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カルヴァンの教義である「予定説」がよくわかりません。 人間の魂の救済は、予め...

iam********さん

2014/7/215:55:26

カルヴァンの教義である「予定説」がよくわかりません。
人間の魂の救済は、予め神によって定められている。ゆえ禁欲的態度で職業に励むことこそ祈りであり、救済を確信する方法であると考える



これはつまり、現実世界が辛くてももうそれは神が決定してことだから 仕方ない。だから死後に救済されるために今職業に励むべきである。という意味ですか??

この予定説がどうして商工業者やジェントリの職業倫理になったのかをも教えてください。

長老制度も。

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ベストアンサーに選ばれた回答

わっかさん

2014/7/216:09:20

予定説によれば、魂の救済は現世での生活態度などによらず、すでに神が決定しているものであるということになる。したがってそのような神の意志はだれにも分からない。ただ少なくとも、神に選ばれ、救済されるものは、おのずから、日々の生活や仕事が真摯なものになるはずだという確信はあった。
つまり職業に対しても、真面目に真剣に取り組むことは、その人間が救済されるはずならば当然だという意識であり確信である。
不可知であるがゆえに、自分もまたその一人であるとしてふるまうことで、人々は心の平安を得たわけである。もはやそれを保障してくれ、罪の許しを与えてくれる教会も聖職者もいないわけなので・・。自分の行動を持って、自分を信じるしかない・・・、ってことのようですよ。

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ベストアンサー以外の回答

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2014/7/321:33:06

まずはそれまでは 天国に行くのは善行が必要という考えがあります
例えば喜捨(寄附)行為で 極端な例は免罪符です
アレは寄附の領収書みたいなモノです

予定説はそうした善行による天国行きを否定しました
予め決まっているといいますが では自分は天国行きのチケットを持っているのか?
誰もが気になる反面 誰も知らない問題ですよね?
で 「チケット保有者は勤勉で節制している」的な情報が流れます
で 商人達がこぞって「私はチケットを持っている(に違いない!)」と節制や勤労に邁進しました

長老制は教会の階級(ヒエラルギー)否定です
誰かが信徒を率いるべきなら それは教会の偉い人ではなく 信徒の内 経験と信仰が厚い人となります

この2つは国王や君主にとり極めて都合が良いわけです
自国を発展させ 権力を確保するには小煩い教会を排除し 商人を保護したい訳ですから

dol********さん

2014/7/217:30:01

旧約・新約聖書を通じて、「命の書」というのが何度か出てくるんですよ。最後の審判のとき、「命の書」に名が記されている者は救われ、名が記されていない者は滅びる。

じゃあ、「命の書」に名が記されるのはどういうタイミング? まず、神は「母の胎に形作られる前から」その人を知ってるんだそうです。母親のお腹の中にいるとき、すでにその人生は尽く書物に書き記されてると。預言者も、裏切り者も、全て。しかも、「命の書」には「この世の始めから」名前が書かれてるんですって。いやー、ぶっ飛んでますね。

でも、こういう表現は、古代オリエントの神々の賛美歌では割と普通です。それだけ神々というのはスゴいんだぞ、ということです。

だけど、それより二千年後のヨーロッパに生きたカルヴァンさんはとっても真面目な人でしたから、聖書の表現を文字通りに考えたわけです。救いも滅びも「この世の始めから」決まっている。それだけじゃない。人生のすべては「すでに天の書物に記されている」と。

であれば、聖職者だけが「神の召し」を受けたわけじゃない。全ての人が「神の召し」を受け、一人一人に与えられた使命すなわち「天職」がある、ということになります。ここにはプロテスタントに共通の「万人祭司」の発想があります。

で、旧約聖書では、エデンを追放されたアダムは「労働」を与えられました。中世ヨーロッパでは、労働とは神が人に与えた罰だと考えられていました。だから、罪を犯した者は労働する。だけど、カルヴァンさんはそうじゃないと考えた。神がアダムに労働を与えたからこそ、人はちゃんと働かなければならないと。

そして、古い価値観で「働いて金を溜め込む奴なんて守銭奴だ!地獄行きだ!」と言ってくる人々に、「お前が何と言おうと、もう救いは決まったことなんだ。怖いものなんかないね!」と言えるようになったわけです。つまり、ローマ・カトリック体制からの脱却です。

で、カルヴァンの長老制というのは、カトリック式の「上→下」と、民主主義的な「下→上」の混ざったやり方です。教会は小会、中会、大会、総会のようなピラミッドで管理され、それぞれの牧師は上の会から任命されます。一方で、各会の信徒は長老を選出します。牧師と長老は、協力してその会の監督・運営を行います。

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na_********さん

2014/7/216:14:19

>この予定説がどうして商工業者やジェントリの職業倫理になったのかをも教えてください。

これは、お金儲けのための方便として使われたにすぎません。
カルヴィンの予定説では、「救われるかどうかは、その人の持つ人格により、既に神により予定されている」というものです。
この考え方は、そもそも「悪行をしても贖宥状を購入すれば救われる」という考え方の批判のために唱えられ、「悪行をする人は、最初から悪行をすることを神は分かっているので、救われることはない」ということで唱えられたものでしょう。
その考え方を、守銭奴が論理のすり替えを行い、「お金儲けは、神が許した行為」と主張しだしたのです。
特に、マックスウェーバーらのエセ社会学者らが主張し、デタラメな理論化したものを、日本の大塚久雄というバカ権威主義者がさも正当性があるかのように唱え、反対者を許さなかったために、そんなデタラメが信じられることになりました。

長老制は、信徒間で長老を選出し、その長老に教会運営と教義解釈をまかせるという、一種の議会制民主主義のような考え方です。
信徒代表を、信徒長老、牧師を教師長老とも言います。

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