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明治維新の三大改革と留守政府・使節団についてご意見をお願いします。

yuk********さん

2014/4/208:38:42

明治維新の三大改革と留守政府・使節団についてご意見をお願いします。

明治維新の三大改革(学制・徴兵令・地租改正)は、西郷隆盛や板垣退助などの岩倉使節団に随行しなかったメンバー(通称:留守政府組)の独断で行われたと考えるべきでしょうか。方々のホームページの意見を総合すると、「岩倉使節団に、帰国するまで勝手な改革はするなと事前にクギをさされたけど、そんなの待ってられないから進めちゃった。」と受け止めています。
しかし、中学校や高校の資料集(出版社は伏せますが複数)には、同時期の資料として「大久保利通が西郷にあてた手紙」が出てきます。内容は、「バーミンガム(イギリスの都市)は工場が立ち並び、すごい勢いで経済発展しているぞ・・・」というものです。(他にも、岩倉具視がアメリカで製氷機に出会って驚いたと書いてある手紙などもあります)
このような資料を考慮するならば、留守政府組が無断で改革を進めたという捉え方には疑問を挟むのですが、
どなたか事情に詳しい方がおりましたら、かみくだいて教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

cre********さん

2014/4/216:27:57

取り敢えずの答に成りますが、西郷を事実上の首班と為る留守番政府が最初に直面したのが廃藩置県で、此れは先に行われた版籍奉還が不徹底だった事から来るやり直し政策の様なモノでしたが、可成りの抵抗が予想為れた事から、洋行組に丸投げ為れた感の有る政策だったと思われます。
実際は当初の予想に反して此の廃藩置県は至ってスムーズに行われた事から、其の後の諸改革に拍車が駆かったかと思われます。
思うに、当時の軍事の第一人者だった西郷のプレザンスが、結果的に改革に対する諸抵抗を自ずと未然に防いだと言え、寧ろ洋行組にとっても当初は助かって居たと言うのが本音かと思います。
当時の通信事情を考えればリアルタイムとは行か無かったモノの、洋行組と留守番政府との間で常に連絡が取り交わされて居た事は勿論かと思います。少なくとも征韓問題が起きて来る迄は、留守番政府の"丸受け"で何等問題は起きては居無かったと考えられます。
征韓論が後世に至る迄問題と為れた事から、此の間の政治家としての西郷の手腕が過小に評価為れて居る所は有るかと思います。

(|…o±\o

質問した人からのコメント

2014/4/9 13:28:44

回答ありがとうございました。使節団と留守政府の関係が、すっきり整理できました。

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