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西郷さんは何で西南戦争をしたの?軍のトップになってからクーデターしたほうが確...

isl********さん

2014/6/2515:32:12

西郷さんは何で西南戦争をしたの?軍のトップになってからクーデターしたほうが確実では?

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ama********さん

2014/6/2518:59:35

隆盛は日本人の典型の一人でしょう。

最初は藩主のために汗をかき、次は藩主の思いに叛いてまで明治帝のために汗をかき、忠誠を尽くす人のためなら蛮勇も振るいますが、引くときは味方や身内の反対も押し切る迫力があります。

それで居ながら下野して鹿児島に帰ってからは、鹿児島の旧士族教育のための私学校設立に尽力したが、これは自分に付いて下野した下級の旧士族の仕事を作るためでもあったのだろうか。
いずれにしても同じ鹿児島では、同じく鹿児島で不遇を囲っていた旧主の島津久光と同じように殿様然とした生活を送っていたようだ。(久光は隆盛に騙されたと恨んでおり、近くに住みながら交流は全くなかった)。
ここでいう殿様然とは、何事もよきに計らえという神輿に乗った状態だ。
西南戦争の時も、能動的に動くことはせず、原則として部下の言うとおりに動いていた。つまり、お殿様というよりも天皇のような形式的な象徴としてのトップだったということだ。
日本人の典型のひとつというのはそういう意味だ。

だから、このころの隆盛の真意は何も伝わっていない。

クーデターをしたかったのなら、征韓論争に敗れた時だろう。鹿児島に帰ると称して兵をまとめて皇宮と政庁を押さえてしまうことも考えられないわけではない。
それに鹿児島に帰ってからでも、隆盛がクーデターを起こす気ならば、日本で鹿児島にしかないという、軍事的に極めて重要だった新型銃の弾丸製造装置を政府に密かに持っていかれるような失態を演じるはずがない。(政府は、鹿児島の武器・弾薬工場にそれがあったからこそ、薩摩士族の動向に不安を感じて、密かに装置などを移したのだ)。

だから真意は不明だが、西南戦争に至っても隆盛にはクーデターを起こして政府を転覆しようという明確な意思が隆盛には感じられない。
良くも悪くも悟りの境地というか、諦観の境地というか、なるようにしかならないという境地というか、要するに無為自然でただ死を待っているだけの状態だったのではないか。

彼の冷徹な目で見れば、あの装備で陸路を長距離行軍することの無謀さや、兵力が少ないとはいえ武器弾薬が充実している熊本城を包囲強攻することの無策さは分かっていたはずだ。
つまり、西郷には西南戦争の結末が自分と自分に付き従っていた薩摩士族の死で終わるという結末がはっきりと見えていたはずだ。
それでも隆盛は能動的に動くことはしなかった。それでもよしとする判断だったのだろう。
だから、少なくとも西郷にとってのあの戦争は、決してクーデターではなかった。と思う。

質問した人からのコメント

2014/7/1 20:07:59

成功 おいの命、差し上げ申す…

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

fir********さん

2014/6/2517:12:20

まず、西南戦争というのは薩摩の不平士族に無理やり担がれて仕方なく腰を上げただけで、西郷自身は反乱を起こす気はなかったと言われています。不平士族と関係のない正規軍がクーデターを起こしたところで、何の解決にもなりません。

また、この時の西郷は権力闘争に敗れて失脚していたのであり、軍のトップに出世できる可能性はほとんどありませんでした。

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