ここから本文です

キックボクシングの沢村忠は強かったと言われますが、実際はタイではランキングに...

zmsjtr1963さん

2014/11/2119:17:05

キックボクシングの沢村忠は強かったと言われますが、実際はタイではランキングにも入らない弱い選手を一流と偽り、日本に呼び寄せ、試合をして勝っていたと言うのは事実ですか?当時キックボク

シングの人気が全盛の頃キックの鬼と言うアニメドラマでは主役でしたが内容は嘘ですか?

閲覧数:
33,018
回答数:
8

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

wamade01さん

2014/11/2211:49:03

"キックの鬼"と呼ばれ、1960年代後半~70年前半にかけて急速に台頭したキック・ボクシングの大スター、沢村忠(本名:白羽秀樹)。彼は本当に強かったのか?

強かった。間違いなく。


1967(昭和42)年2月16日の正式なデビューから、1976(昭和51)年7月2日のラストファイトまで、実動9年5ヶ月の間に残したレコードは、241戦232勝(228KO)5敗4分という驚異的なものです。

この戦績は、TBSでゴールデンタイムに中継される後楽園ホールの定期興行(最盛期は1ヵ月に3試合も珍しくなかった)での結果を集計したもので、その合間に全国各地を行脚して回る地方興行があった。

トータルの試合数は、ゆうに500戦を超えていたとも言われる。


対戦したタイ人選手の多くが、ボクシングで言うところのカマセ、実力差の明白なアンダードッグであったことは紛れもない事実です。

ムエタイを土台にしたキックボクシングは、野口修(ライオンの異名を取った進の息子/実弟の恭もプロボクサーとして成功)と沢村忠が、たった2人で始めた新興競技だった。

1967年当時、まともに戦うことができる日本人選手は沢村1人。最強国のタイから選手を呼び、日本×タイの対抗戦を打つしか策がない。

日本全国にキックボクシングの種を撒き、いっぱしの人気競技へと育て上げるために、敗北は絶対に許されない。なおかつ、ただ勝ち続けるだけでは駄目だと野口は考えた。


より豪快に、より鮮やかに、本場のタイ人をノックアウトする。


フィニッシュのキックは、普通の回し蹴りやボディを狙う膝蹴りではなく、派手な飛び蹴りを使う。

パンチで倒すにしても、正確なストレートやショートのカウンターより、遠目にもはっきりわかる大振りのスウィングが望ましい。


「沢村のKO勝ちにはリアリティがない。”真空飛び膝蹴り”なんて馬鹿げている。あんなマンガみたいな大技が真剣勝負でまともにヒットするはずがないし、本物のタイ人ランカーや王者に通用するとは思えない」

”人気の沢村、実力の藤原”

後に批判の対象となる派手な蹴りやパンチは、海のものとも山のものともわからないキックを日本に根付かせ、プロの格闘競技として花開かせるため、止むを得ずに選択した手法だった。


カマセもピンキリなので、時には手強いやつもやって来る。そういう時の沢村は、即決勝負を捨てて地味なパンチとキックで着実に崩し、基本的に3R以降の後半勝負に持ち込む。それでもフィニッシュは大技にこだわったが、無理だとわかると、肘打ちやチャランボで確実にし止めに行く。

「弱いカマセの中に、どのタイミングでどの程度の実力者を混ぜて行くか。その見極めと読みこそが、興行師としての腕の見せ所だ」

日々マッチメークに頭を悩ます野口は、気心の知れた記者だけに、そんな本音を漏らすこともあったらしい。

歴戦の疲労とダメージに加えて、加齢による衰えが隠し切れなくなった晩年は、大技を封印して勝ちにこだわる姿も見せている。


野口がタイから招聘したカマセたちを相手に、沢村は連戦連勝。キックボクシングは驚くべきスピードで日本人に受け入れられ、ジムや選手の数も急激に増えたが、客が求めるのは、ただ1人沢村のみ。沢村が出なければ、興行自体が成立しない。ケガやダメージが癒えないまま、試合に出続けるしかなかった。

「自分が休めば、夢を持ってプロの道に進んだ後輩たちの生活まで奪ってしまう」

常軌を逸した過密スケジュールにも音を上げず、愚痴や不満を一切口にしないで戦い続けた沢村。彼を支えていたのは、何よりも先駆者としての責任感であり、幼い頃から学んだ空手をバックボーンにした武道家としての精神、誇りだったことは疑う余地がありません。


プロとしてスタートを切った沢村は、本来の階級であるライト級ではなく、ミドル級の王者を名乗っていた。ライト級に定着した後も、ウェルター級やミドル級の大きな相手とも頻繁にやっていた。


ほとんどの相手は無名のタイ人だったけれど、真の実力者とも戦っています。

ルンピニースタジアムの重量級トップだったパナナン・ルークパンチャマとは、3戦して2勝1敗。第2戦の壮絶な失神KO負けは、いまだに忘れ難く脳裏にはっきり焼き付いている。

キャリア晩年に対戦したチューチャイ・ルークパンチャマも強かった。弱冠二十歳のタイ人は、日本の重量級陣を総ナメにしたのみならず、右ストレートのカウンター一撃で沢村を気絶させてしまう。

