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戦国大名の、三好長慶やその他三好一族・松永久秀・前田慶次・足利義輝のどれかで...

yut********さん

2014/11/2600:37:30

戦国大名の、三好長慶やその他三好一族・松永久秀・前田慶次・足利義輝のどれかで面白いエピソードあったら教えてください。(あまり有名ではないもので)

補足慶次は大名じゃないってのは気にしないでください

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miu********さん

2014/11/2613:49:01

三好家は阿波守護であった細川家の重臣として戦国時代に登場します。

細川家が「両細川の乱」以降分裂すると、阿波細川家出身の細川澄元や細川晴元などの戦闘部隊として活躍します。

この頃の三好家で有名な人物は、【三好之長】や【三好元長】がいます。

三好家の武将は、畿内の政治闘争の矢面に立ち戦いますが、のちに主家とも対立するようになったり、三好家内部もいくつかの派閥に分裂してそれぞれ争うようになっていきます。


次期将軍の地位を狙う「堺大樹」足利義維を奉じて戦っていた細川晴元が、敵であった足利義晴と手を結ぶようになると
【三好長慶】は、主家であった細川晴元と、一族である【三好政長】らに反発して、それまで敵であった細川氏綱と手を結んで戦うようになります。

【三好長慶】とその子弟の一派と、のちに【三好三人衆】と呼ばれる派閥は、手を結ぶ時期もありましたが、基本的には対立関係であったのです。


三好三人衆に含まれない三好一族としては【三好康長】が居ます。
三好三人衆とは別に織田信長と戦い、そのしつような戦いぶりを気に入られて家臣に加えられたという変わり種です。


三好家出身で土佐の十河家を継いでいた【十河在保】は、土佐の長宗我部元親が阿波に大侵攻してきた際、中富川の氾濫を利用して一時長宗我部軍に対して猛攻を加えます。
このときの攻撃の様子が狩りのようで、のちに阿波国で「鳥刺し舞」として流行したそうです。

結局は長宗我部軍の大軍が、三好派である阿波国人勢に大打撃を与えて阿波国
を制圧するのですが

この中富川の戦いで戦死した中のひとり、三好家家臣の【七条兼仲】は、大山寺に鏡餅を奉納して怪力を授かったと言う伝承があり
400年後の現在でも、大山寺では「力餅」という100㎏近い大鏡餅を持って歩く距離を競う行事が行われています。


【松永久秀】はまだ不明な点が多い人物ですが、丹波国の住人であったようです。
弟の【松永長頼】が武勇に優れた武将であったので、三好家中で頭角を現すようになると、弟と供に三好家内で重要視されるようになります。

近代的な城のシンボルのような「天守閣」を建てはじめたのは、松永久秀だと言われ、
のちの織田信長も、久秀の城や六角家の観音寺城の天守に影響されて、のちの安土城を築いたと言われていましたが
最近の研究では久秀以前にも「天守」のような建物を備えた城はあったようで、その説は見直されているようですが、松永久秀が革新的な型破りな人であった事を象徴するようなエピソードだと思います。

質問した人からのコメント

2014/11/26 13:56:12

ありがとうございました!

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タコタコさん

2014/11/2611:14:42

足利義輝

・義輝の弓馬の指南役は塩尻峠の合戦で、武田信玄に敗れ信濃を追われた小笠原長時(信濃守護)。義輝は長時を信濃に戻す様に再三信玄に求めていたが、三好との対立が深まる中で、上杉謙信と信玄の助力を期待する義輝は、武田・上杉の和睦を斡旋し、その際に信玄の要望を聞き入れ、信濃守護職を信玄に与えてしまった。

・政敵であった三好長慶は義輝に幾度勝利しても必ず逃げ道を作って深追いしなかった。これは直属の主君だった細川晴元に対しても同様で、長慶が義輝・晴元の連合軍を撃破した直後には合戦が三好方の圧勝であったにも関わらず、長慶自ら和睦を申し入れた。 長慶に所領を追われていた、主君晴元が摂津に帰国した際には、長慶自ら出迎え、下馬、方膝を着いて涙を流しながら迎えた。

一方義輝は長慶暗殺を度々画策し、長慶は何度も刺客に襲われている。

が、父長慶と違い、嫡男の三好義興は品格、教養共に優れ、義輝のお気に入りだった。成人した義興が義輝に近侍する様になってからは三好・足利は表立って衝突していない。

inj********さん

2014/11/2603:24:12

そもそも前田利益は滝川一族(滝川一益等)の出身ですけど、実態はよく分かっていません。「花の慶次」は脚色し過ぎ。
家康の従弟の水野勝成が「花の慶次」の利益に近いような気がします。
合戦で一番槍を多く挙げている大坂夏の陣では家康の命令を無視して、道明寺の戦いで一番槍を挙げて、大阪城に一番旗を立てている。父親に奉公構されて、その際に、黒田長政、加藤清正、佐々成政、立花宗茂、小西行長に仕えるなどしている。

三好長慶は、晩年は身内の不幸などが重なり、精神が病んでいたようですね。

松永久秀は今で言うSEX指南書を書いています。

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