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日本の政治史上、政権担当期間が合計で一番長かったのは桂太郎だそうですが、桂は...

huj********さん

2014/5/316:33:43

日本の政治史上、政権担当期間が合計で一番長かったのは桂太郎だそうですが、桂は山県閥の小物と見なされていたそうですが、 なぜそんなに長期間政権を担当できたのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

nis********さん

編集あり2014/5/322:47:44

小物であったが故に、山県にとっては最もコントロールしやすい人物だったからではないでしょうか。
逆に山県の気に入らなかった西園寺公望内閣に対しては、軍部大臣現役武官制を楯にとって当時の陸軍大臣(これも長州閥)をわざと辞職させて後任の陸軍大臣を出さずに、西園寺内閣を総辞職に追い込み、桂太郎を三度目の首相に据えています。
明治後期から大正初期までの山県有朋は、元老として、キングメーカーとして、隠然たる権力を振るっていました。その山県の実質的な子分であった桂太郎の政権が長続きするのはある意味自然なことです。

質問した人からのコメント

2014/5/9 19:24:17

降参 なるほど、1にも2にもバックの山県ということですか…田中曽根内閣みたいな感じですね(^_^;)ちなみに2位は佐藤栄作首相とのことです。勉強になりました、ありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

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xyd********さん

2014/5/323:38:25

所謂「桂園時代」は藩閥・官僚勢力と政党勢力が協調体制を取れたが故に戦前の政治史においては比較的安定した時代でした(大国ロシアを目前にして協調せざるを得なかったという面もありますが)。ということは、裏を返せば明治期というのは上記二大勢力が基本的に角逐を繰り返していた時代であったといえます。

しかして、桂は軍の長老である山縣と政友会のトップである西園寺双方に顔が利きましたから政権が安定しても不思議なことではありません(俗にいう「ニコポン」。議会対策に辛酸を舐め続けた山縣としても西園寺と関係良好な桂は貴重な存在でしたから、辞めさせる理由がありません)。

桂が潰されたのは日露戦争後の国家経営に関して山縣ー原間の権力闘争に巻き込まれてしまったせいです(二個師団問題は実は表向きの理由)。

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