形容詞+「です」は正しいのに、形容詞+「だ」が間違いなのはなぜですか?

形容詞+「です」は正しいのに、形容詞+「だ」が間違いなのはなぜですか? 「です」は断定の助動詞で、「だ」の丁寧語だと辞書に書いてありました。 同じ意味なのに、形容詞+「です」は正しいのに、形容詞+「だ」は間違いなのはなぜでしょうか。 例えば、 「重いです」は正しいですが、 「重いだ」は間違いですよね。 なぜ同じ意味のはずなのに、「重いだ」は日本語としておかしくなってしまうんでしょうか。

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ベストアンサー

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本来、形容詞は、すべて「い」で終わる形が終止形なので、 「この本は重い」といえば、文はそれで終わりです。 「この本は重い」は、 文末が、動詞であれば、「この本を読む」 、名詞であれば 「これは本だ」と同じ形です。 しかし、それではぶっきらぼうで丁寧ではない、と感じることがあります。 動詞であれば「読みます」と、「ます」の形が丁寧語として使えます。 名詞であれば「本です」と、「だ→です」で丁寧語になります。 形容詞の場合、本来の日本語では、他の方が書かれたとおり 「重い→重うございます」となるのが丁寧語です。 しかし、この形が使われなくなってしまったため、 何か他の「丁寧な表現」を作る必要がありました。 そこで、「名詞+です」 の形を借用して、「形容詞終止形+です」という新しい、不自然な形を 作ったのです。 そのような経緯でできた形ですので、「形容詞+です」に違和感をおぼえる人は今も大勢います。 「重いだ」と同じくらい、本来は「ヘン」なのです。 しかし、この便宜上の形が、小学生の作文などでは便利に使えること、 外国人に日本語を教える際にも便利であること、などの理由で、認められるようになりました。 ですから、この形容詞につく「です」は、「名詞+だ」の丁寧形の「です」とは文法的機能が異なり、 同じ姿をしてはいますが、文法的分類でも、別のものになります。 「本です」の否定形は「本ではありません」、過去形は「本でした」 となりますが、 「重いです」の否定形は「重くないです(または、重くありません)」、過去形は「重くなかったです(重くありませんでした)」 となるところからも、機能が異なることが明らかです。 (関西では、「重くないでした」という形も存在しているようですが、これは文法的方言の範疇です) 「重いの(ん)です」となれば、違和感がないのは、「の(ん)」に「名詞化する」働きがあるからですが、 「重いです」と「重いの(ん)です」は、文脈の中で果たす役割が異なるので、全部「のです」にすることはできず、 それで解決するという問題でもありません。「形容詞+です」を完全に避け、かつ丁寧さを表現するには、 今の日本語では相当なテクニックが必要なので、どうしてもかんたんな方向に流れ、 「です」を受け入れざるを得なくなっているという面もあると思われます。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

なんとなく理解できました。 皆さんありがとうございました。

お礼日時:2007/11/3 23:56

その他の回答(6件)

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「重いです」は文法的には間違った形です。 「重いでした」と言えないでしょう。    * 「重いでしょう」は「重いだろう」と同様、「重かろう」に代わるものとして早くから公認されています。     これは、動詞の「行こう(意志)」/「行くだろう」(推量)の分離を承けるものです。 打ち消しの場合、「重くないです」ではなく「重くありません」と言いますね。 ですから、「重くあります」が文法的に正しい形です。 ただ、この形は共通語として定着しなかったのです。 副助詞を挿入するときは使えます。 「嬉しくはありますが、同時に照れくさくもあります。」 単純な「嬉しくあります」、「照れくさくあります」が共通語では使えないのです。 「の」を挿入した形は説明的なニュアンスが加わってしまい、意味が変わります。 「愉快だ」と「愉快なのだ」が違うように。 別な質問で 「~たいと思います。」 について、なぜ「~と思う」などと言う必要があるのか、というものがありました。 この「たい」も形容詞型の活用をします。 です・ます体の中で「~したい。」で言い切りにするわけにはいきません。 文法的に正しい「~したくあります。」は共通語として使えません。 「~したいです。」は文法的に正しくありません。 かといって、「~したいのです。」は文法的に正しくても意味が変わります。 「~したいと思います。」はその回避策として使えるのです。 「~してほしいと思います。」などのほか、「~らしく思われます。」も同じでしょう。 ほかの回答にある「重うございます」は共通語として活きていて、問題なく使えますが、ワンランク上の表現です。  ある/あります/ございます  光栄だ/光栄です/光栄でございます  重い/(重くあります)/重うございます 現代の口語日本語 (共通語) にはこの「重くあります」が欠落しているのです。 せっかく先人がカリ活用というものを作り出したのに、口語は「重かろう」「重かった」の二形しか継承せず、 「重からざらしむ」、「重かるべし」、「重かれ」などの表現を口語に移すことができなくなってしまいました。 カリ活用は以下のような言い回しに残存しているだけです。 「背は高からず低からず」、「一言あってよかりそうなものだ」、「楽しかるべき修学旅行が」、「幸多かれと祈る」 カリ活用の復活は無理としても、「重くあります」が定着しなかったのは残念でなりません。 「危ないですから黄色い線まで下がってお待ち下さい。」だけを咎めてもしかたがありません。 話し言葉では「楽しいです」を許容せざるを得なくても、文章を書く際には、「楽しかったです」ではなく、 「楽しいひとときでした」、「楽しく過ごしました」と別の表現に変えることになります。 私は【です・ます体の中で形容詞を文法に適った形で使うことができない】を口語日本語五大欠陥の筆頭に位置づけています。

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正しい正しくないを論じれば、「重うございます」が正しいことになる。 しかし、このような言い方は日常でされることはなくなり古い言い方になっていて、 「おはようございます」などに残されているだけである。 「重いです」はたくさん使われるから、正しいとされる=通じるようになったもの。 「重いだ」も使う人が多ければ正しいとされるようになる。 なぜおかしいか?との問いの答えは、聞き慣れないから、使う人が少ないから というのが答えでしょう。

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本当は「重いです」も間違いなんですよ テレビのアナウンサーもこういう時は「重いのです」と言っています そうすると「重いのだ」と形式上はそろいますね

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形容詞の丁寧な形は、本来なら 広うございます うつくしゅうございます と、「ございます」を使うべきなんです。 でもいつからか(50~60年ぐらい前?)「ございます」が丁寧すぎる印象を与えるようになり 「ます」がその代わりとして使われるのが一般的になったのでしょう。 自然発生的に使い始めた人もあるでしょうが、形容詞+「です」は、どのあたりから 教科書などで使われ始めたのかあたりを調べると、なにかの政策を見つけることができると 思います。

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形容詞だけですでに断定の意味を持つからです。 重いだろう・重いかもしれない・重い(断定) 助動詞、というより使い方としては助形容詞(説明を解りやすくするための造語です)になるわけですがすでに断定の意味がある形容詞に断定の助形容詞をつけるのは間違いです。 「です」の場合は、丁寧語としての意味があります。「重いです」とすると断定の形容詞に丁寧語を助しているわけですね。