞いてくれる
目には見えなくても 悪寒というかビリビリ電気のようなものを感じるのよ
 
信じることって 幸福と感じるより 心が救われるような気がします
たとえ 迷いの中で苦しんでいても 心の支えになるときがあるのよ


私は ご先祖様を 信じてます
悲しい時は 手を合わせて 心の中で お話してますよ

~きゃりこちゃん 私は 正気ですよ 驚かないでね (笑)~

質問した人からのコメント

2007/7/9 17:52:36

感謝  あたしは驚いたりしませんよ

 お嬢さんは霊感があるのかなぁ
 実はあたしも10代の頃はうんと感じてたんだ

確か かなめちゃんの前世は「どこかの貴婦人」じゃなかった?
 それも、お嬢さんが教えてくれたの?

 質問解決とは関係ないコメント失礼しました


i_am_goingさま。。。あたしも「感謝」の心が人の幸せには
 一番大事だと思っています

usanginginさま。。。いつも素晴らしい回答に脱帽です

 皆さま ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

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usa********さん

2007/7/617:25:02

宗教の根本は「信」です。信なくして、宗教自体の存在はありません。

また「宗教」との大きな、また曖昧な枠組みだけで語ると、どうしても宗教=詐欺紛いの新興宗教、
又頼り、すがるもの との偏った捉え方になって行きます。

前記しましたように、「信」が宗教の根本ですから、特定宗に入っていなくとも、皆何かしらを信じて
信仰している信者なのです。何も信じないでこの世で生活をしている人は一人もいないのです。
乳飲み子が母親の母乳を、何の疑いも無く飲む姿は、まさに純粋な「信」そのものです。1日3度
口に運ぶ食べ物、飲み物、そして病院から処方される薬剤、生活に欠かせない電車や車、などなど
全て信じています。何か大きな事故や事件、問題が発覚して初めて「騙されてた」「信用していたの
に、こんな事になるなんて」と嘆き、非難するのです。
しかし最初は、皆信じています。万一、問題が発覚しても時間の経過と共にフェイドアウトして、忘れ
てしまいます。

宗教の本質、それは例外なく人が持つ苦悩からの脱却です。苦悩自体がなくなるのではなく、苦悩
の捉え方の問題です。ありとあらゆる苦悩を、不幸の原因の根本として捉えるならば、その苦悩の原
因は難なのか。または、その苦悩を緩和し、滅していくにはどうしたらよいのか。を説いたものを宗教と
いうのです。仏教を説いた釈尊は「生・老・秒・死」の四苦、そして愛別離苦などの「四苦八苦」の
原因を追究し、それらから脱却する術を悟られ、その経文を解き明かされました。

無論、だからといってこれらの苦悩が根本的に消滅する訳ではありません。如何なる信仰を持ってい
たとしても、病気になったり、事故で大怪我を負ったり、家庭や社会生活の中で生じるさまざまな問
題は、私達に常に付いて回ります。要するに、宗教の意義はこのような局面に対峙した時の逃げ場
や一時の安堵を得るための隠れ蓑ではなく、それらの難局に立ち向かう自力を養い、正面からぶつ
かる勇気と、乗り越える為の智慧を培うことにあるのです。

他力本願的な御すがり信心では、結局は思い通りにならなかった時、「叶えてくれなかった」と、その
責任の所在を転化し、自身にその原因を見出す事をしません。それでは、いつまで経っても縋り、頼
る弱い命から脱却する事は到底不可能です。

仏教で説く「即身成仏」の境涯とは、即ち、「煩悩即菩提」ともいうように、ありのままの自身(凡夫)
の姿で在りながらにして、成仏の境涯を得るということです。成仏の境涯とは、不幸に成る原因となる
愚痴や不平不満、憎悪や貪欲などの悪因を緩和し、自他共の命、また自然の恩恵に感謝し、今
ある命に感謝できる心、そして限りない慈悲の心を以て他に尽くす命の境涯を指します。
それこそが絶対的自由な命と成り、絶対的な幸福感ともなります。如何に苦難多き人生であって
も、他を恨んだり妬んだりすることなく、感謝と慈悲の心を根本に生きる様です。

i_a********さん

2007/7/517:42:26

信仰は麻薬と同じです。自分の心の弱さを自分でカバーせず、神様にお願いすることで、解決したように思い込むだけです。
信じる人が幸福、、、そうでしょうね、猜疑心の強い人は基本的に不幸ですよ。
私は感謝する人が幸福だと思っています。

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