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江戸時代、大名の正室は江戸屋敷(江戸藩邸)の奥向きに住まい、側室たちは国許に置...

sag********さん

2014/7/2222:44:57

江戸時代、大名の正室は江戸屋敷(江戸藩邸)の奥向きに住まい、側室たちは国許に置かれたと聞きました。 しかし八代将軍・徳川吉宗は、まだ紀州藩主であった頃に、正室の真宮、側室のお須磨、お古牟などを共に江戸屋敷・赤坂御殿に住まわせています。
(参考・「幕府祚胤伝」「以貴小伝」等)


正室は江戸屋敷、側室は国許に置くというのは必ず守られてきた事だったのでしょうか?
それとも大名によって違っていたのでしょうか?

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zmp********さん

2014/7/2222:57:04

何のためか考えてみましょう。
正室を江戸屋敷に住まわせるのは、人質のためです。
国に帰って、謀反を起こしても、正室は江戸にいるので、すぐに幽閉されます。
従って、正室は、国元へ帰ることはできません。ずっと江戸住まいです。
しかし殿様は、一年ごとに国元へ帰ります。国元にも奥様がいないと・・・というので、側室が国元にいます。
さて、正室は一人ですが、側室を何人も持っていた殿様もいます。側室はどこにいてもいいわけで、沢山の側室をもつ殿様が、側室を江戸屋敷と国元に何人かずつに分けておいてもいいわけです。
正室が江戸にいるということが、幕府が命じたことです。

質問した人からのコメント

2014/7/22 23:50:34

感謝 なるほど!大変参考になりました。分かりやすく説明して下さり有り難うございます☆

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qqm********さん

2014/7/2223:24:18

たしか、将軍家から、前田家に、輿入れした時は、国元住まいですよ。
将軍家からの正妻は、国元だったと思います。

側室は、すでに、出ているように、どちらでも構いません。

譜代大名で、幕閣になっている人は、江戸常駐ですから、側室を、領地においていたとしても、何の役にも立ちませんね。

mug********さん

2014/7/2223:23:44

国許にいる側室より、江戸のほうが数が多いと思います。そのために上屋敷・中屋敷のほかに多くの下屋敷を持っていたわけです。
薩摩の「お由羅事件」で有名な島津斉興の側室お由羅の方のように参勤に同行して江戸と国許を往復していた側室もいます。

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