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島津降伏疑問

but********さん

2014/5/508:57:14

島津降伏疑問

戦国乱世の中で「九州三国志」と言われているのがありますが
その終焉は
豊臣秀吉の九州征伐による島津義久の降伏だそうですが

日本史の文献では
島津義久が降伏を表明し、秀吉と体面する様子が

①場所は薩摩か島津領内
秀吉の陣の寺
義久はその前後に出家し
隠居

②場所は大坂城
義久が大坂まで出向いて来て
秀吉も島津も武装した感じではなく
既に出家・隠居していて
千利休が絡んで来ています

と文献によって
全く違っていました

①の後に②ではなく
どちらも秀吉と始めて接触した時の事とされていたのですが

どちらが正しいのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kei********さん

編集あり2014/5/523:39:17

詳しい地名は忘れましたが
確か九州の秀吉の陣に
島津義久が頭を丸めて現れ
降伏したと
読んだ記憶がありますが

違ったらすみません。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

タコタコさん

2014/5/509:30:36

天正15(1587)年5月8日に薩摩泰平寺(鹿児島県川内市)で会見したのが初対面だと思われます。
義久は鹿児島で剃髪(出家)し、龍伯(白)と号し、秀吉に対面。臣従を申し入れました。
正し、剃髪=隠居していた訳ではありません。
この時点でまだ弟の島津義弘等は豊臣方と交戦中で降伏していなかったのです。

泰平寺には秀吉、義久会見を伝える像が残されています。

義久は7月10日上方に到着(兵庫)。堺等を経て9月に秀吉に随行して聚楽第に入っています。

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