ここから本文です

「れきしにIFはない」は本当ですか。俗説ではないのですか?

ezoshimaさん

2014/3/819:13:49

「れきしにIFはない」は本当ですか。俗説ではないのですか?

歴史にIFはあると思いますか。

わたしは中学や高校で歴史にIFはないと習いました。しかし、大学に入ってマックスウェーバーを読み、歴史研究にはIFが必須である主張しているのを知り、少々びっくりしました。中高の教師は無視できても、ウェーバーを無視することなどできません。そこでその考え方を自分なりに書いてみます。

中高の教科書のように、一見目立つ事実をただ恣意的に選び取り、時代順に並べた年代記の場合には、IFがありえないのは間違いありません。そこに書かれているのは単なる事実の記述ですから。しかし、ウェーバーによると、歴史研究というのは単にそのようなものではないのです。ウェーバーは歴史研究で最も大事なのは、過去に起こった事実の確定や記述ではないと主張します。人間の歴史は多種多彩な行為/事実の連鎖なわけですが、その膨大な事実の流れなかで、ある特定の事実がそういうものとして生起した決定的な理由を探ること、これが歴史研究だというのです。そして、その際に、仮にあることが起これば(起こらなければ)、その特定の事実は生起したかどうかと考えてみること。こういう思考実験は極めて有効な方法だというのです。

どうやらフッサールの本質直感の影響を受けているようにおもえるこの方法ですが、現代社会研究におけるモデライジングにも共通する考え方なわけです。

以上が正しいなら、歴史を表面的に浅くさらうだけならIFは不要だが、深く探求するためにはIFは必要だと言わざるを得ないと思うのですが。

閲覧数:
217
回答数:
9

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

celtscepticさん

2014/3/915:49:40

非常に簡単に言えば、受験用とかに年号や人物の名前などを「暗記」しようとする時に、ifはそりゃ勿論不要です。考える意味がないですから。それは歴史という学問そのものではないですし。

一方、歴史という学問において、深く探求するのにifが必要かどうかは、考え方次第じゃないですかね。『仮にあることが起これば(起こらなければ)、その特定の事実は生起したかどうかと考えてみる』という思考実験の有効性は、ケースによって相当違うと思います。現実社会における因果関係は、特に歴史の大きな流れを変えるような出来事の場合は、原因が一つしかない、なんてケースはまずないでしょう。「ある事が起これば(起こらなければ)、その特定の事実は生起したかどうかについて、ある程度の根拠=独りよがりなものではなく、他人とも少なくとも議論は成立する程度のもの=を持って言える」ってケースがどの程度あるのでしょうか。個人的にはやや疑問を感じます。

とはいえ、有効な事も理論的にはあるであろう事は、否定し難いですから、「歴史にifを一切持ち込むべきではない」と言うべきではない、というのならば賛成します。

一方、「歴史にはifはない」という言い方(私は「歴史にifは禁物」を聞くほうが多いと思うが…)は、「現実に起きなかった事は、歴史研究の対象ではない」という当たり前の事を言っているだけに過ぎない、と思います。「これがこうなっていたら、あれは起きなかった。あれが起きなかったら、これも…」みたいに空想を繰り広げるのは、楽しいかもしれないけど、歴史じゃない、って事ですね。M・ウェーバーが「ifを交えて、○○がなかったらどうなっていたか、を考える事で、『現に○○があった』歴史上の事実の理由がわかる」といっているのなら、対象はあくまでifのない歴史であって、一般的に言われる『歴史にはifはない』というのと、どこも矛盾はないです。

ところで、英国の現代史家E.H.カー(1892~1982年)の「What is History?」(邦訳は"歴史とは何か"・清水幾太郎訳・岩波新書・1962年)という本の名前を聞かれた事がありますでしょうか?歴史哲学の古典的な名著で、かつては(今でも?)大学の教養課程のテキストで使われる事の多い本です。機会があれば、是非一度読まれる事をお勧めします。

E.H.カーがその本で言っている事を、私なりの言葉で表現すれば「歴史という学問は、客観的な事実が何かを調べてそれをひたすら記述するものではなく、過去を振り返って『どれが歴史の流れの中で重要な出来事はどれか』を歴史学者が自らの判断によって選び、再構成していく事」ってな感じです。例えば、カエサル以前にも以後にもルビコン川を渡った人間は無数にいるが、カエサル以外の人間については「単なる事実」に止まり、カエサルがルビコン川を渡った事が「歴史的事実」であるのは、カエサルがローマの国法を破り権力奪取に動いた事を意味するからであり、かつ、それが成功したから、といった例が挙がっています。

『ある特定の事実がそういうものとして生起した決定的な理由を探ること』というのよりは、やや控え目、といってよいと思います。ここらへんは、M・ウェーバーも、人間の能力に対してもっと楽観的だった「近代」の人間だな、とは思いますね。重要な出来事・大きな歴史な流れであればあるほど、因果関係が複雑すぎて、ifを交えての思考実験の有効性は乏しいのではないか、と私は思います。ifが必要だと思うのは、実際にご自身でそういう思考実験をやってみてからの方がいいのではないでしょうか。

