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イギリスとフランスの歴史 かつて超大国だった大英帝国も、それ以前はフランスの植...

ken********さん

2014/3/1005:21:51

イギリスとフランスの歴史
かつて超大国だった大英帝国も、それ以前はフランスの植民地だったのですか?フランスってそんなに強い国だったのですか?だとすると、イギリスが台頭する前はフランスが世界のリーダーだ

ったのでしょうか?

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cel********さん

2014/3/1019:48:08

他の方の回答とダブる点も多々ありますが…。

大英帝国(”British Empire”)という言い方は、例えば、第一次大戦のヴェルサイユ講和条約でも使われるように。正式名として使用された事もありましたが、現在は歴史用語として使われていますね。「いつからを大英帝国と云うか」は、客観的な基準はありませんが、対外領土をほとんど持っていなかった時代にEmpireは変なので、遡ったとしても、北米植民地建設が始まった17世紀初めから、という事になると思います。

イングランドがフランスの植民地だった、というのは、11世紀後半にフランス王の臣下だったノルマンディー公がイングランド王になった事から…、という事でよいでしょうか?
そうであれば、「ノルマン・コンクェストによって、イングランドがフランスの植民地になった」なんて事はないです。ノルマンディー公ギョーム(英語風に言えばウィリアム)によるイングランド征服は、フランス王の命令ではなく、ウィリアムの目論見に彼の臣下などが乗っかったものです。イングランド王の地位はウィリアムが実力で勝ち取ったものなので、イングランド王としては、フランス王の言う事に従う義務はありませんでしたし、実際にフランス王はイングランド国内に君主として影響力は行使できませんでした。イングランド王の側からすれば、フランスに持っている領地に関してはフランス王に対して臣従しているが、イングランドについては、フランス王に口出しされるいわれはない、って事になります。

実際にも、フランス王の権力は、ノルマン・コンクェストの頃から弱かったのですが、イングランド王の地位が、12世紀半ばにフランスの大領主だったアンジュー家に移ると、イングランド王兼フランス国内の大領主となったアンジュー家とフランス王家(カペー朝)の実力は、圧倒的に前者が強くなったぐらいです。つまり、フランス王家は、イングランド王の地位を持つアンジュー家(イングランド史ではプランタジネット家と呼んだ方がよい)に比べると、非常に弱体だった、という事です。フランスの王権が弱いので「フランスとイングランドとどっちが強いか」以前の問題だった、とも言えます。

こういう関係は、長い期間をかけて、相当な紆余曲折(例:英仏間の百年戦争)はあるものの、傾向としては、フランス王がフランス国内での権力を強め、イングランド王はフランス国内での領地を失い、16世紀の半ばにはイングランド王は大陸での領土を完全に失います。裏返す、とこれは、フランス王の権力がフランス国内に浸透していった経緯=国としてのまとまりを形成した経緯でもあります。(イングランド王家やイングランドの領主の中に、自分達がイングランド人であるという意識が形成された経緯=これも国としてのまとまりを形成した経緯でもあります)

そして、イングランドやフランスがこうして国としてまとまったのよりも、イングランドが大英帝国と呼べる(かも知れない)状況になったのは更に後の話です。

ってな訳で、イングランドはフランスの植民地ではなかったし、フランスはイングランドよりもむしろ強い国だった、とも言えないし、大英帝国の前にフランスが世界のリーダーだった、って事もないです。

(ご参考)

中世ヨーロッパでは(といっても、伝統的な区分では約1千年もあるが)、臣従関係=支配・被支配の関係、と考えない方がいいです。もっと曖昧模糊としています。むしろ『王は、曖昧な臣従関係を現実の支配・被支配の関係にしようとし、臣下は、王の介入を排除してより独立性を高めようとし、結果的に王が勝てば臣下の領土を確実に国の一部にでき、臣下が勝てば国がバラバラになってしまう』と考えた方がよいかも知れません。例えば、13世紀後半から14世紀初めのイングランド王エドワード1世は、スコットランド王のイングランド王に個人的に臣従する慣習をてこにして、王位継承争いへの介入をきっかけに、スコットランドの征服を試みますが、失敗に終わります。一方、臣従関係が形骸化し、皇帝の地位が名目上のものなってしまったのが、神聖ローマ帝国=ドイツです。

中世について、現在の目から見れば、ある一時点で「地球上のどの国が最も強力だった」というのは言えます。例えば、プランタジネット朝がフランス王家よりも遥かに強力だった11世紀後半から12世紀前半にかけての地球上の最強国は、セルジューク・トルコではないでしょうか。ただ、今の目で見て最強国はどれか、は言えても、交通や通信が発達していなかったので、自国外に強い影響力があった=世界のリーダーだった訳ではありません。

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que********さん

2014/3/1013:59:23

最初方の書いている通りです。
フランスと聞くと、ルイ13、14世のころの強大な王権に制御されたひとつのフランスをイメージしますが、このころのフランス王権は極めて弱体で、極論するとパリ周辺を王領として持っていただけです。フランス南部のアキテーヌ公爵ややや東よりのブルゴーニュ公爵など、当時の王家よりもよほど力がありました。なので、たまたまノルマンディ公爵がイングランド王の王冠を手に入れただけで(それはそれですごい一大事ですが)、フランス王の意図ではありません。

またイギリスと書かれていますが、ノルマンディ公が手に入れたのはイングランドの王冠であって、イギリスのではありません。スコットランドは別の国だし、ウェールズもアイルランドも別です。なので、いま我々が言うイギリス全体がノルマンディ公という個人の支配下になったわけではありません(もちろんイングランドは面積も地域的な重要性としてもイギリスのなかで大きいですが)。

で、イギリスが台頭するのは17世紀よりあとですし、フランスもこのころは上述したような冴えない状況。

実はこのころ、イベリア半島はイスラムの支配下になり、文化・技術の世界的なリーダーはイスラム文化圏だったと言っても過言ではありません。もっともイスラムもピレネーを越えては進撃できませんでしたが(試みたけど撃破されています)。

aln********さん

2014/3/1009:58:15

フランスの植民地ってノルマン・コンクエスト(1066年)のことを言っておられるのでしょうか???
ノルマン・コンクエストというのは確かにノルマンディー公がイングランドを征服してイングランド王になったことですが、あくまでもフランス王に臣従の礼を取っていたノルマンディー公が征服したわけで、フランス(王室)は関係ないですよ。当時は後世のように国家という概念がまだ発達していませんから、「フランスの植民地」という言うことはいえないでしょう。ましてや大英帝国というのは何百年も後の話ですから、比べようがないのでは。
また、ヨーロッパの中では、フランスはそれなりに大きな影響力を持っていたと思いますが、「世界のリーダー」というのとは違うんでは。

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