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ルカ伝の取税人レビはマタイか。 イエスが取税人を弟子にする話で、マルコ伝...

デラックスさん

2014/9/1801:47:48

ルカ伝の取税人レビはマタイか。


イエスが取税人を弟子にする話で、マルコ伝とルカ伝はその取税人の名をレビとしていますが、マタイ伝では、マタイとしています。

この取税人レビとマタイは同一人物なのでしょうか。

いわゆる「伝統的」解釈は同一人物としていますが、聖書学者たちは、確実にそうだと言う証拠はないとしている人もいます。

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ベストアンサーに選ばれた回答

dol********さん

2014/9/2008:41:31

言い出しっぺがちゃんと説明するかと思いましたが……。

通説によれば、マタイ記者とルカはそれぞれマルコを下敷きにしてこの部分を書いたとされます。ところが、レビの名が十二使徒のリストにないことに気付いたマタイ記者は、レビの名をマタイに変え、十二使徒のマタイの名に「取税人」を追加したと。

だが、通説には疑問が残る(TV かよ!)。

(1). なぜマタイを選んだのか。マルコによれば取税人レビは「アルパヨの子」であり、十二使徒のリストにも「アルパヨの子ヤコブ」がいますので、なぜこの人にしなかったのか。事実、ルカでは逆に、取税人レビから「アルパヨの子」が消えています。

まあ、アルパヨの子ヤコブは Mk 15:40 の「小ヤコブとヨセの母マリヤ」における「小ヤコブ」と同一人物とされますので、取税人ではないことが周知であった……と主張する人がいるかもしれない。しかし「アルパヨの子ヤコブ」と「小ヤコブ」とを同一人物とするのも伝統的解釈にすぎません。兄弟ヨセも十二使徒ではないですしね。

むしろ、ヤコブとヨセの母と聞いて真っ先に思い浮かぶのは聖母マリヤの方です(Mk 6:3)。実際、ヨハネ伝ではここに「イエスの母」がいる(Jn 19:25)。ということは、この「小ヤコブ」とはイエスの弟であり、後に教会の柱とされたあのヤコブだと見ることも可能です。

結局、マタイ編者がなぜ「レビ」を「アルパヨの子ヤコブ」ではなく「マタイ」に変えたのか、合理的な理由が見つからない。

(2). そもそも「マタイ編者がマルコを下敷きにした」という通説は正しいのか。レビの召命の後、取税人との食事の記事になります。マルコとルカは、レビの家で(少なくともレビの主催で)食事があったとする。ところが、マタイ編者は冠詞つきの「家」とするだけで、誰の家かが明確でない。むしろ素直に読めば「イエスの家」となりそうです。

これまた通説では、マルコはもともと別の話であった「レビの召命」と「取税人との食事」を 1 つの流れに組み込んだとされます。もしそれが正しければ、話の流れがいったん切れるマタイの方が、若干オリジナルに近いのではないかという見方も可能です。

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ありそうなシナリオとしては、もともと「取税人の召命」と「取税人との食事」は、無名の取税人を登場人物とした別々の話であったのかもしれない。それらをマルコは「レビ」という名前によって 1 つにまとめました。ルカもそれに倣います。

一方、マタイはこの 2 つの話を 1 つにまとめるというマルコの発想は受け入れつつ、それを名前によってではなく、「取税人」というキーワードを用いて、より大きな文脈の中に統合した。この大きな文脈は、Mt 21:31 の「取税人と娼婦の方が、お前たちより先に神の国に入っている」というイエスの言葉で最高潮に達します。

マタイ編者は大きな物語の流れの中に、頻出するキーワードを埋め込む傾向があります。ここでは「取税人」がそれです。そして、マタイ記者はそのキーワードを使徒マタイの名に託しました。

なぜマタイだったのかは分かりません。だけどそれによって、「取税人」というキーワードは「マタイ」の名のもと、読者の頭にこびりついて離れないものになりました。先に救われたのは「取税人と娼婦」であるというイエスの言葉とともに。

---

以上は物語分析によるものですが、それでもなお、「福音書記者が、実在性に関わる人物の名前を捏造して良いのか?」という疑問は残ります。

福音書記者の大前提(と彼らが考えているもの)は、先人の伝承を受け継いだという信念です。伝承にないものを勝手に付け加えてはいけない。

となれば、もっと想像を膨らませれば、先ほど「無名の取税人」としたものは、実は同一の伝承が異なる名前で流布していたのではないか。マルコ=ルカ伝承における「レビ」と、マタイ伝承の「マタイ」と。

で、マタイ記者は使徒マタイとの名前の同一性を利用して(あるいはマタイ記者の時代にはすでに同一視されていた)、上に書いたような大きな文脈へと組み込んだと。

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ふー、憶測ばっかりでしょ? 物語化されたものから歴史を再構築するなんてのが、土台無理な話なんですよ。同じ人かそうでないかすら、どちらともはっきりとは言えません。

だから、彼がどちらのレベルで「同一人物でない」と言ったのか、そこだけでも確認したかったのですけどね。

そうそう、上記の件や、十二使徒のリストの相違、パウロ書簡などから、「十二使徒は後代に作られたものであり、イエスの時代にはいなかった」と主張する人もいますが、これは早合点だと思います。イスラエルの新生にあたり、十二の族長が土台になること、そして三人の祭司がいるべきことというのは、死海文書にも見られる当時の風潮です。

  • 質問者

    デラックスさん

    2014/9/2009:30:40

    お待ちしておりました。^^

    実はこの質問がかなり難問だというのを百も承知だったので、気がひけたのですがね。

    この部分は神学者でもある前教皇も結論を出していないかのような説教をしていますわな。
    http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message13...

    実はどの福音書も嫌われ者で被差別層である「取税人」をイエスが弟子に召し出したこと、さらにマタイ伝では、イエスが彼らと共に宴席で飲み食いしたことをアピールしたかったわけで、その「取税人」がレビでもマタイでもそれは大した問題ではない。

    だから「召し出された取税人」と言うことが大事なテーマであり、その召し出された取税人は、マルコ、ルカではレビで、マタイではマタイと呼ばれていると言う言い方を前教皇はされている。

    そろそろ字数オーバーですな。続きます。^^

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質問した人からのコメント

2014/9/21 18:42:43

聖書が何を我々に語ろうとしているのか。それを問いながら、心の眼を開いて読みたいものです。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

キーナさん

2014/9/1817:52:45

弟子の名簿まで違う事態に見舞われている以上、
常識的な推測や類推では、異なる結論しか出ないでしょうね。
ちょうど、名簿が違うように。

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