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ラメセス2世が、モーセ時代のエジプトのファラオだった有力な証拠は存在しますか?

de7********さん

2014/9/2116:11:50

ラメセス2世が、モーセ時代のエジプトのファラオだった有力な証拠は存在しますか?

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end********さん

2014/9/2117:08:47

ラメセス(ラメス)2世

エジプト第19王朝の王(在位 前1301~前1234。前1279頃~前1213頃とする説もあり)。セティ1世の子。父がハッティ(ヒッタイト)国王ムワッタリシュとアジアで抗争した政策を継ぎ、治世第5年に4軍団を率いて北上、カデシュ市付近で敵の20ヵ国の連合軍と戦い重囲に陥ったが、自ら血路を開き、敵の戦車隊を撃破した。王はこの戦況をカルナク神殿に詳しい凱旋の記録として遺し、詳細な戦闘記録として世界最古のものとなった。
のちアッシリアが強力となり、その脅威を感じた両国の間に16年ぶりで和約がなり、ハッティ国の王女が王の後宮に入り、以後エジプトはアジア侵略の野心を捨てた。
王はカルナク神殿の列柱広間の建造を始め、デルタ地方にペル・ラメス、タニスなどの都市を建設し、アブ・シンベルの巌上に神殿を営み、巨像を彫るなどエジプト史上もっとも多数の建築遺物を遺した。のち第20王朝の王でラメスを名乗るものが9人あり、これをRamessidという。王はその最隆昌期を現出した人で、以後古代エジプト全史は衰退期に入った。(岩波「西洋人名辞典」より)

モーセの「出エジプト」が前13世紀頃ということと、エジプト側に記録がないことから断言はできないわけですが。

質問した人からのコメント

2014/9/22 18:15:15

僕も調査してみました。どうやら40歳でエジプトを脱出した時の王で、十の災いを受けた王はメルエンプタハ(即位名で無く幼児名)で、ミイラの顔に死蝋が出ているのが、その証拠の様です。塩水に数か月浸かると出るそうです。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

osa********さん

2014/9/2203:02:13

モーゼとラムセス二世が直接に関係していたとする
エピソードやヒエログリフが存在していたという事実は未確認でしょう
そうだったかもしれないと言うのが今現在の認識ですが
事実と映画は違うと言うことです

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