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もし、織田信雄が三河・遠江・駿河・甲斐・信濃5ヶ国への移封を拒否せずすんなり...

ult********さん

2014/7/421:39:39

もし、織田信雄が三河・遠江・駿河・甲斐・信濃5ヶ国への移封を拒否せずすんなり受け入れていたら?

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齊藤史朗さん

2014/7/422:18:20

とりあえず秀忠の正室は信雄の娘のまま。
(史実では信雄の改易によって離縁され、替わりに淀の方の妹が嫁ぐことになりました)

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ベストアンサー以外の回答

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ito********さん

2014/7/505:28:24

確かに織田信雄は秀吉にとっていやな存在ですね…。

sto********さん

2014/7/503:32:01

七月十三日、豊臣秀吉は小田原城内で論功行賞をおこない家康に北条旧領を与え、旧領の東海五ヶ国を収公しました。
小田原攻めの際に、秀吉に領内の城々を委ねた家康は従うしかなかった。
織田信雄に東海五ヶ国を与えようとしたが、信雄は「今まで通り、尾張と伊勢五郡でよい」と加増話しを断った故に下野鳥山二万石に改易したとされています。
この話しが広まったのはフロイスが記した『日本史』で秀吉の権力の強さを物語る証左として広く流布している話しですね。
ところが同時代の一次史料である『晴豊記』の八月三日の条に、織田信雄は後陽成天皇の行幸を秀吉の了解を得ないまま計画して、行幸の為に金箔で作られた行幸の間を含む屋敷が焼け出されてしまった記されています。
誰が建物に火を放ったかは記されていませんが、天下人以外の一諸侯が天皇行幸を計画した事が秀吉の逆鱗に触れ、屋敷に火を放たれ改易されたとする説が史家間では通説と承知しています。
仮に信雄が承けいれていても、行幸を計画した以上は改易はさけられなかったということになるかと思います。
五ヶ国への移封が認められれば、徳川家康も責任の一端を負うことにはなりますが、信雄には難しい局面を乗り切る政治的な配慮が必要なので領国を保持することは困難だったと思います。

met********さん

2014/7/501:40:00

その後も次々に無理な要求をされて、ぷっつんして滅ぼされるか、座してすりつぶされるか、という運命だと思います。

タコタコさん

2014/7/501:00:54

まあ…何事もなければ徳川家康に続く有力大名として大老に名を列ねていたと思いますが、ただ「三介殿の為さる事」と評された信雄ですからねえ。
何かやらかして結局秀吉に取り潰しの口実を与えてしまったかも知れません。

既出の回答にありますが、予定では信雄の娘(小姫)が徳川秀忠の正室として嫁ぐ事になっており、そうなると特に晩年の秀頼大事一心の秀吉からしたら当然徳川、織田の連携は危険極まりない話でもあります。

で、家康と信雄どちらを削るか?となればまあ信雄になるだろうと私は思います。

naz********さん

2014/7/500:25:47

断らせて、領地を召し上げるための移封話ですが、受けた場合は東海近隣の五カ国の太守となり、場所的にも旧領の近くで影響を及ぼしやすく、隣接する大大名は姻戚の徳川家のみ。

織徳連合が続く限り、豊臣家には潰せないでしょう。

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