伝説的な強豪プットローレックと五分に渡り合うほどの駿馬だとわかったのは、随分後になってからだったと記憶します。

ライト級王座の防衛戦で苦戦した、サネガン・ソーパッシンも曲者だった。最後は肘で倒したけれど、パンチの応酬であわやという場面も。

  • wamade01さん

    2014/11/2211:50:10

    1967年に正式デビューする前、タイでの修業中にルンピニースタジアムで引き分けたポンチャイ・チャイスリア(キャッスリア)は、ライト級現役チャンピオンとの触れ込みだったけれど、実際はルンピニーのランカー。

    対戦時のランクには、6位説と8位説があったと記憶しますが、グローブ着用の実戦を2試合(1勝1敗)しか経験していない段階で、ルンピニーの現役ランカーと5Rをしのぎ合うだけの力を持っていた。弱いわけがない。

    サウスポースタイルから放つ上段の回し蹴りは、足が真っ直ぐ伸びて本当に美しかった。代名詞となった「真空飛び膝蹴り」にも、様々なバリエーションがあった。パンチや膝でダウンを奪った後、再開のタイミングに合わせて助走しながら蹴ったり、首相撲で相手をしっかり押さえ込み、急所の顎を正確に狙って小さめのジャンプで決めたり・・・

  • その他の返信(3件)を表示

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2014/11/28 01:54:44

成功 誠に丁寧な詳しい御回答、ありがとうございました。非常に良く解りました。又宜しくお願い致します。

「沢村忠」の検索結果

検索結果をもっと見る

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/7件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

編集あり2014/11/2510:01:00

テレビ局がついた団体が東洋ミドル級チャンピオンに沢村忠を据え、日本のキックボクシングが始まった。強いか弱いか、という沢村忠の価値を落としかねない質問には、本当に強かった、と答えたいね…。

最初の頃のタイ式ボクシングって 未知の格闘技だったから 当初は いまのミドル級をヘビー級、ウェルターをライトヘビー級、ライト級をミドル級、と紹介していた時期もあった。その関係で、沢村は最初は東洋ミドル級チャンピオンを名乗ったけど、階級名称変更があったため、途中からは東洋ライト級チャンピオンの称号になった。

で、真空飛び膝蹴りは必ず当たってKOした。A猪木の延髄蹴り 以上の抜群KO率。八百長でなければかなり反射神経の悪い相手だった? という疑問も成り立つ。タイの2大スタジアムのランキング経験者(ちゃんとした一流プロ)には酷い負け方をした。

いずれにしても、当時の日本キックボクシングはムエタイとは違う。ムエタイと比べれば日本独自の試合様式と言える部分もあったから沢村の勝ちは続いた。沢村が対戦するタイの人々にはクビ相撲や ヒジ、膝、といった怖い技はあまりなかったかな。ヒジが使えた相手には負けた。でも沢村忠はとにかく毎週勝ち続ける運命だったかと思うよ。

個人的には大沢昇、山崎照朝、藤原敏男のほうが断然強いし、近寄るのも怖かったと思うけど、でも沢村忠は少年のヒーロー。途中から実録漫画と実際の試合が同時進行に近い形で勝ち続けたね…。テレビアニメもスタートしてからは同じ週に実際の試合とアニメでダブル勝利したこともあったかな。だから強かった、でいいと思うよ。

やがて子供たちの関心が仮面ライダー1号、2号に移ってキックボクシング人気が廃れてから、マジな勝負師・藤原の時代が来たけど、沢村忠とは違って少年ヒーローとしての人気はなかったな。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

2014/11/2416:35:08

格闘技と言えどショウなので、演出が必要という事だと思う。
演出なので、筋書きがあるのですよ。
カンボジアでもこのようなショウは沢山あり、時々日本人も対戦相手で出てくるよ。
片っ端から派手にぶっ倒れるけど、ショウなので仕方ないと思う。

モノの味方なので、ショウと捉えるのか真実と捉えるのかは各人次第だけど、
イイ大人がショウを真実の出来事というのは・・・いいねー。
幼子の心がある人物は素晴らしい。。。。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

lknasfdさん

2014/11/2220:51:12

実際に弱い選手に連勝していたのも事実ですが、本場タイの強豪と互角に試合したのも数試合ありました。

子供の頃、テレビで「ジャイアント馬場」さんと、「沢村 忠」さんが、スイカを手刀で斬るデモンストレーションをやってました。

馬場さんのは力任せに「ざこぉっ」と叩き割る感じで、沢村さんのは、「シュパぁっ」と斬る感じでした。沢村さんは、剛柔流空手の三段だったはずです。

本名が、白羽 秀樹でしたか。強かったです。

東洋チャンピオンが沢村 忠さんで、全日本チャンピオンに、極真の初代全日本チャンピオン山崎 照朝さんが同時期にいたはずです。(昔の極真の雑誌に載っていました。山崎さんは、10戦くらいでキックから退いたと思います)

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

hideoyaji803さん

2014/11/2201:10:39

当時タイ式ボクシングの強豪だった
パナナン・ルークパンチャマには惨敗していることから
自ずと沢村の実力は分かると思います。

当時タイ式ボクシングの強豪だった
パナナン・ルークパンチャマには惨敗していることから...

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ayastroboyさん

2014/11/2122:29:55

沢村は毎週のように試合していました、子供心にあんなに毎週試合して大丈夫だろうかと思ったものです、ですからその相手の中には2~3流の選手がいても仕方ないでしょう、実力は間違いなくあったでしょうが対戦相手が常に一流だったということはないということです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。