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東京六大学野球で東大の存在意義って何ですか?

fuj********さん

2014/10/2607:36:27

東京六大学野球で東大の存在意義って何ですか?

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his********さん

2014/10/2607:58:50

コネ、スポーツ推薦などがなく、勉強の実力だけで大学に入学するとあの程度のレベルになることを、世間に知らしめています。

早稲田、慶応等一流大学でも、スポーツ推薦等で野球が上手ければ入学できるということです。

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nrd********さん

2014/10/2620:07:13

東大は大正14年の秋に連盟に加盟しまして六大学野球になりました。同時期に早慶戦が復活し、それまでの五大学から六大学になり、通常連盟記録も今はここからの数字を取り上げています。東大は大正時代から不思議と名投手、大投手がほぼ切れ目なく続いて出てきました。大正13年に東実と清水健太郎のバッテリーが入部し、これが連盟に加盟を認められたきっかけになりました。東選手は打てばホームラン打者、投げれば速球投手で大変な選手で、初のリーグ戦で東大を4位に導きました。その後昭和7年に梶原英夫が入部、彼は高松中学で三原脩と同期で、打てば早稲田の伊達からホームラン、投手としても一流でした。昭和10年代になると由谷という大投手が出てきます。これは身長約184センチの剛球投手でしばしば他大学を苦しめました。こういった中で戦後も数々の名投手が出てきました。田渕がいた昭和40年代の前半は中日に行った井出が投げると、そう簡単には打てませんでした。
田渕時代は、東大を除くすべての大学が優勝を経験しており、全体のレベルは以後と比べてずっと高かったです。東大が弱いのではなく他の大学が強かったんですね。
昭和40年代の後半から六大学野球のレベルが低くなってきて、相対的に東大が浮かび上がってきました。昭和52年の春東大は4位になりましたが、これは確か昭和21年以来31年ぶりだったと思います。この時は西山、中沢といった投手がいました。そして昭和56年の春には早慶から勝ち点をとり4位になりました。
最近東大勝てませんが、かつては弱くてもファイトいっぱいで頑張っていましたが、こう負けが続くとやる気もないのかもしれません。
私は昭30年代の終わりから六大学野球を見ていますが、他校も昭和40年代に前半ころと比べたらレベルは全然です。東大も頑張れば勝つチャンスあると思いますよ。
基本に立ち返って自信をつければ充分やれます。
ちなみに昭和4年頃國學院とか今の東都の大学が2校加盟を申請してきたことがありましたが、六大学が八大学や十大学になると試合数が多くなり、学生本来の勉強に差し支えるとか諸々あって、加盟が認められず彼らは結局五大学連盟(今の東都リーグ)を結成して別の道を行きました。
そういった歴史を考えても、東大にも頑張ってもらいたいし、勝つチャンスもあるでしょうから、見る方もそういう認識で見守って欲しいと思います。

jis********さん

2014/10/2610:10:41

東大でも野球ができないと、

野球がしたい優秀な人材が、

京大に行ってしまう。

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