私は「決定的な局面で別の選択をしたらどうなっていたか」なんて事を予測するのにチャレンジする勇気はありません。単なる「妄想」に陥らないようにするのが大変でしょうから。

また、中高の教科書は、学者が自らの判断で「歴史的事実」と考えたものが書かれているので、『一見目立つ事実をただ恣意的に選び取り、時代順に並べた年代記』とは言い難いですし、あるいは、その判断を「恣意的」というのならば全ての歴史が「恣意的」という事になってしまうかも。

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/8件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

編集あり2014/3/909:41:04

歴史にifは無いというのは、「歴史というのは偶然に起こった事の積み重ねではなく、必ず何らかの必然性が働いて結果に結びついたものである。」という考え方があるからです。
これは、仏教に於ける『縁起の理法』と同じ考え方です。
仏教では「偶然ということは一切無い。」ということを説いています。
「結果には必ず原因がある。」これを『因果の法則』といい、これを元に反省をしなさいと教えているのです。
もし、本当に歴史にifがあるのなら、結果を変更する事が出来るはずですが、出てしまった結果を無かったことにする事は出来ませんね。
「歴史にifは無い」というのはそういう意味で使われています。
尤も、パラレルワールドに於いてはいろんなバリエーションで幾つもの結果が存在すると考えられていますが、パラレルワールドは自分の居る世界と別の経緯を辿った世界なので、自分が今ここに存在している世界とは別ですね。

それに対して、ウェーバーの言っているのは「歴史のif」ではなく、「歴史学のif」でしょう。
これを仏教的にいうなら、『反省』と同じです。
過去に起こった事を振り返り、出た結果の原因を探究して、何が間違っていたのか、何が足りなかったのか、何が良かったのか等を検討し、違った結果を出すにはどうすれば良かったのかをシュミレーションする等を経て現在・未来に生かそうという事ですね。
歴史は変わらないのでifはありませんが、歴史学でifは歴史研究の成果を求めるのに必要な事です。
ただ、学校では通説に従って年表と歴史的事件のポイントを駆け足で教えているので、歴史学と云うには稚拙です。
従って、「学校の先生が言った歴史」と「ウェーバーの歴史研究」を同じ土俵で比較する事自体に誤解があるのです。

itou6180さん

2014/3/821:40:26

ウェーバーのIFは、結果を検証するためのIFですね。なぜ、こうなったのか、を考える。起きたことは起きたこととして。
ところが、素人のIFは結果を変えるためのIFですね。こうならば、どうなったか、と。違うことが起きただろう、と。

2014/3/821:38:35

「もし○○なら、豊臣氏は滅亡しなかったのではないか」というアプローチのIFはアリです。滅亡を回避するチャンスを見つけ出し、教訓とすることによって深めることができます。
しかし、「もし豊臣氏が滅亡していなかったら、日本は○○になったのではないか」というアプローチのIFはナシです。可能性が無限大に広がって、完全に空想へ陥ります。
袋に落ちてくるIFの殆どが後者です。だから私は「質問している奴の空想なんか知るか」という意味でIFを否定しています。

kasika0さん

2014/3/821:33:34

歴史研究にイフを持ち込む場合、その前提として、その段階で確定された事実・史実が存在しなければなりませんね。

でなければ、イフ作業自体が発生しませんから。。。

従来、また現行の歴史研究は、そうした前提としての事実・史実を確定する作業なのです。つまり、思考および作業の順序として、この段階でイフを入れることはあり得ず、この段階では、過去を断片的に明示または示唆する、諸文献・証言・考古など、あらゆる史料を研究し、そこから、事実・史実を確定していきます。

これが歴史学、実証史学です。

ウェーバーのみならず、誰もが思考する歴史のイフは、その歴史学を、一歩も二歩も進め、深めた作業で、これは、歴史学自体とは違う、歴史if学、または、もっと学術的な、歴史なんとか学といった名称の、学術的カテゴリーとなるはずと思います。

ただし、その前提として、イフを入れない、事実・史実を確定する歴史研究作業(歴史学)が、必要不可欠になるのです。

シンプルな実例で言えば、例えば、

1、真珠湾攻撃を、日本は行って、結果、負けた。(史実)
2、ならば、真珠湾攻撃をしなかったら、どうなったか。(イフ)

1は史実(歴史)、2はイフです。

この通り、史実の確定自体(歴史学・歴史研究)は、絶対的に大前提であり、そのあとに、イフ思考、イフ作業が可能となるのです。

ウェーバーも、こうした歴史研究(事実・史実の確定作業)を否定しているのではない、と思います。

2014/3/820:31:50

私なりの歴史に対する価値観です。歴史を英訳し和訳すると「ヒス・ストーリー」となります。つまり、西洋の価値観を加味すれば「神の物語」となると思います。
物語(小説)を読むに当たってなんでなの?こうすればいいのにね?と思いませんか?これもifだと思います。小難しく捉えると読書会・噛み砕き柔らかく捉えれば同人誌です。
所詮は勝者の価値観で書かれていますので見方は敗者の価値観から見ることもしなければ全体像を捉えることは困難になるでしょう。
ですから「もし~だったら」と考えるのは歴史を検証するにあたり有効だと思います。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。